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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年10月31日

「夢」という言葉から夢が失われていく30年


「転換期を生きる君たちへ~中高生に伝えておきたいたいせつなこと」(内田樹編 晶文社)

3部作の最終巻。
今年の7月30日が初版。
週末の電車のバス移動の間に読み終わりました。
面白かった。

中高生にほんとに読んでほしい1冊。
ハックツ寄贈しようかな。

もっとも、そうそう!と唸ったのは、
小田嶋隆さんの「13歳のハードワーク」

村上龍さんが書いた「13歳のハローワーク」に
対するアンチテーゼ。

僕自身も若者と接しながら、
同じような疑問を抱いていたので、
胸に突き刺さることばかりでした。

まずは前段から。

~~~ここから一部引用

昨今、ものわかりのよさげな大人は、
誰もが異口同音に
「自分だけの夢に向かって努力しなさい」
といった調子のお話を子供に吹き込む決まりとなっているからだ。

50年前には、夢をもっている子供はむしろ少数派だった。

にもかかわらず、夢なんかなくても、
子供時代は楽しかった。当然だ。

子供は、「いま、ここ」にあるがままにある存在で、
その時々の一瞬一瞬を、その場その場の感情のままに生きている。

その、あるがままの子供たちは、
「将来の展望」や「未来への希望」を特段に必要としていない。

彼らの生活は、「大人になるための準備」として
運営されているのでもなければ、「
「夢への助走」として立案されたものでもない。
子供であるところの楽しさというのは、
元来、そこのところ(未来や過去と切り離されているところ)にある。

「夢」を持つことは、一見、
前向きで素晴らしい取り組みであるように見える。
しかしながら、注意深く検討してみると、
「夢」は「未来のために現在を犠牲にする」要求を含んでいる。

ということは、「夢を持ちなさい」という
一見素敵に響くアドバイスは、その実、
「今を楽しむ」という子供自身にとって最も大切な生き方を
真っ向から否定する命令
(具体的には「将来のために今の楽しみを我慢しなさい」ということ)
でもあるわけで、

若いころに自分で「夢」だと思っていたものが、
大人になった時点から振り返ってみると、
ただの「虚栄心」だったという例は珍しくない。

「夢」という単語が、ほぼ必ず「職業」に結びつく
概念として語られるようになったのは、
この30年ほどに定着した比較的新しい傾向だということだ。

「実現可能」だったりするものは、はなから「夢」と呼ばれなかった。

それが、いつの頃からか、
「夢」は、より現実的な「目標」じみたものに変質した。
そして、現実的になるとともに、
それは年頃の男女が、一人にひとつずつ
必ず持っていなければならない必携のアイテムとして
万人に強要されるようになっている。

21世紀にはいって十数年が経過した現在、
「夢」は、子供たちが「将来就きたい職業」
そのものを意味する極めて卑近な用語に着地している。
なんという夢のない話であることだろうか。

結局、この30年ほどのあいだに、
われわれは、より都市の若い子供たちに、
「実現可能な夢を早い段階で確定しておきましょう」
という感じのプレッシャーを与える教育をほどこしてきたわけだ。
ということはつまり、少なくとも平成にはいって以来の社会の変化は、
「夢」という言葉から夢が失われていく過程そのものだったということになる。

~~~ここまで一部引用

ちょっとこのまま「13歳のハローワーク」の
話に突入していくと文章量がたいへんなことになるので、
ここでいったん切ります。

たしかに、
昭和世代に小学校時代を過ごした僕としては、
(平成2年に中学校を卒業)

まだその「夢」の古きよき時代だった。
小学校のクラス文集で、「しょうらいのゆめ」
を書いたとき、

男子のあいだで「釣り」ブームに沸いていたとき、
「釣り名人」と書く男子が続出してた。
たしかにそれ、「職業」を想定していないな。
そんなもんだった。

この前段のポイントはココだ。

「夢なんかなくても、
子供時代は楽しかった。当然だ。

子供は、「いま、ここ」にあるがままにある存在で、
その時々の一瞬一瞬を、その場その場の感情のままに生きている。

その、あるがままの子供たちは、
「将来の展望」や「未来への希望」を特段に必要としていない。

彼らの生活は、「大人になるための準備」として
運営されているのでもなければ、「
「夢への助走」として立案されたものでもない。
子供であるところの楽しさというのは、
元来、そこのところ(未来や過去と切り離されているところ)にある。」

いま、ここ、この瞬間。
それを楽しむこと。
それは子供時代の特権であり、
子供であるところの楽しさ、であるからだ。

このあと、本文は
「13歳のハローワーク」に対する考察に突入していく。

詳しくは明日。

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Posted by ニシダタクジ at 08:12│Comments(0)
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