2017年02月14日
対話型キャリア形成
キャリアドリフトは、東洋的キャリアなのではないか、
という仮説は、僕の中では結構しっくりと来ている。
今日、2月14日は、
岡倉天心先生の生誕の日。
150年前。
西洋化の道をひた走る日本美術界に、
東洋にもいいものがある、と
日本・インド・中国文化を発信し続けた。
その生き様に触れ、胸が熱くなる。
「自分をいかして生きる」(西村佳哲 ちくま文庫)
読み終わり。
ラストに近づくにつれて、西村さんの
熱意と問いがあふれ出てくる。
働くことは本当に喜びなんだろうか?
とはじまる第3章が熱い。
~~~以下引用
本質とまで言わないにしても、生まれてきたからには
本領を発揮したいしエネルギーを解き放ちたいわけで、
その意味でも、仕事はきわめて有力で魅力的なメディアだ。
自分にも、他者にも、社会にも深く関わることが可能で、
承認欲求も満たせば成長快感も得られるし、
仕事の体験を通じた感情や感覚の起伏はそのまま生きている手応えにもなる。
でも本人の実感以外のところから、まるで倫理や徳や常識のように語られる
「働くことは喜びである」といった言い切りには同意しきれない。
それが〈自分の仕事〉ならむろん働くことは喜びになると思うが、
そう思い込まされるようなファシリテーションが社会に施されているとしたら?
そもそもこの、働くことはよいことであるという考え方は、
人類史の途中から姿をあらわしたものだ。
その時々の為政者や権力によって人々に与えられてきた痕跡も見受けられる。
これは労働文化史の領域では決して斬新な視点ではない。
働くことをよしとする価値観は、近世のヨーロッパで生まれ、
キリスト教と産業革命を足がかりに世界へ広がった。
労働や働くことをよしとする考え方は、
共産主義においても資本主義においても機能した。
それは都市化・数量化・産業化の流れに沿って広がった
近代以降の価値観であって、それ以前の社会には、実はあまり見られないという。
人は、より生きているという実感に喜びをおぼえる。
仕事はその感覚を得やすい媒体のひとつである、というだけのことだ。
ただ働くことだけが、わたしたちの生を充足させるわけじゃない。
価値観の形成過程に誘導性も感じられるので、
このことについては、むしろ慎重でいたい。
~~~ここまで引用
「仕事」このくらい俯瞰して見ること。
そもそも働くことそのものはよいことなのだろうか?
いつからそんな価値観が浸透したのだろうか?
それは、自分たちの意思ではなかったのではないか?
そんな問いを問うことがキャリア形成の出発点なのではないか?
と思う。
対話型キャリア形成。
僕はこれを目指していこうと思う。
本屋であること。
本の処方箋というコンテンツを持っているということ。
地域というフィールドに大学生を送り出していること。
そのすべてがそこに向かっている。
目標設定・達成という
キャリアデザインなるもの。
それが唯一の方法ではないということ。
もちろん昨日のブログで書いた東洋的キャリア形成も
そのひとつの方法にすぎないのだけど。
それらを組み合わせながら、
<自分の仕事>をつくっていくこと。
それをサポートしながら、
僕自身が<自分の仕事>をつくってみようと思った。
岡倉天心先生のように、
西洋だけでも、東洋だけでもない、
その両方と、そのあいだの道があるのだと、
そしてひとつなのだと。
まあ、茶でも飲もうじゃないか、と。
そんな「対話型キャリア」というジャンルを
切り拓いていきたいと思った。
未来という「自然」に向き合い、
一体化して、ともにつくっていく仕事。
そんなのをつくりたいね。
という仮説は、僕の中では結構しっくりと来ている。
今日、2月14日は、
岡倉天心先生の生誕の日。
150年前。
西洋化の道をひた走る日本美術界に、
東洋にもいいものがある、と
日本・インド・中国文化を発信し続けた。
その生き様に触れ、胸が熱くなる。
「自分をいかして生きる」(西村佳哲 ちくま文庫)
読み終わり。
ラストに近づくにつれて、西村さんの
熱意と問いがあふれ出てくる。
働くことは本当に喜びなんだろうか?
とはじまる第3章が熱い。
~~~以下引用
本質とまで言わないにしても、生まれてきたからには
本領を発揮したいしエネルギーを解き放ちたいわけで、
その意味でも、仕事はきわめて有力で魅力的なメディアだ。
自分にも、他者にも、社会にも深く関わることが可能で、
承認欲求も満たせば成長快感も得られるし、
仕事の体験を通じた感情や感覚の起伏はそのまま生きている手応えにもなる。
でも本人の実感以外のところから、まるで倫理や徳や常識のように語られる
「働くことは喜びである」といった言い切りには同意しきれない。
それが〈自分の仕事〉ならむろん働くことは喜びになると思うが、
そう思い込まされるようなファシリテーションが社会に施されているとしたら?
そもそもこの、働くことはよいことであるという考え方は、
人類史の途中から姿をあらわしたものだ。
その時々の為政者や権力によって人々に与えられてきた痕跡も見受けられる。
これは労働文化史の領域では決して斬新な視点ではない。
働くことをよしとする価値観は、近世のヨーロッパで生まれ、
キリスト教と産業革命を足がかりに世界へ広がった。
労働や働くことをよしとする考え方は、
共産主義においても資本主義においても機能した。
それは都市化・数量化・産業化の流れに沿って広がった
近代以降の価値観であって、それ以前の社会には、実はあまり見られないという。
人は、より生きているという実感に喜びをおぼえる。
仕事はその感覚を得やすい媒体のひとつである、というだけのことだ。
ただ働くことだけが、わたしたちの生を充足させるわけじゃない。
価値観の形成過程に誘導性も感じられるので、
このことについては、むしろ慎重でいたい。
~~~ここまで引用
「仕事」このくらい俯瞰して見ること。
そもそも働くことそのものはよいことなのだろうか?
いつからそんな価値観が浸透したのだろうか?
それは、自分たちの意思ではなかったのではないか?
そんな問いを問うことがキャリア形成の出発点なのではないか?
と思う。
対話型キャリア形成。
僕はこれを目指していこうと思う。
本屋であること。
本の処方箋というコンテンツを持っているということ。
地域というフィールドに大学生を送り出していること。
そのすべてがそこに向かっている。
目標設定・達成という
キャリアデザインなるもの。
それが唯一の方法ではないということ。
もちろん昨日のブログで書いた東洋的キャリア形成も
そのひとつの方法にすぎないのだけど。
それらを組み合わせながら、
<自分の仕事>をつくっていくこと。
それをサポートしながら、
僕自身が<自分の仕事>をつくってみようと思った。
岡倉天心先生のように、
西洋だけでも、東洋だけでもない、
その両方と、そのあいだの道があるのだと、
そしてひとつなのだと。
まあ、茶でも飲もうじゃないか、と。
そんな「対話型キャリア」というジャンルを
切り拓いていきたいと思った。
未来という「自然」に向き合い、
一体化して、ともにつくっていく仕事。
そんなのをつくりたいね。
Posted by ニシダタクジ at 08:10│Comments(0)
│本
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。