プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人
オーナーへメッセージ

2017年04月28日

生産財としての学びと消費財としての学び


「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)

第4章 学校は授業で勝負せよ

いいですね。
ますます本質的です。

キーワード満載

前の章で、「産業資本主義から情報資本主義」
へと変わっていく後期資本主義の話が出てきます。
そこにつづいてのこの章。

~~~ここからメモ

教育とは、経済学用語でいうならば、
「人的資本への投資」です。

子どもたちは毎朝、カバンを持って通勤しているのとおなじです。
賃金を支払われないシャドウ・ワーカーが、学校在籍中の子どもたちです。

望ましい人的資本とはなにか?
あけすけに言えば「生産性が高い」ということです。

生産性とは、「情報生産性」のことです。

情報とは、すでにあるものとの違い、
既存のものとの「距離」のなかに生まれます。
これを「オリジナリティ」と呼びます。

「いけんがありませんか」というときには
「異見」と書くようにしています。

情報生産性の高い人材は、どのようにしたら生み出せるのか。
情報は差異からしか発生しません。

そのとき、落差のある生活世界とか価値体系を
どれだけ知っていて、自分のなかに
その落差のあるシステムをどこまで
取り込んでいるかが問われます。

落差のない生活をやっている人のなかには、
価値も情報も発生しません。

現にあるものとあなたはどのように違うか、
どう距離があるかということを許容する
教育カリキュラムをつくればいいのです。
そういうカリキュラムを日本の学校制度はもってきたでしょうか。
「人と違っていてもよい」といってきたでしょうか。

学校制度がこれだけの同調性を組織的に再生産しているならば、
それをどこかで根本的にひっくり返さない限り、
つまり他人と「違うことがよい」というしくみを
組織的につくっていかないかぎり、日本の高い人的資本率は
ムダ金、死に金、徒労に終わるでしょう。

私は三年生になって本郷に進学してきた学生に、
「一年間で解けそうな、かんたんな問いを立ててきてごらん。
自分で解ける問いを立ててごらん。」と言います。

人生とはなにかとか、
日本の社会福祉をどう構築するかとか、
とても解けそうにない大問題を立てない。

やりたいことよりも、できることを。
自分で問いを立て、自分で解く。
そしてどんなにささやかなものであれ情報の生産者になる。
―私はこの経験を、学生たちにさせています。

学位をとることがそのあとの職業の手段になるとしたら、
学位は生産財になります。しかし、手段にならないとしたら、
学位を得ることじたいが自己目的になります。
それが消費財としての学位です。

学歴が生産財化したのが近代という時代です。
教育が手段になりました。
みんな「~のための」という手段です。

ポストモダンとは、未来という進歩の神話が破産した時代です。
目的を失った社会にとっては、現在がいちばん大事。

大きな学校もいりません。
小さな学校でたくさんです。
知育・徳育・体育などとはいわず、
学校は分相応に知育だけをやればよい。

学校的価値を分相応に学校空間に閉じ込めて、
その価値は多様な価値の一つにすぎないという
異なるメッセージを、制度的に保障していく
仕組みをつくるべきだと思います。

それは多元的な価値をつくり出すことです。
学校ではない空間―「共」の空間を生み出すことにつながります。

「共」もしくは「協」の空間とは、パブリックでもなく、
プライベートでもなく、コモンな空間のことをいいます。

子どもたちには、家庭でも学校でもない、
コモンの場が必要です。

この幼児化は生活体験の狭さからきています。
学校と家庭、プラス塾・予備校、それ以外の空間を知らない。

それ以外の人間関係を知らない。
しかもその3つは、いまや学校的価値で一元化されています。
それ以外の価値、それ以外の生き方、それ以外の生存戦略を
知らないのです。

~~~ここまでメモ

本文中に、以下のような文があります。

遠山啓という人が
学校は「自動車学校タイプ」と「劇場タイプ」
になるべきだと言ったそうです。

自動車学校タイプは技術教育です。
劇場タイプの学校は消費財としての教育を楽しみに行くところです。

そういう意味では、劇場のような本屋は
本という投資の対象(生産財)である学びと
劇場という消費財的な得るものが混在している、
なかなかいい場所のような気がします。

同じカテゴリー()の記事画像
越境する窓としての本と、ドアとしての本屋
本屋というメディアをつくる
メディアの力とは予言の自己実現能力のこと
テクノロジーの使い方
次の作品の話をしよう
キカクのうまれかたはWHYのうまれかた
同じカテゴリー()の記事
 越境する窓としての本と、ドアとしての本屋 (2017-11-21 08:18)
 本屋というメディアをつくる (2017-11-20 08:28)
 メディアの力とは予言の自己実現能力のこと (2017-11-17 08:27)
 テクノロジーの使い方 (2017-11-15 08:17)
 次の作品の話をしよう (2017-11-14 09:12)
 キカクのうまれかたはWHYのうまれかた (2017-11-11 07:37)

Posted by ニシダタクジ at 08:05│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。