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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年08月08日

発酵人であるということ



その界隈で熱烈な支持を受ける「藤原印刷」(長野県松本市)
http://www.fujiwara-i.com/

アルプスブックキャンプで伊藤くんにご紹介いただいた
藤原印刷・弟こと藤原章次さんをたずねて、
神保町近くの藤原印刷に行ってきました。

なんていうか、もう、カッコよかったっす。
印刷屋さんってそこまでできるのかって。

本をつくる、っていうのは
作品をつくるってことなんだって。

紙一枚でこんなにも変わるんだって。
思いを込められるんだって。

「本をつくるってなんだよ??」
って強烈な問いをもらった。

印象に残った藤原さんの一言。

「それって、作品って言えるのかな。」

そうなんだよね。
藤原さんのつくる印刷物は、本であって、本ではない。
作品なんだよね。

だから、紙1枚を考え抜いて、
作り手と一緒に感じあって、紙を選び、印刷していくのだろう。
藤原印刷の「心刷」に少し触れた気がした。

そんなタイミングで読んでいたのがこの本。


「発酵文化人類学」(小倉ヒラク 木楽舎)

これがなんともタイムリーでシビれまくりました。
圧巻だったのは、藤原印刷に向かう電車の中で
読んでいて、思わずツイッター上で取り乱してしまった、
第5章「醸造芸術論~美と感性のコスモロジー」。

そう、それっす!
あまりにも今考えていることとのシンクロがすごかったので、
びっくりしました。

~~~以下一部引用

写真技術が誕生したことによって、
「客観的視覚表現」は写真家の領域となった。
すると画家がやるべきことは「主観的認知」を表現することになる。
これは言い換えれば「普遍性を捨てる」ということを意味する。

万人にとってのリアルではなく、自分という唯一無二の存在が
「その時、その場所で」感じた一度限りの身体感覚を、
同じく唯一無二の存在である他者の身体感覚に
伝達するという「感性のインタラクション」への挑戦だ。

この瞬間に芸術は「静的な真理」を追い求めるものから
「動的な感性」をインスパイアするものへとパラダイムシフトしたのであるよ。

つまり、ルノワールの絵を見るということは、
ルノワールが自然をどう認知しているのかという
「他人のセンスのありよう」を覗き込んでいるということになる。
そして同時に「他人のありよう」と「自分のありよう」の
ギャップを埋める努力こそが「アートに触れる喜び」なんだね。

つまり。時代や文化を超えて、自分と違う誰かとつながること。
自分と違うやり方で世界を見ている人とわかり合うということ。
他ならぬ自分にとっての「自然」を見つけること。
この瞬間に、自分の存在が肯定される。同時に外の世界とつながる。

ルノワールのいた19世紀のパリで浴びている木漏れ日は、
同時に自分が友人たちと過ごした代々木公園の木漏れ日でもある。
この時に、僕は時空を超えてルノワールと一緒にいる。
そよ風を感じながら、2人でナイスなワインを飲んでいるのさ。

僕にとって、お酒を飲むのと絵画を見るのは同じような喜びだ。
絵画では視覚に主眼が置かれるが、お酒では味覚や嗅覚に主眼が置かれる。
しかし「感性のインタラクション」という意味では一緒なのだね。

優れたワインや日本酒を飲むということは、それを醸した醸造家と
対話するといういうことだ。
醸造家がどのように土や水を見つめ、
どのように温度や風を感じ、どのように微生物たちと向き合い、
どのようなセンスで味と香りをデザインしたのか。

実際には目の前にいないのに、醸造家はそこにいる。

~~~ここまで引用

この後、この本で一番膝を打った
読者モデル=読モの三角関係について、
話が進んでいく。

消費者⇔メーカーの直線関係の
上に点を置いて、三角関係をつくることが必要だと
小倉さんは言う。

それはファッション界における「読モ」
のようなものだと。

作り手の事情も理解しつつ、
受け手の代表としての文化の「たしなみかた」
を提案するスターであること。

この読モを育て行くこと。
それによって三角形ができて、
コミュニケーションが循環し始めるのだという。

読モがいることによって、
消費者は「消費」をやめ「愛で」を始める。

うんうん。
いいねいいね。

そして、この後が熱い。

▽▽▽ここから一部引用

作り手だけでなく、受け手もアーティストなんだってこと。
ほんとはね。

その「愛でかた」もまたアート作品だ。
絵画が画家と鑑賞者のインタラクティブアート
であるように、酒は醸造家と飲み手の
インタラクティブ・アートだ。

お気づきだろうか。

アートの本質とは、表現そのものではなく、
表現をめぐる関係性なのだ。

普遍性なんて無い。
あるのは「その瞬間、その場所で」
他ならぬ自分が感じる「一瞬のさざなみ」だけだ。

△△△ここまで一部引用

うん。
そうなんだよね。
まさにそう。

そこで、藤原さんの話に戻ってくると、
本ってやっぱり「作品」だっていうこと。

その本が生まれた場所。
それはどこだろうか。
印刷屋さんの現場だ。

そんな匂いが感じられるような
本を作っていくこと。

なぜ、みんなが
藤原印刷を熱烈に支持するのか。

それはたぶん、
本が、著者と読者の直線的関係ではなく、
円環的にぐるぐるしていくものになっていくからだ。

そのプレイヤーのひとつに
印刷屋があり、本屋がある。

明治大学の小田切徳美先生が
地域にとってもっとも深刻なのは、
「誇りの空洞化」であると言っていた。

その円環をぐるぐるまわしていくこと。
そのものに、作品と呼ばれるような本の誕生があり、
それがプレイヤーそれぞれの「誇り」を生んでいくのだろう。

そんな場を生んでいく。
「発酵人」のひとりに僕もなりたい。

藤原さん、小倉さん、
熱いインスパイアをありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 08:53│Comments(0)
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