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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年12月31日

「学校」から「市場」へ

「学校」という仕組みは、
近代社会の成立とともに成立した。

一斉授業
集団行動
上意下達

それは、おそらく、
工場や軍隊で機能する人々を養成するためであった。

富国強兵。
それがないと、諸外国に侵略されてしまう。

そんな危機感の中、
明治維新後、我が国は急速に近代化した。

そしてそれは、一時期成功し、また失敗したかに見えた。
しかし、第二次世界大戦後。
第二次産業革命の中でふたたび花を開く。

工業社会。
人口が増え続け(人口ボーナス)
それに伴った家電製品が売れ続け、
かつ、安価な労働力が提供され続ける。

それがかみ合った結果、
空前の経済成長が起こった。
そこに「学校」あるいは「教育」は大きく機能した。

2016年11月21日 20代の宿題
http://hero.niiblo.jp/e482895.html

ところが。
時代のほうが変わってしまった。

もう、家電は売れない。
全世帯に行き渡ってしまったから。
人口は増え続けてはいないから。

日本の人件費は上昇し、
海外との価格競争に勝てない企業は、
工場を海外に移転して生き残りを図る。
売るのも当然海外の市場だ。

もう、前提が変わってしまっているのだ。

それなのに、「学校」「教育」は
構造的にはあまり変わっていない。

多くの場合、高校まで、
一斉授業、集団行動、上意下達
を叩き込まれる。

そこで、「人と違っていること」を
悪いことだと思い、個性を抑え込むことも多い。
不登校であること、マイノリティであることで、
「世間」に対して負い目を感じてしまう。

ところが大学に入った瞬間に
個性は武器となり、就職活動ではそれが問われる。

もう、「学校」ではないのかもしれない。

いや、今でも、
大きな組織に入って、働こうと思うのならば、
集団行動、上意下達は必須の条件だろう。

しかし、もし、
自分の個性を生かした
スモールビジネスを興していくことを
将来としてイメージするならば、

そのチカラは「学校」だけでは、
磨かれないのかもしれない。
いや、「学校」ではむしろ、
そのチカラが削がれていくかもしれない。

そのチカラとは、
「感性」であり、「想像力」であり、「創造力」だ。

だから、
「学校」ではなく、「市場」なのかもしれないと思った。

「店」の語源は「見世」、つまり、
誰かに見せるためのものだった。

現金をやりとりするかしないかにかかわらず、
何かを「見世」る、

そんな場をつくることが、
これからの「学び」の場になっていくのではないか、

かつてはそれを学びの場として、
人は考え、試行錯誤し、自分なりの生き方を
探していったのではないか。

「学校」から「市場」へ。

未来がそこにあるような気がした、12月29日のミーティングだった。

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Posted by ニシダタクジ at 08:04│Comments(0)言葉
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