2017年03月05日
人の魅力からコンセプトの魅力へ
プロジェクトが始まるとき。
そこには「人の魅力」が重要である。
その人に吸い寄せられるようにして、
人が集まってくる。
ほぼ「プロジェクト=人」である状態。
「〇〇プロジェクトをやっている〇〇さん。」
に会いに行く。
会いに行きたくなる。
そうしないと、
小さな事業は始まってはいかないと思う。
特に非営利事業はそうであると思う。
コンセプトももちろん大事だけど、
誰が語ったか、によって、
プロジェクトの成否が決まる。
それが第1フェーズ。
だんだんと
「プロジェクト>人」にしていかないといけない。
そうしないと、
その人がいなくなったらどうなるのか?
という問題が生じる。
そこで、必要になってくるのがコンセプトの力だ。
何が大切なのか、何が提供している価値なのか。
それを参加している人たちが共有していること。
(必ずしも「言語化」されている必要はない)
それができてくると、
「場のチカラ」が形成されてくる。
すると、最初の発起人の存在感が薄れてくる。
それが第2フェーズ
そして、最後には、その場やコンセプトに対して、
人が集まってくるようになる。
そのとき、発起人の存在は不要になる。
まきどき村もツルハシブックスも
そのようなフェーズをたどってきたように思う。
現代は、ソーシャルネットワークサービスなどの影響で、
「個」に重きを置きすぎる傾向がある。
これまでの工業社会で、
「個」が疎外されてきたというか、
アイデンティティの発揮を限りなく少なくする方向に
動いてきた。(昨日の属人的な話のような)
その反動であるのかもしれないが。
ただ、コンセプトではなく、「個」に注目しすぎると、
その活動は一般化しないというか、
継続性と再現性(だれでもどこでもいつでもできる)がなくなっていく。
だから、コンセプトをもっと大事にしていく必要がある。
きっと、コメタクはそういう過渡期にあるのだろうな。
人からコンセプトへ。
第2フェーズが始まろうとしている。
そこには「人の魅力」が重要である。
その人に吸い寄せられるようにして、
人が集まってくる。
ほぼ「プロジェクト=人」である状態。
「〇〇プロジェクトをやっている〇〇さん。」
に会いに行く。
会いに行きたくなる。
そうしないと、
小さな事業は始まってはいかないと思う。
特に非営利事業はそうであると思う。
コンセプトももちろん大事だけど、
誰が語ったか、によって、
プロジェクトの成否が決まる。
それが第1フェーズ。
だんだんと
「プロジェクト>人」にしていかないといけない。
そうしないと、
その人がいなくなったらどうなるのか?
という問題が生じる。
そこで、必要になってくるのがコンセプトの力だ。
何が大切なのか、何が提供している価値なのか。
それを参加している人たちが共有していること。
(必ずしも「言語化」されている必要はない)
それができてくると、
「場のチカラ」が形成されてくる。
すると、最初の発起人の存在感が薄れてくる。
それが第2フェーズ
そして、最後には、その場やコンセプトに対して、
人が集まってくるようになる。
そのとき、発起人の存在は不要になる。
まきどき村もツルハシブックスも
そのようなフェーズをたどってきたように思う。
現代は、ソーシャルネットワークサービスなどの影響で、
「個」に重きを置きすぎる傾向がある。
これまでの工業社会で、
「個」が疎外されてきたというか、
アイデンティティの発揮を限りなく少なくする方向に
動いてきた。(昨日の属人的な話のような)
その反動であるのかもしれないが。
ただ、コンセプトではなく、「個」に注目しすぎると、
その活動は一般化しないというか、
継続性と再現性(だれでもどこでもいつでもできる)がなくなっていく。
だから、コンセプトをもっと大事にしていく必要がある。
きっと、コメタクはそういう過渡期にあるのだろうな。
人からコンセプトへ。
第2フェーズが始まろうとしている。
Posted by ニシダタクジ at 08:50│Comments(0)
│日記
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