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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年03月05日

人の魅力からコンセプトの魅力へ

プロジェクトが始まるとき。
そこには「人の魅力」が重要である。

その人に吸い寄せられるようにして、
人が集まってくる。

ほぼ「プロジェクト=人」である状態。

「〇〇プロジェクトをやっている〇〇さん。」
に会いに行く。
会いに行きたくなる。

そうしないと、
小さな事業は始まってはいかないと思う。
特に非営利事業はそうであると思う。

コンセプトももちろん大事だけど、
誰が語ったか、によって、
プロジェクトの成否が決まる。

それが第1フェーズ。

だんだんと
「プロジェクト>人」にしていかないといけない。

そうしないと、
その人がいなくなったらどうなるのか?
という問題が生じる。

そこで、必要になってくるのがコンセプトの力だ。

何が大切なのか、何が提供している価値なのか。
それを参加している人たちが共有していること。
(必ずしも「言語化」されている必要はない)

それができてくると、
「場のチカラ」が形成されてくる。
すると、最初の発起人の存在感が薄れてくる。
それが第2フェーズ

そして、最後には、その場やコンセプトに対して、
人が集まってくるようになる。
そのとき、発起人の存在は不要になる。

まきどき村もツルハシブックスも
そのようなフェーズをたどってきたように思う。

現代は、ソーシャルネットワークサービスなどの影響で、
「個」に重きを置きすぎる傾向がある。

これまでの工業社会で、
「個」が疎外されてきたというか、
アイデンティティの発揮を限りなく少なくする方向に
動いてきた。(昨日の属人的な話のような)
その反動であるのかもしれないが。

ただ、コンセプトではなく、「個」に注目しすぎると、
その活動は一般化しないというか、
継続性と再現性(だれでもどこでもいつでもできる)がなくなっていく。

だから、コンセプトをもっと大事にしていく必要がある。
きっと、コメタクはそういう過渡期にあるのだろうな。

人からコンセプトへ。
第2フェーズが始まろうとしている。

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Posted by ニシダタクジ at 08:50│Comments(0)日記
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