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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年04月26日

「学校」という輸入されたプラント


だがしや楽校の様子(2005.6)


「駄菓子屋楽校」(松田道雄 新評論)

読み進めていくたびに、ワクワクします。

今日は「店先学校」から。

「子どもたちが成長するにつれ
コミュニティの生活機能のなかに点在する
無数の小さな、学校でない学校で
補足せねばならない。」

「地域の商店街の八百屋や魚屋さんがもっていた、
買物や教育や散策やコミュニティの醸成といった
複合的機能は、見捨てられつつあります。」

なるほど
「店」は、学校でない学校だったんだな、と。

そして、この後、
議論は「店的人間」へと移る。

~~~ここから一部引用

同じように物を「見せ」る場所でも、
「店」と「博物館」は対照的な場所です。
通常、「博物館行き」と言えば、物の死を意味します。

また、人が出会う場所でも、
「店」と「学校」は対照的です。
店は消費者に主権がある「自由で開いた出会い」
であるのに対して、学校は教師が主権を持つ
「強いられた閉じた出会い」です。

物と人が両方存在するのは「店」です。
そういうことからも、「店」が最も
「生きた生活」を具現化している場所と
言うことができます。

もうひとつ、人が物を生み出す場所として
「田畑」があります。

この4つの場所
「田畑」「店」「学校」「博物館」は
そのまま人間のキャラクターになります。

ものをつくる「田畑型人間」(農家、職人、エンジニアなど)
交流し、物を流通させてお金を稼ぐことを志向する「店的人間」(商売人、起業家など)
規則にのっとり、組織運営を行うことを志向する「学校的人間」(公務員、サラリーマンなど)
人付き合いよりも物に固執して集めて分類整理する「博物館的人間」(研究者、趣味人など)

子どもの発達には、この4つの要素がすべて必要で、
子どもの環境にもこの四種の人々がいることが
望ましいのでしょうが、現代の日本社会には、
「店的人間」が最も欠如しているようです。

(中略)

「駄菓子屋」という「子どもみせ」は、
そのような「生きた学び」を体験するための
拠点だったのです。

~~~ここまで引用

なるほど。
店的人間か~。
僕のことや(笑)。

そういう大人が必要なんだな。
きっと。

そしてこのあと、
「学校の出現」という項に移る。

ここもなかなか衝撃

▽▽▽ここから引用

「モダンのアンスタンス―教育のアルケオロジー」(森重雄著)によれば、

「ここで私たちは、こんにちの私たちにはおなじみの学校や教室のたたずまいが、
じつは世界史上きわめて新しい建築物であり建築空間であったことを
思い起こさずにはいられない。

それはまず第一には、1530年のルターの説教に始まる
義務教育就学思想を、一人の人物(大人)が
おびただしい数の人物(子ども)を教えることができる
装置の開発というかたちで追求したラトケやコメニウスが、
その追求をつうじて17世紀にあみだした近代の特許的プラントであった。

このヨーロッパ大陸で生まれた「発明品」は
大英帝国の範図のなかで、ベル・ランカースターによる
エミュレーション、すなわち模倣を端緒とする技術革新をうけ、
18世紀終盤に監視システムへと発展する。

そしてこのプラントは、
19世紀中盤に新大陸でさらにエミュレート(革新)され、
日本開国の時期にはかの地で世界的にみて
最先端のプラントとして結晶化していた。」

ということであり、

明治政府は、欧米の強さの秘密を
「教育」にあると考え、欧米に負けず肩を並べるために、
欧米製の「学校」一式を「工場」と同じように
そっくりそのまま日本各地に直輸入したのです。

(中略)

そもそも近代の「学校」は
子どもを考えて作られたのではなく、
国家のために作られたのです。

森氏は、「学校」とともに「教育」という
ことばも、当時の日本人の言葉にはなかったことを
証明しています。

それまでは寺子屋での
「学文」(文字を学ぶ)と「手習い」で
「教育」ということばは「学校」という
ハードに入れるソフトとして出てきたのです。

この「学校」なるものをできた瞬間から、
「学校化」という社会現象が始まることになります。

フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの「〈子供〉の誕生」
によれば、

「教育の手段として、学校が徒弟修業にとって代わった。
つまり、子供は大人の中にまざり、大人と接触するうちで
直接に人生について学ぶのをやめたのである。」

私たちは、生命的で包括的な子育てや学びの営みを、
すべて「教育」ということばで「学校」の内容にしてしまった結果、
学校の外に存在していた豊かな営みを、
ことごとく削除してしまったのではないでしょうか。

「学校」が作られる以前から「子ども」は存在し、
「教育」が行なわれる以前から
「子育て」も「学び」もあったのです。
新たな「ガッコウ」と「キョーイク」のヒントは、
学校以前から受け継がれてきたものにあるはずです。

△△△ここまで引用

このあと、松田さんは、
寺子屋、駄菓子屋、学校の
学びの構図について説明しています。

寺子屋は(各自が机をバラバラに配置する)分散型であり、
駄菓子屋は、(もんじゃ焼きの鉄板を囲み)車座型であるのに対し、
学校は、(先生のほうを向いた)一点型となっているし、

寺子屋が、
自宅を開放し、ささやかな学びの場をつくったという
ボランタリー(自発的な)なものでした。

松田さんがいうのは、
駄菓子屋が消滅したことによって、
現代は「一点型」の学びしかないことが問題なのだと言います。

「一点型」の学びそのものが悪いわけではなく、
(たとえば、紙芝居などは「一点型」でした)

「分散型」や「車座型」のような
「学びの型」の多様性がなくなったことが
問題なのではないかと指摘します。

なるほど。
「個の多様性」をいう前に、
「学びの型の多様性」をつくることが大切なのではないか。

という意味では、
「本屋さん」っていうのは、
現代の「寺子屋」になり得るのではないかと。

そこには、分散型の学びと車座型の学びをつくることができる。

誰もが明日から自宅の一室を開放して
学びの場とすることができる。

一室を開放しなくても、
ひとつの本箱を持って、移動しながら
本屋をやるということもできるのだ。

イベントを開催すれば、
そこは車座的な学びの場となる。

松田さんの言葉を借りれば、
「学校だけがガッコウじゃない」ということなのだ。

それをどのように表現するのか?

ヘーゲルの弁証法を思い出す。
かつてあったものが一段高くなって復活してくる。

2005年から取り組んでいた「だがしや楽校」
と2011年からやってきた「ツルハシブックス」が融合し、

「寺子屋」や「駄菓子屋」機能を持つ、
新しい学びの場として機能する場を生んでいこうと強く思った。

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Posted by ニシダタクジ at 08:22│Comments(0)
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