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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年05月31日

「学校」は他者評価を「前提」としたシステム


「すべての教育は洗脳である」(堀江貴文 光文社新書)

1周まわって、みたいな読書。
こういうのも楽しい。

~~~以下一部引用

僕は宗教には何の興味もない。否定も肯定もしない。
それによって幸せになれると
思うであれば、好きな神様を拝めばいいと思う。
だけど、「常識」への信仰だけはおすすめしない。
はっきり言って、幸せになる確率が低すぎる。

残念ながら、普通に暮らしている限り、
「常識」という教義の危険性に気づく機会は少ない。

それは「常識」の洗脳が、
国家ぐるみで行われているからだ。
国家は、全国に4万6000箇所もの「出先機関」を設け、
この国で暮らす人たちすべてをその魔の手にかけている。

その出先機関とは、「学校」だ。

知識とは、原則として「ファクト」を取り扱うものだ。
主観の一切入り込まない事実(ファクト)にもとづく知、
それが知識である。

一方、常識とは「解釈」である。
主観の入りまくった、その時代、その国、
その組織の中でしか通用しない決まりごと。
それが常識である。

日本でよく見られる儒教的な道徳規範などは、
まさに「常識」の最たる例だ。

学校は、そこに通う人間を、
とにかく「規格」どおりに仕上げようとする。
建前上は「個性を大切にしよう」
「のびのびと育ってほしい」などと言うものの、
その裏にはいつも「ただし常識の範囲内で」という
本音が潜んでいるのだ。

産業革命の時に庶民は、
「大量生産を目的とする工場で労働し、その報酬をもらう」
という新しい働き方を得た。

読み書きそろばんができ、
指定された場所に毎日規則正しく通い、
リーダーの指示に耳を傾け、
言われた通りの作業に励む。

そんなサイクルをこなせる
「きちんとした大人」を大量に用意するには、
子どもの頃から仕込むのが手っ取り早い。

つまり学校はもともと、子どもという「原材料」を
使って、「産業社会に適応した大人」を大量生産する
「工場」の一つだったのである。

今の学校も、この原則はまったく変わっていない。
学校で押し付けられるのは「工場=会社」の
予行練習のようなことばかりだ。

たとえば時間割の厳守、全体行動、一方的な評価、
ボス=教師の言うことへの服従・・・

今の子どもたちも、
雇用者にとって管理が楽な「望ましい労働者」
としての規格からはみ出ないよう、
「常識」をせっせと教え込まれているのである。

~~~ここまで引用

いやあ、怖い。
怖いです。
近代国民国家という壮大な仮説。

その中でも、僕が感じる、
一番つらいところは、

学校が「他者評価」を「前提」として
システムになっているところではないかと思う。
「他者評価」は「前提」とすべきではなくて、
あくまで「自己評価」の「参考」程度にとどめておいて方がいい

それが主体的に生きる、
ということであるだろうと思う。

すなわち、
主体性を評価するということの可笑しさ。

そもそも、他者評価を前提とした
システムの中で主体性のある子が育つのは
きわめて稀なのではないか。

そしてそれこそが生きづらさの源泉であるかもしれない。
先生からだけではなく、同級生からも
他者評価を受ける存在としての自分。

そうして比較が生まれ、
「劣等感」や「空気を読むこと」が起こっていく。
それが生きづらさの本質なのではないか。

他者評価を生きている限り、幸せにはなれない
と僕はかつて思ったことがあるけれど。

それは学校が構造的に抱えている課題なのではないか。

キャリア教育も同じだ。
学校というシステムの中で、
キャリアデザインという理論しか選択されないのは、

それ以外のキャリア理論が基本的に評価不能だからではないか。
キャリアドリフト、いわゆる計画された偶発性理論を採用しても、
子どもたちは、「いま、ドリフト中です」みたいなことを言って
前に進んでいるか後ろに戻っているのかよくわからない(笑)

大学生はキャリアを考える前に、
この学校というシステムについて、もう一度とらえなおす必要が
あるのかもしれない。

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