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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年10月24日

まるでCDのコンピレーションアルバムのように

まるでCDのコンピレーションアルバムのように

昨日は、川崎・武蔵新城の
「プロジェクト3号室」のキックオフでした。

高校生にとっての第3の部活動をつくる。
それが大学生や20代にとっての部活になる。

「受益者」になるだけではつまらない。
「投資」じゃないと面白くない。
自分にとっても、他者にとっても、地域にとっても。

そんな、10年後に開けるタイムカプセルのような「場」をつくる

いいかもしれないなあ。
素敵な話ができました。

翌日(つまり今日)、電車の中で読んだこの本。

まるでCDのコンピレーションアルバムのように
「コミュニティ難民のススメ」(アサダワタル 木楽舎)

2016年下半期、最高にシビれた1冊になりました。
新刊書店であり続けたいと思うのは、
このような、「この本を売らなければ」と思える1冊に出会えたとき。
甲府の春光堂書店さん、本当にありがとうございます。

ツルハシブックス閉店の3DAYSでは、
この本を30冊くらい取り寄せて、売りまくろうと思っています。
サイン、書きます。僕のサインですが(笑)

「コミュニティ難民のススメ」です。
結論から言えば。(笑)

この本の定義によれば、
(詳しくは本書の32ページ)

個人の生産活動において、
特定の分野のコミュニティに重点的に属さず、
同時に表現手段も拡散させることで、新たな社会との
実践的な関わりを生み出す人々

のことだという。
つまり、1つのコミュニティの中の人になるのではなく、
いろんなコミュニティの狭間に生きたりする人のこと。

それは自分の感性の発動によって、
必然的に起こるのかもしれないと。

まだ、実は第3章までしか読んでないのだけど、
銀行員、建築士、宿屋の主人と、
越境する仕事や活動をしている人たちの事例と言葉にシビれまくります。

さて、今日は、さっき読んだばかりの
第3章の山中湖のほとりで「ホトリニテ」という宿をやっている
高村さんの話から。

~~~ここから一部引用

でも、ずっと関わってきた音楽を、
急に明日から「趣味」に切り替えるなんてことが、
本当にできるのだろうか?

物理的には、確かに音楽での収入はなくなり、
またそこに割いてきた時間も大幅に減るのかもしれない。

とはいえ、きっと目には見えない、
身体の奥底にある表現的感性は、
そんなに簡単に消えるものではない。

次に始める仕事の各要素に
これまで稼いできた表現的感性を
存分に埋め込み、まったく新しい表現=仕事
を確立している人たちも存在するのだ。

「うちは、素泊まりの宿にずっとこだわって来たんです。
なぜなら、ここで商売を完結するのではなく、
お客さんをこの地域のいろんなお店につないでいきたいから。
いかに山梨を楽しむかってことを伝えるのも話芸だし、
そして他のお店から帰ってきたお客さんのレスポンスをどう受け止め、
さらにこの地域の魅力を伝えることができるかも僕の芸のうち。
そういう意味では、地域のハブとしての機能を果たし続けることを意識してますね。」

「宿業」という職業像を変える。

「宿にこそ、冗談を」

「何が起きても、許せるよ」

僕の中では、面白い宿をつくっているというよりは、
未だ見ぬ、定義され得ない場をつくっている感じ。
そういう心持ちでないと、宿芸の極みには、辿り着けない。

宿主だって、まったく新しい価値や専門性を提示できる職業になれるはずでしょう。
僕はあくまで宿の経営者として世に出たいのではなく、
宿芸人としてのプロフェッショナルを追求していきたい。

ナオキが目指しているのは、音楽で言えば、
「いまこういうジャンルが出て来たらしいよ」というニュアンスよりは、
もはや「音楽なのかどうかもわからない何か」を目指す表現のあり方だ。

その感性を宿業という日常的な職種に置き換えれば、
自分の持つ専門性や、いまこの場で発生している
あらゆるコミュニケーションの一つひとつに対する
解像度をぐっと上げて(ズームイン)いきながら、
そこでピントに合わせて芸を埋め込み、
そして再俯瞰化(ズームアウト)して確認すれば、
「もはやそれは宿なのか!?」という状況を表す。

世間一般で言われる、芸がある、芸が細かいという言葉は、
表現活動を本気で通過してきた高村直喜にとっては、
とてつもなくリアリティを伴う言葉なのではないだろうか。

ラジオや地域サロンが「本業」とは言えないかもしれない。
しかし、こうしたアウトプットによってしか伝わらないことや、
繋がれない相手がいることは確かだ。

まるでCDのコンピレーションアルバムのように、
アート的なるまなざしを編集し、パッケージングすることは、
今、目の前にある日常や仕事に対する審美眼を
肥やすためのレッスンとして有効であったと実感している。

そう、あなたが今暮らすその生活や働く職場にだって、
あらかじめ何かしらの表現の種子が埋め込まれているのかもしれないのだから。

その種子を発見して誰かに伝えることは、
場合によっては、自分の価値観を理解してもらえない
戸惑いを助長してしまうかもしれない。

でも、その時に、その内的難民性を理解してくれる仲間たちが
津々浦々、多(他)分野に存在することを思い出してほしい。

そして、いつか必ず仲間たちとの出会いを
果たすときが来ると希望を持ちつつ、
どうかその気づきから生まれる新しい生き方・働き方を、
迷いながらも肯定してほしいと、心から思うのだ。

~~~ここまで一部引用

もうね、わーーーって叫びたい感じですよ。
よくぞこの本をこのタイミングで目の前に持ってきたなと。

ツルハシブックス閉店のメッセージとは、
一言でいえば、「コミュニティ難民のススメ」
なのかもしれない。

ツルハシブックスというコミュニティは解散し、
ひとりひとりは「コミュニティ難民」になる。
(本書で使われている意味合いとは違うけど)

でも、それは、
ひとりひとりにとって、
「生きる」の振り出しに戻ることではないだろうか。

「コミュニティ」は安心感をくれる。
しかし、そこにとどまっているだけではいけないのだ。

無数の第3の場所を、第3の部活動を、
自分の感性の発動に従って、つくっていくことだ。

そして、越境し、コラボレーションし、
CDのコンピレーションアルバムのような場を、空間を、時間を
つくっていくことだ。

これからつくられるコンピレーションアルバムに、
「ツルハシブックス」という曲が入っているかもしれないと、
祈りを込めて、11月3日~5日ラスト3DAYS、この本を売ります。

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Posted by ニシダタクジ at 08:22│Comments(0)
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