2016年10月21日
直感知を積み重ねる
「日本の反知性主義」(内田樹編 晶文社)
引き続き、この本より。
「身体を通した直感知を 名越康文×内田樹」から。
~~~ここから引用
ものを学習していったり、
物事の論理性や関係性を発見したり、
現象の背後にある法則を発見したりというのは、
ただデータを積み重ねていってできるというものでもない。
「あ、わかった」と瞬間的に視界が開けるものじゃないですか。
知性の活性化・高度化って、
ものの考え方の構造そのものを作り変えて、
思考のシステムを再組織化することじゃないですか。
今すでにあるものを局所的に強化することとは全然違う。
今ある仕組みを手つかずにしておいて、
局所だけ量的に強化すれば、むしろシステムは硬直化する。
使いものにならなくなる。
「頭のよさ」って、結局は「頭がしなやか」ということなのに。
検索ってキーワードを知らないとできないじゃないですか。
だけど、僕らが今考えているような知というのは、
キーワードがなくても、何を自分は知ろうと思っているのかわからなくても、
突然「これだ」ってわかる。
それを知るためにこの本を読んでいたのだということが
読んでいくうちにわかる。読み始めた時には、
自分が何を求めてその本を手に取ったのかわからなかったのに、
読んでいるうちにわかる。
それが可能なのは、情報を入力するたびに、
一行読み進むたびに頭の中の仕組みを
どんどん組み換えているからですよね。
知性の運動というのは、
必ず集団的、共同体的に働くということが忘れられてるんじゃないかな。
単独の知性というのは存在しないんです。
知性は必ず他の知性との相互関係の中で活動する、
本質的に共同的、集合的なものだと僕は思うんです。
~~~ここまで引用
そうそう。
予測不可能な学びが楽しくて、
地域活動っていうのがあるのだと思うなあ。
そういう直感、直観を磨くこと。
ここに学びの本質があるように思います。
Posted by ニシダタクジ at 09:28│Comments(0)
│本
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