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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年05月02日

そのゴールは、本当にゴールなのか?

そのゴールは、本当にゴールなのか?
「ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、
不便をとり入れてみてはどうですか? 不便益という発想」
(川上浩司 インプレス)
今回のスタンダードブックストアではコレにしました。

まだ読み始めたばかりなんだけど、
便利なことと豊かなことはイコールなんでしょうか?
という問いかけが響きます。

まだこれから読み進めるのですが、
3~4年前のテーマだった
「目標を立てるということはどのくらい価値があるのか?」
「目標を立てることで失われるものがあるのではないのか?」
という問い。

この本に出てくるたくさんの「不便」は
コミュニケーションの機会になっていたり、
自然を実感するものだったりするんだけど。

http://hero.niiblo.jp/e356203.html
計測可能であるという罠(14.2.13)

3年前の結論としては、
学校が夢や目標を持て、と子どもたちに「強制」するのは、
「そのほうが管理が楽だから」
ということだった。

3年前ののブログにも書いてあるけど

科学とは、計測可能であるということ。
科学的であるとは、再現性があるということ。

つまり。
言語化・数値化されたわかりやすいゴールに対して、
この手法を使うと、誰でも到達します。
ということが科学だ。

教育が科学であるならば、
計測可能で再現性を持たなければならない。

その際におそろしいのは、
「ゴールとして書きやすいものを、ゴールとして設定してしまう。」
ことだ。

この「書きやすい」は、キャリア教育的に言えば、
「大人を納得させやすい」ということになるのだろう。

そういうことをやっていると、何が起こるか。
おそらくは、「学びからの逃亡」が起こるだろう。

予定調和。
ゴール逆算。
目標に向かった教育内容の配列。

そのどこに「面白さ」や「ワクワク」あるのだろうか?

その先に、いや、そのプロセスに、
豊かさはあるのだろうか?

受験勉強のような人生を一生続けるのだろうか。

夢は何のために設定するのか?
目標とは何のために立てるのか?

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Posted by ニシダタクジ at 08:11│Comments(0)
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