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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年06月09日

パスを受ける準備はできているか?


「せいめいのはなし」(福岡伸一 新潮社)

「動的平衡」というキーワードで
対談しながら世の中を読み解く1冊。
第1章は内田樹さんと。

これは生物の世界と経済の世界の話を
リンクさせて語っている。

内田さんの「贈与経済」の話は、
前から読んでいたのだけど、
その表現方法が美しかったので、引用。

~~~ここから引用

富全体が増えていても、循環しなくなってくると、
経済システムの生命はだんだん衰弱してゆく。
いま、日本を含めて世界の経済システムが死にかかっているのは、
運動がなくなっているからだとぼくは思います。

回っている「もの」のほうに価値があると思い込んで、
回すことそれ自体が経済活動の目的なんだという
根本を忘れてしまったからだと思う。

だから、僕が提案しているのは贈与経済の復権なんです。
「交換から贈与へ」ということなんです。
要するに、受け取ったものをどんんどん次にパスしましょうよ、と。

90年代以降、商品は
個別的な有用性や実用性(使用価値)を離れて、
象徴価値(所有者の帰属階層やアイデンティティを示す能力)
にシフトします。

消費行動が誇示的なものに変わった。
こんな服を着て、こんな家に住んで、
こんな車に乗って、こんなものを食べて・・・
ということを誇示することで、
自分自身のアイデンティティを基礎づけた。

物欲には身体という限界があります。
1日に食べられる消化能力を超えられないし、
着られる服の数だって限られている。
でも、自己同一性を基礎づけるための消費には
「これで終わり」ということはありません。

~~~ここまで引用

なるほど。
経済も生物も「動的平衡」なのだと、まわし続けることだと。

それを無限に続けるために、
「誇示的消費」が生まれたのだなあと思う。

しかし、誇示的消費は、自己矛盾を抱えていて、
自分自身が唯一無二であるというアイデンティティを、
ものを買うことで満たすことは、
その「もの」自体が、ある一定層の人が
一定数持っていなければいけない。

そんな自己矛盾を抱えている。そしてそれが
「自分らしく生きるためには『自分らしさ』を誇示する
商品を買うためのお金が要る。」という理屈を生み出し、
お金がない人はまだ自分になっていない、ことになり、
ネットに「名無し」という名乗りで書き込み続け、
アイデンティティを誇示するしかない。

これが三浦展さんの「第4の消費」で説明されているような、
必需品が終わったあとの需要の喚起のために、
経済界がとった(結果として、かもしれないが)戦略であった。

そして、これに続く内田さんのたとえが素晴らしくて、引用

▽▽▽ここから引用

でも、これはやはり発想の根本が間違っていると思う。
どんな商品を所有していようとそんなことは
本来何の関係もない。

クラ交易と一緒で、貝殻自体には何の意味もないんです。
問題はそれをどうやってパスするかということであって、
パスの仕方によってのみその人のアイデンティティは示される。

サッカーやラグビーのようなボールゲームには
太古的な起源があると思うんです。よくできている。
人間が営むべき基本的社会活動の原初的な構造を持っています。

与えられたものは次に渡さなければならず、
渡すときにできるだけ多様な形の、自由で、
ファンタスティックで、予想を裏切るようなパスを
しなくてはいけない。

ボールをもらったらワンタッチで次にパスしなければいけない。
だから、パスをもらってから、そこで「次、どうしようかな」
と考えていたら間に合わないのです。

ふだんからずっと考えていなくちゃいけない。
いつもいつも「いまパスをもらったら次にどうパスしようか」
を考えている。

贈り物の受け手がどこにいて、
どんなふうに自分を待っているか、
自分がもらったら遅滞なく次に渡す相手に
あざやかなパスを送ることだけを
日々、考えているような人こそが、
贈与経済の担い手になりうる人だと思うのです。

与える先は、ボールゲームと同じで、
「その人の前にスペースが空いている人」です。
次にパスする選択肢がいちばん多い人。
ボールゲームでは必ずそういう人に向けて、
パスが送られる。

もらったボールを退蔵する人や、
いつも同じコースにしかパスを出さない人の
ところにはボールは回ってこないんです。

そういう点で、
ボールゲームの意義は、人間の経済活動の、というよりも
社会を構成していくときの根本原理が
書き込まれているんじゃないかとぼくは思っているんです。

△△△ここまで引用

うわああ。
すげええ。
もう、シビれちゃったよ。

今日のブログは、本当は、
アサダワタルさんの本を引用して、
「余白」について書こうと思ったのだけど、

朝、ふと目に留まったこの本を読んでたら
うお~!って叫びたくなっちゃった。

パスをもらうためには、
「目の前にスペースを空けておくこと」
「次にどこにパスを出すか、考えていること」

そしてなにより、
「多様な形の、自由で、ファンタスティックで、
予想を裏切るようなパス」をしなくてはいけない。
しかも瞬時に。
それこそがアイデンティティなのだ。

うーー。
唸るわ。

そういう意味では、
古本屋って、とっても素敵な仕事だな、って。

受け取った本を、ワンタッチで、
ファンタスティックで、予想を裏切るように
棚に並べ、
次のプレイヤーにパスを出す。

そこには、前にスペースが空いている
プレイヤーがやってきて、
そのパスを受け取って、先に送る。

それをぐるぐるぐるぐる回していく、
それが古本屋という仕事なのではないだろうか。

まるでラグビーのように、
ボールを持った人が、まずは突破していき、
絶妙のタイミングでフォロワーにパスを出す。

そうやってパスをつないでいくような仕事。
そんな仕事をしたいと思う。

あなたのまわりに、
そんな「突破」をしている人がいないだろうか?

そしてそもそも、
あなたの前にスペースは空いているのだろうか?

パスを受ける準備はできているか?

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Posted by ニシダタクジ at 08:49│Comments(0)
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