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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年01月31日

「本屋をやる」とは、「常に変わり続ける」ということ

「本屋をやる」とは、「常に変わり続ける」ということ
芸術批評誌【リア】vol.32 特集「本をとどける」

たぶん、水戸芸術館のミュージアムショップで購入。
最近は積ん読だった本が絶妙のタイミングで
目の前に現れてくるから読書が楽しい。

リアの冒頭での
ヴィレッジヴァンガード創設者の菊地敬一さんと
ちくさ正文館本店の古田一晴さんの対談。
これを「本屋は死なない」の石橋毅史さんが進行する。

これが熱かった。
キーワードだらけ。

なぜ、本屋なのか?
に対して、熱く熱く問いを深めてくれる。

以下キーワードを

~~~以下一部引用

つまり、ハードじゃなくて、ソフトなんですよね。
ソフトが一番大事で、ソフトは真似できない。動いてますから。

一部を切り取って真似できても、
動きは分かんないんで、基本的についていけない。

ヴィレッジヴァンガードの棚を見たときには、
この人(菊地さん)の頭の中は次へ行っているわけだから。

芸術性と通俗性のコンフリクト。

初期のアーリーステージは、
僕なりに「BRUTUS」の世界を立体的に
具現化するってことを志向して
立体BRUTUSをやってました。

イオンや生活創庫にでて、
立体BRUTUSじゃ立ち行かなくなったんですよね。
基本的にお客さんと対話しながらインターフェイスしながら
品揃えしていきますから、立ち行かなくなった。

中高生、ファミリー、おばあちゃんおじいちゃんを
相手しなきゃとなってBRUTUSのクールな感じが
失われていって、「BRUTUS」から「月刊宝島」になったんですよね。

「本屋をやりたい」、それは崇高な理念であるけれど、
継続させようとすれば利益を出さなければならない。
人はその狭間で悩むんですよ。
でもその悩みを最初から拒否してるんですよね、恐らく。
それっておかしいよね。もうちょっとその思いを発酵させればいいよね。

いろいろ突き詰めて考えたら、
やっぱり粗利を上げるしかないんですよ。
でも好きな本は売りたい。
その狭間にすごく悩んだ時に、粗利で雑貨を一緒に売る。

アナロジーを駆使して、本の隣に雑貨を置いて、
雑貨の隣に関連したCDを置いてということを、
僕らは融合させたんです。
複合ではなく融合。大事なのはここです。
それがコロンブスの卵だった。
そしてそれが名古屋の若者にウケたんですよね。

あの頃の夢と今の夢は違いますよ。
だって夢はどんどん変わっていかないと馬鹿でしょ。
教条主義・原理主義ほど生き方をスポイルするものはない。

そりゃあ僕だって変遷がありますよ、ものすごく。
あの頃の自分のインタビュー見ると笑っちゃいますよ。
恥ずかしくて穴に入りたいくらい。

ヴィレヴァンでは、Tシャツで仕事ができるんです。

月に100人来る本屋と月に1万人来る本屋、
どっちが社会的貢献が高いかって、
そりゃ1万人に決まってますよ。

でも、100人の方、つまり弱い者、マイノリティの方を
特にマスコミさんはね(笑)、すごく持ち上げるんです。
それでミスリードしちゃう。

「僕のことはつかまえられないよ」
こうなんだという、固定した形で語るということは
できないという意味で。

本というと、経営という現実的な問題と、
芸術性という文化というものがありますが、
書店をやる以上は通俗性とは
分かちがたいものがあるわけですよね。

アマゾンのアルゴリズムを使えるんだったら
使ったほうがいい。あれは統計学ですから。

最後の砦は、店主の人柄だけ、残念だけど、
それしかもう残っていない。(早川義夫さん)

具体的な夢を生き生きと想像する奴だけに、
その夢の実現は選択的に訪れる。

この本をどこで買ったかと思い出す時に、
ヴィレッジヴァンガートで買ったということを
まざまざと思い出すような本屋にしたいというのが具体的な夢でした。

~~~ここまで一部引用

いいですね。
熱いですね。
すごく熱いです。

この対談の締めくくりには、
ロバート・D・ヘイルの言葉が引用されている。


本の真の実質は、思想にある。
書店が売るものは、情報であり、霊感であり、
人とのかかわりあいである。
本を売ることは、
永久に伝わる一種の波紋を起こすことである。
(中略)書店は、書棚に魔法を満たすことも、
風を吹かせることもできる。
(中略)書店人が、特別な人間でなくてなんであろう。
(書店販売の手引―アメリカ書店界のバイブル)


そして、石橋さんの締めも素敵。

本屋にとって「本をとどける」とは、「売る」ことなんですよね。
生活していくための現実的な営為を抜きにして、本を語りえない。

それと、「常に変わり続けること」が
常態で、こうでなければいけない、こうしておけばいい、
と見方や関わり方を固定させた時点で役割が終わってしまう危うさもある。

本屋の凄さ、面白さを、お二人の話からあらためて感じました。
有難うございました。

うーん。
ホント、ありがとうございました。

なぜ、本屋なのか?
に対する熱い熱いメッセージをもらいました。

僕も、菊地さんが言うように、
本棚の本、手元の本をあらためて見たときに、
この本、どこで買ったんだっけな?
と思い出してもらえるような本屋になりたかったと
あらためて思いました。

まだ、これからなのですね、きっと。

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Posted by ニシダタクジ at 08:32│Comments(0)
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