2016年10月05日
作家は小説の後ろを追いかけている
「物語の役割」(小川洋子 ちくまプリマー新書)
「博士の愛した数式」の小川洋子さんが
「物語」について語った1冊。
おもしろいなあ。
小説を書きながら、こんなことを感じると言う。
~~~ここから引用
「こっちへいこう、こういうふうに世界を広げてゆこう」
という、物語自身が持っている力に導かれないと小説は書けないと思います。
(中略)
自分の思いを超えた、予想もしない何かに助けてもらえないと、
小説は書けません。
ですから私はときどき、
小説を書きながら、
書き手であるはずの自分自身が
いちばん後ろを追いかけているな、と感じます。
『博士の愛した数式」でも、
私よりも前に博士や家政婦さんやルート君がいる。
自分よりも前にすでに完全数や友愛数がある。
そういうすでにあるものの後を一所懸命追いかけていって、
振り返ったときに、自分の足跡が小説になっているという感じです。
(中略)
自分の思いを突き抜けて、
予想もしなかったところへ小説を運んでいってくれるのは、
自分以外の何かであるんじゃないか。
そうなると、小説家も数学者も同じだなと思うのです。
~~~ここまで引用
さらに、フランス人作家
フィリップ・ソレルスの講演から、引用しています。
~~~ここからさらに引用
「書くこと、文章に姿をあらわさせること、
それは特権的な知識を並べることではない。
それは人皆が知っていながら、
誰ひとり言えずにいることを発見しようとする試みだ」
まさにその通りです。
数学者が、偉大な何者かが隠した世界の秘密、
いろいろな数字のなかにこめられた、
すでにある秘密を探そうとするのと同じように、
作家も現実の中にすでにあるけれども、
言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出し、
鉱石を掘り起こすようにスコップで一所懸命掘り出して、
それに言葉を与えるのです。
~~~ここまで引用
なるほど。
数学者と小説家は似ているのか。
こういう、
「おいかけている」っていう感覚が大切なのかもしれない。
偉大な何か=サムシンググレイト
それは言葉にできない何かなのだけど、
それを追いかけているのだという感覚。
そうやって新しいものが生まれていくのかもしれない。
Posted by ニシダタクジ at 08:30│Comments(0)
│本
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