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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年03月28日

「私」を外す、という美学

読書運があるような気がする。


「すべての教育は洗脳である~21世紀の脱・学校論」(堀江貴文 光文社新書)

に衝撃を受け、

次に、手に取ったのは3月頭に買っていた本


「日本人」という、うそ: 武士道精神は日本を復活させるか(山岸俊男 ちくま文庫)

からの、
ちくさ正文館でビビっときたこの本。


「日本人は何を考えて生きてきたのか(斎藤孝 洋伝社)

謎がだんだんと解けていく感じ。
これが僕の読書の醍醐味なのだけど、
そんな幸せな読書時間を過ごした。

堀江さんから
まずはこんなイントロ。

「常識への信仰だけはおすすめしない。
はっきり言って、幸せになれる確率が低すぎる。」

ガツーンとくる。

そして、
「つまり学校はもともと、子どもという原材料を使って、
産業社会に適応した大人を大量生産する工場のひとつだったのである。」
とバッサリ。

「N(国民国家)幻想がなくなり、誰もが共有する幸せの正解がなくなった現在、
人は国民ではない民のひとりとして、自分だけの幸せを探し、
生き方を探し、働き方を探さなければならない。
それは、画一的な学校で教えられるものではない。」

とつづく。

そして、ITで一世を風靡した堀江さんの一言

「インターネットの恩恵は、他者と通信できることではなく、
所有の価値を著しく下げたこと。」
なるほど。
これはたしかに革命だ。

そして、次の本につながっていく一言は、

~~~ここから

逆算をすればするほど、人の可能性は狭まっていくと思っている。
100点というゴールを最初に設定し、それに向かって突き進んでも、
あなたはどんなに頑張ったところで100点までしか取れない。
100点以上を取れる確率はゼロだ。

でも逆算をやめ、1点1点を楽しみながら積み上げていけば、
無我夢中で動いている間に、200点、300点と
その点が膨れ上がっていく可能性が開かれる。

この場合、取れる点数の上限はない。
目標からの逆算を思い切ってやめたほうが、
得られるものの可能性は大きく膨らむのである。

~~~ここまで

なるほど。
逆算じゃなくて、没頭すること。
そこから人生は開かれていくのだと堀江さんは言う。
その通りだな。

次に、「日本人というウソ」の山岸さん
「安心社会」と「信頼社会」というキーワードで
日本を読み解く。

日本人が集団に合わせて自己主張をあまりしないのは
そのような態度をとっていたほうが結果として得だから、
つまり、「情けは人のためならず」というのは、
結局そっちのほうが得だから、っていう理由である。

この本の中で、いちばん印象に残ったのは
「武士道」と「商人道」の違いだ。
それは閉鎖型社会と開放型社会
とパラレルにつながっている。

武士道の倫理は閉鎖型社会をうまく生きるための倫理だ
それに対して商人道は、開放型社会を生きるための倫理だ

たとえるなら、
武士道では、
忠実であること、規律を遵守すること、名誉を尊ぶことがよしとされるが、
商人道では、
目的のために異説を唱えること、創意工夫、正直であることたよしとされる。

この2つは両立しない、
というのが筆者と、そしてジェイン・ジェイコブズの意見だ。

しかも、この2つを混用してしまうと、
「救い難い腐敗」が進んでしまうのだという。

あ~。
これはなかなか、鋭い。

最後に、斉藤孝さんのこれ。
いまこそ、のタイミングってある。
この本を読むために、っていうやつ。

~~~ここから

日本人は、神がいろいろあるなかで、
今日はこの神に手を合わせようというのならいいのですが、
この神しかいない、という強い信仰を強制されるのが
息苦しく感じられて嫌なのです。

なぜ息苦しく感じられるかというと、日本人にとって神というのは、
実は概念に過ぎないからです。天の恵み、地の恵み、
そうした概念に神の姿を与え、現実に合わせて便利に使いたいという、
非常に現実的な思考が日本人の心情にはあるのです。

捨てる神あれば拾う神あり、という諺があるように、
万が一、神の怒りに触れたとしても逃げ場があります。

~~~ここまで

そして、西田幾多郎のこの言葉

「主客があるかのように思うのは、私たちの思い込みにすぎない。
実は主客未分のほうが本来の姿であり、純粋な経験である。
経験の大もとを純粋な経験だとすると、純粋経験は主客未分でおこっているはずだ
本質を捉えようとするならば、私というものを前提として考えるのではなく、
むしろ主客を分けることができない純粋経験こそを追求するべきだと考えたのです。」

そして、鈴木大拙がつづく

「禅は科学、または科学の名によって行われる一切の事物とは反対である。
禅は体験的であり、科学は非体験的である。非体験的なるものは抽象的であり、
個人的経験に対してはあまり関心を持たぬ。
体験的なるものはまったく個人に属し、その体験を背景としなくては意義を持たぬ。
科学は系統化(システマゼーション)を意味し、禅はまさにその反対である。
言葉は科学と哲学には要るが、禅の場合には妨げとなる。
なぜであるか。言葉は代表するものであって、実体そのものではない。
実体こそ、禅においてもっとも高く評価されるものなのである。」

これだね。
これをキャリア理論に落とし込んでみる。

そもそも。
日本文化はそうやって、
自分を持たず、目標を持たず、
目の前にいる人と、目の前の時間を
共につくってきたのではないか?

そしてそれは、科学ではなくむしろ禅のようなものだったのではないのか。
身体性を重んじ、体験を重んじてきたのではないか。

キャリアデザインという一神教に
違和感を感じるのは当然なのではないか。

もっと状況に身を委ねてもよい。

この本の冒頭で、
「私」と言わない日本人、という項目が出てくる。

とくに俳句は、
5・7・5というシンプルな構成に奥深さがある。

松尾芭蕉は詠んだ。

五月雨を集めて早し最上川
荒海や佐渡に横たふ天の河
静かさや岩にしみ入る蝉の声
古池や蛙飛び込む水の音

西洋では、自然と自分を明確に分け、
あくまで自然ではない自分というものを表現するが、

日本では自然と自分を区別することなく、
自分を自然に溶け込ませることをよしとする。

それのようが心地よく、
それのほうが美しいと感じているのだと。

私を外し、自然と一体化する。
目の前を感じ、動き、振り返る。
きっとそうやって自分のキャリアも作られていくのだろうと思いました。

東洋的キャリア、だんだんと見えてくる3冊でした。

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Posted by ニシダタクジ at 05:18│Comments(0)
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