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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年10月11日

「利潤」は差異からしか生まれない

「利潤」は差異からしか生まれない
「智慧の実を食べよう 学問は驚きだ」(糸井重里 ぴあ)

冒頭の岩井克人さんの「会社の行方」。
いいですね。
これ本質的です。

会社はだれのものか?
ということでアメリカ型の株主中心のと
日本型の従業員中心の会社に言及し
もともと会社は二階建てだと主張。

そして、
産業資本主義からポスト産業資本主義へ。
ということで、
いま、何が起こっているのかを語ります。
まあ2004年の本なので。

ここで一番おもしろかったのは、
いろんな本で書いてあるのがこちらでも出ているということ。

~~~ここから一部引用

もともと、利潤は差異からしか生み出されません。
産業資本主義というのは、
「多数の労働者を使って、大量生産をおこなう
機械制工場システムにもとづく資本主義」のことです。

もちろん、単に工場があっても、
それだけでは、利潤は生まれません。
あたりまえですが、費用が収入より低くないといけないわけですが、
それは結局、労働者の賃金がその生産性よりうんと低ければいいわけです。

この「労働生産性と実質賃金率の差異」こそが、
産業資本主義の利潤のもとだったんです。
そして、そのような「差異性」を保証したのが、
農村における過剰な人口であったのです。

つまり、安い賃金でも働きたい労働者が、
農村から都市にどんどん流れ込むかぎり、
産業資本主義は成り立っていた。

これは発展途上国では、
現に存在している資本主義です。

しかし、先進資本主義国の中では、
産業資本主義の拡大がいつしか、
過剰人口の産業予備軍を使い切ってしまった。

その結果、「実質賃金率」が上がりはじめて、
「労働生産性」との差がなくなっていきました。

労賃が安かった時代では、
機械さえ持っていれば、
ほかの企業と同じことをやっていても、
必然的に、利益を生み出すことができたんです。

もはやそれでも差異性を生み出せない、
つまり利益が出ない。

だからポスト産業資本主義では、
「新しい差異を常に作っていかなければ、利潤は生まれない。」

そしてそれは、
「もはや機械ではなく、人間がもっとも価値を持つ社会である」ということです。

~~~ここまで一部引用

なるほど。
読めば読むほど、
産業資本主義は仮説に過ぎなかったんだなあと。

そしてその魔法はすでに解けたのだ。
だから、これからどう働くのか?

「差異性」を生み出す人材になること。

一方で、
その前にあった、人々が助け合える産業構造に
ふたたび戻していくこと。

この2つが大切になってくる。

たぶん、ツルハシブックスとコメタクの先にある未来は、
そんな形なのだろう。

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Posted by ニシダタクジ at 08:55│Comments(0)
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