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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年11月21日

越境する窓としての本と、ドアとしての本屋

越境する窓としての本と、ドアとしての本屋
「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

11日に行われたイベント「DIVE IN BOOKS」内の
「はじめましての3冊」企画で「魔法をかける編集」と交換した本。
お借りしています。ようやく読み始めました。
現在91ページまで来ました。

素晴らしくタイムリーでした。

昨日の「秘密の作戦会議」のテーマは、
「越境」だったので、

「越境」というキーワードがぐるぐる
していたところだったので、
この80ページからの「出ていくことと帰ること」
がめっちゃよかった。

「なぜ本屋なのか?」っていう問いに対しての
僕自身の仮説がカタチを伴ってきたな、って。

アウェー感っていう言葉があるけど、
そういうのを感じる場所に身を置かないと、
「越境」とは言えないのだろうなと。

大学生が地域に出る意味、について。
それはひとえに「越境する学び」だろうと思う。

地域に出る。
なにか活動に参加する。
その意味がどこにあるのか、考える。
フィードバックをもらい、自己評価を行う。

「大学の外に出る」っていうのは、
物理的に出ることじゃなくて、精神的に、
つまり、以前書いた「他者評価の檻」
から脱出することなのだろうと思う。

「学び」は越境にある。
境の向こう側か、あるいは境目上にある。

その「学び」こそ、エンターテイメントだ。
最強のエンターテイメントとは、「学び」だと僕は思う。

だから人は本を読み、旅をして、人に会うのだろうと思う。

そんなことをぼんやりと考えながら電車に乗って、
この本を開いたところで、タイムリーに飛び込んできた言葉たちがあった。

~~~ここから引用

私たちはいつも、どこに行っても居場所がない。
だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。

居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、
手に入れられないかのどちらかのときで、
だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。

しかるべき居場所にいるときには、
居場所という問題は思い浮かべられさえしない。
居場所が問題になるときは、
必ず、それが「ない」ときに限られる。

誰にでも思わぬところに「そとに向かって開いている窓」があるのだ。
私の場合は本だった。同じような人は多いだろう。
四角い紙の本はそのまま、外にむかって開いている四角い窓だ。

だからみんな、本さえ読めば、実際には自分の家や街しか知らなくても、
ここではないどこかに「外」というものがあって、
私たちは自由に扉を開けてどこにでも行くことができるのだ、
という感覚を得ることができる。

そして私たちは、時がくれば本当に窓や扉を開けて、
自分の好きなところに出かけていくのである。

あるときには本が窓になったり、人が窓になったりする。
音楽というものも、多くの人々にとって、そうだろう。
それは時に、思いもしなかった場所へ、
なかば強引に私たちを連れ去っていく。

~~~ここまで引用

そうそう。
思わぬところに窓があって、そこから人は「越境」していく。
そこにエンターテイメントとしての「学び」があるのではないかと思うのだ。

そしてそれこそが、
「自由への扉」となる。

ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリーと
しての本屋をやる上で、避けられない問い。

それは「自由」とは何か?である。
そして、自分はどのレベルの自由を欲するか、である。

会社員になる、というのは、
月曜日から金曜日の時間的制約を受ける代わりに
一定の給与によって、一定の金銭的自由が得られる。
そして、金銭的自由が精神的自由をもたらしてくれる。
多くの人がそうやって生きてきたし、生きているのだろう。

その「自由」を自分なりに定義をすることが大切だと僕は思うし、
それは大学生、いや高校生のときから問い始めても早くないと思う。

「自由」とはなにか?を問うためには、
越境してみることは非常に有効だろうと思う。

絵にすると、こういう感じ。
越境する窓としての本と、ドアとしての本屋

自分が生きている世界というか会社というか学校というか、
その価値観の外に出ること。
他者評価の檻を脱出すること。

そこでいろいろやってみて、
振り返って、自己評価を行うこと。
それを言語化し、人に伝え、
フィードバックをもらうこと。

その繰り返しでしか、「自由」の定義は得られないのではないか。
「自由」とは、嫌われる勇気であるってアドラーは言ったけど、

「自由」とは、他者評価オンリーの人生を生きないということなのだと
現時点では僕は思う。

だから、「自由」の獲得のためには、
自己評価の習慣をつけること。
その前に、他者評価の外へ出ること。
越境すること。

岸さんのいうように、そのための方法のひとつ、
窓のひとつが、本である。

越境する機会の提供。
本と本屋の役割があるはそこにあるのだと思う。

日立の海のような本屋「うみまちブックス」も
越境するためのドアのような本屋になったらいいなと思う。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775

最後に、昨日、一番響いた言葉を。

「志があれば、生きること自体が学問になる」(吉田松陰)

熱いっす。

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