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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年09月26日

「自分らしさ」という消費社会の罠

「自分らしさ」という消費社会の罠
「街場の教育論」(内田樹 ミシマ社)

ほんと、今さらすみません。
でも、いいタイミングで出会いました。

教育の問題は複雑であり、
単純ではない。
ひとつの解決策でなんとかなるものではない。

そもそも、
「これがソリューション(解決策だ)」っていう
思考って工業社会特有のもののような気がする。

工業社会より前から連綿として続いてきた
教育においては、そんな単純な図式は通用しないだろうと思う。

一番うなったのは、
60年代、70年代から「学校が荒れた」(校内暴力が吹き荒れた)
要因として、「管理教育・受験戦争」が挙げられて
みんながそれを信じたこと。

大学紛争のあと、
都心の大学はみんな八王子とかに引っ越して、
自治会を解体し、管理を徹底したら、暴力がなくなったのに、
高校以下の現場では、暴力の原因は管理教育・受験戦争
だと信じて疑わなかった。

受験戦争はあきらかに団塊世代のときが
もっともたいへんだったのに。

まあ、それは次回ゆっくり書くことにして、
今回は、いちばんのハイライト(僕にとって)を。

2014年1月30日のブログ
「家電を売るために夢を持て?」
http://hero.niiblo.jp/e346221.html

が言語化された一節。

~~~ここから引用

自分らしさは、商品購入行動でしか表現できないという
イデオロギーが支配的なものになったのは、80年代から後のことです。
それまでの消費単位は家族でした。

マーケットは消費行動の最大の抑制要因である
家族内合意形成というプロセスを
この世からなくす方法を考えました。
簡単ですね。家族を解体すればよい。

家族全員がそれぞれの「好み」に応じて
商品購入行動を展開するならば、
消費行動は急激に加速する。

消費単位のサイズを小さくすればするほど
消費活動は活発になる。
これは論理的には自明のことです。

そうやって、官民挙げての
「自分らしく生きる」キャンペーンが
以後20年にわたって展開することになります。

自分の好きな場所を、
自分の好きなインテリアで飾り、
自分の好きな音楽をかけ、
自分の好きな料理を、好きな食器で食べる。

好きな時間に起き、好きな時間に寝て、
好きな場所に、好きな友達と(あるいは恋人と)旅行する。

すばらしい。

自分らしく生きるということは、
要するに誰の同意も必要とせず
商品選択を自己決定できることである。

私が言っているんじゃありませんよ。
中教審から『BRUTUS』まで、
フェミニストから電通まで、
全員がそう唱和したのです。

うんざりする話ですが、
ともかく、その全国民を巻き込んだ国策的な
「自分らしく生きる」「個性的に生きる」キャンペーンの
過程で、消費行動に際して同意が必要な他者との共生は
「よくないこと」であるということについての国民的合意が
いつのまにか成立しました。

非婚化、晩婚化、少子化というのは、
この合意に基づく論理的な帰結です。

むかしから
「一人では食えなくても、二人なら食える」
と言いますけれど、その通りで、
家族を作ると、お金は使わなくなる。

二人分のおかずを自分の家で作れば、
一人ずつが外食する半分以下のコストで済む。
そんなことは経験的に誰でも知っていることです。
消費主体のサイズが大きくなればなるほど、消費行動は鈍化する。

~~~ここまで引用

この話は、
第8講「いじめの構造」のところで
出てくる話です。

このつづきにオチがあって、

初等中等教育が荒れだしたのは、
まさに「自分らしさ」イデオロギーが
官民挙げてのキャンペーンの中で展開しはじめた
ときと同期しています。

と続きます。

グローバル資本主義が
教育現場に持ち込まれたことによって、
子どもたちは混乱した。

内田さんが言うには、
「グローバル資本主義が私たちに要請する生き方を
どうやって学校の外へ押し戻すか」
が現在の私たちの直面している課題なのだそうです。

なるほどなあ。

って。
構造的に見る、って大事だなあと。

グローバル資本主義が要請する生き方と
幸せがイコールではないとすると、
これからの教育はどうあったらいいのか。

なによりも
「自分らしく生きろ」とか
「夢をもって生きろ」とか言ってたのは
実は、たくさんの商品を売るためだいうことだったんです。

僕たちは、「商品を買う」ために
生まれてきたのだろうか。

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Posted by ニシダタクジ at 07:25│Comments(0)
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