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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年04月27日

「多様な価値観」は「学校化社会」では学べない


「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)

駄菓子屋楽校を読み進めようと思っていたけど、
昨日のそもそも学校ってみたいなところから、
ちょっとこちらを寄り道。
こちらも駄菓子屋楽校と同じく2002年発行。

読み進めてみると、キーワードが
たくさん出ています。

「多様な価値観を」と言いながら、
大枠では「学校的価値」を最大に重視しているように
思う今日この頃。

上野さんから学んでみようと。

第2章「学校に浸食される社会」は冒頭、
「学校はなぜ試行錯誤を子どもや若者に許し、
彼らが失敗から学んで育つ場所とはなっていないのでしょうか。」
という問いから始まるのですが、これが鋭いのでメモします。

~~~ここからメモ

学校という制度は近代以前にはありません。
近代になってから新しくできた職業は、官員さんと社員さんと教員さん。
「員」のつく名の職業です。これは学校も教師も、
すべて近代の産物であって、それ以前には存在しなかったということです。

師匠がボランティア的に開設していた寺子屋と違い近代の学校は、
国家が整えたひとつの制度です。

学校に通うことが義務とされ、
子どもの数に見合うだけの教室が建てられ、
そこに配置するための何十万という教員の集団が
師範学校で養成され、国定の教科書を使い、
同じようなセッティングで授業が行われる、
そういうシステムが整えられました。

そして、そこを通過することで
人間がある規格にはめられ標準化される。
―それを最近は「国民化」といいますが、
生まれも環境もばらばらな人間を、
均質な日本国民に仕立て上げていく事業が行なわれました。

学校という空間が「近代」的だというのは、
国民化の装置だったということばかりを指すのではありません。
学校の中に流れているイデオロギーが、
まさに近代のイデオロギーそのものなのです。

学校という空間は業績原理、
つまり「やればできる」という価値が
一元的に支配しているところです。

この業績尺度も一元的で、成績、すなわち点数
というもので決まっています。
門地や身分という帰属原理とは異なる業績原理、
つまり点数が採用されたので、
「だれでもやればできる」というルートが開かれました。

競争に参加するかしないかという選択肢など成り立たず、
競争に参加することがあたりまえだと思われるようになりました。

ところが、
フランスの社会学者ピエール・ブルデューによれば、
学歴と階層とのあいだには深い関連があって、
高い学歴を持っている人が上層階層を形成し、
その子弟がまた高い学歴を身につける傾向があります。

したがって、ブルデューは
「学校とはもともと階層差のある子どもたちを
もとの階層に再生産するためのふるい分けの装置だ」と言っています。

学歴社会では、学校での成績によって社会に出てからの処遇が決まり、
地位や給料というかたちで階層差が生じます。

上の階層の出身者は学校での成績もよかったので、
社会に出てからも上の階層になる。
下の階層の出身者も結局下の階層に収まる。
この再生産のカラクリが、学校を通過することで正当化されるのです。

なぜ学校がこのような階層再生産の装置として
働かなければならないのか。
これは民主主義の社会が持っているある種のジレンマだといえます。

自由・平等の民主主義の社会とは、
じつはまったく平等な社会というわけではありません。
人間の社会は実際にはそれぞれ異なる処遇と
異なる権力を付与された人びとから成り立っています。

だから人はみな平等のタテマエにもかかわらず、
他人が自分より優位な立場にあるということ、
支配的な立場にあるということを、
下位にいる人間にみずから合意してもらわなければなりません。

みずから合意すれば、服従させるコストが安くてすみます。
これが近代というもの、民主主義というもののしかけです。

もし合意がなければ、
服従を求めるためには脅し・暴力・締めつけと
とても高いコストを支払わなければなりません。

学校というシステムを通った後の
シビアな結果を正当化するイデオロギーが
業績原理であり、優勝劣敗のイデオロギーです。
自由・平等・博愛の民主主義のタテマエと現実の
あいだのズレは、こういうしかけがないと、とてもじゃないが埋まりません。

優勝劣敗主義は「敗者の不満」とともに「勝者の不安」を生み出します。
低偏差値の集団にも高偏差値の集団にも、きわめて強いストレス負荷を
かけるシステムなのです。

上位者を上位へ、下位者を下位へ再生産するカラクリの中で、
学校が何をやってきたのかというと、学校的価値を再生産してきました。

学校的価値とは、明日のために今日のがまんをするという
「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」です。
だから学校はつまらないところです。

いまを楽しむのではなく、つねに現在を未来のための手段とし、
すべてを偏差値一本で評価すること学習するのが学校なのですから。

その学校的価値が学校空間からあふれ出し、にじみ出し、
それ以外の社会にも浸透していった。
これを「学校化社会」といいます。
そして「偏差値身分制」とでもいうものが出現しています。

「偏差値身分制」を内面化するということは、
自己評価の評価軸が学校的価値とおなじになるということです。
だから女の子や偏差値の低い男の子たちは二言めには、
「どうせオレらは」「しょせん私は」と言うのです。
これを「人間の学校化」と言うのです。

こうした偏差値一元主義の学校的価値の中で育った
子どもたちが、いま、世代を更新して親となっています。

いまや家庭も地域もすでに崩壊し、
子どもを評価するものは偏差値しかありません。

それ以前の時代は、学校的なできる・できないとは
ちがう価値観が親のがわに比較的はっきりあったために
教師の言うことと親の言うことが違うのがあたりまえだったし、
上級学校に進学する志向もいまほどは一元化されていませんでした。

高度成長の余波で階層差が縮小してきたこともあるけれど、
それが高校全入運動あたりから学校と
家庭のあいだにあった価値観のギャップが
どんどん縮小し、家庭の価値が学校的価値に浸食され、
学校的価値にもとづいて親が子どもを判定するという状況が生まれ、
それがいまに続いています。

「無条件の愛」などというものは、昔も今も、
親ではなく、おじいちゃんやおばあちゃんにしかなかったでしょうが、

昔は家庭には学校とは違う価値があった。
「おまえはお父さんの言うことさえ聞いてればいいんや、
学校の教師のいうことなんか聞くな。」と強制する親がいました。

学校とは違う価値、多元的価値というものが、
地域や家庭やさまざまな場所に生きていました。

子どもというものは、
自分の生存戦略を学んでいくものです。
こちらが具合が悪ければ、あちらに逃げ道があると思って、
おばあちゃんのところへ行くのです。

大人は一枚岩ではないのだ、
いろいろな価値観があるのだ、
親の言うことが絶対でも教師だけが正しいのでもない、
教師のもとで居心地が悪ければ、
用務員のおじさんのところや養護の先生のところへ行けば、
別の空間があるんだと、子どもたちは
自分の生存戦略をみずから見出していく生き物です。

ところがそれを八方ふさがりにして、子どもの退路を断つこと、
大人がよってたかってやっている。
自分と違うことを言う大人がまわりにいてやったほうがいいとは、
大人は思わなくなってきている。

いま流行りの学校と家庭と地域の「連携」など
ということも、私にはそのように映ります。

学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります。

~~~ここまでメモ

うわ~、そうだなあって。

学校化社会、学校的価値の一元化って
誰も幸せにしていないな。

これ、日曜日にやったサードプレイスの話にもつながるけど、

「サードプレイス」は単なる場所じゃないくて、
学校的価値とは、異なる価値観(あるいは多様な価値観)が
に覆われる場でなければならないのだなあと思った。

そういう意味では、
いろんな店員が交代で店番をやる本屋は、
なかなかいい線いっている気がする。

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Posted by ニシダタクジ at 08:40│Comments(0)
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