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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年10月21日

直感知を積み重ねる

直感知を積み重ねる
「日本の反知性主義」(内田樹編 晶文社)

引き続き、この本より。
「身体を通した直感知を 名越康文×内田樹」から。

~~~ここから引用

ものを学習していったり、
物事の論理性や関係性を発見したり、
現象の背後にある法則を発見したりというのは、
ただデータを積み重ねていってできるというものでもない。
「あ、わかった」と瞬間的に視界が開けるものじゃないですか。

知性の活性化・高度化って、
ものの考え方の構造そのものを作り変えて、
思考のシステムを再組織化することじゃないですか。
今すでにあるものを局所的に強化することとは全然違う。

今ある仕組みを手つかずにしておいて、
局所だけ量的に強化すれば、むしろシステムは硬直化する。
使いものにならなくなる。
「頭のよさ」って、結局は「頭がしなやか」ということなのに。

検索ってキーワードを知らないとできないじゃないですか。
だけど、僕らが今考えているような知というのは、
キーワードがなくても、何を自分は知ろうと思っているのかわからなくても、
突然「これだ」ってわかる。

それを知るためにこの本を読んでいたのだということが
読んでいくうちにわかる。読み始めた時には、
自分が何を求めてその本を手に取ったのかわからなかったのに、
読んでいるうちにわかる。

それが可能なのは、情報を入力するたびに、
一行読み進むたびに頭の中の仕組みを
どんどん組み換えているからですよね。

知性の運動というのは、
必ず集団的、共同体的に働くということが忘れられてるんじゃないかな。
単独の知性というのは存在しないんです。
知性は必ず他の知性との相互関係の中で活動する、
本質的に共同的、集合的なものだと僕は思うんです。

~~~ここまで引用

そうそう。
予測不可能な学びが楽しくて、
地域活動っていうのがあるのだと思うなあ。

そういう直感、直観を磨くこと。
ここに学びの本質があるように思います。

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Posted by ニシダタクジ at 09:28│Comments(0)
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