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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年11月30日

「マイノリティー」と「マジョリティー」を無くした「場」をつくる

福岡の大学生、井上洋菜のブログで、
イノベーションと言葉についての
記述があったので、そこにインスパイアされて
もやもやと考えている。

https://yona47.wordpress.com/2017/11/26/

キーワードは
・イノベーション
・言葉
・多様性
・マイノリティーとマジョリティー

などなど。
そんなことをもやもや考えながら
電車に乗って、本を開く。


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

最近は読書運がすごくいいので、
タイムリーに飛び込んでくる言葉たちがある。

110ページから引用する。

~~~ここから一部引用

幸せのイメージというものは、
私たちを縛る鎖のようになるときがある。
同性愛のひと、シングルのひと、子どもができないひとなど、
家族や結婚に関してだけでも、これだけいろいろな生き方がある。

それだけではなく、働き方や趣味のありかたなど、
生きていくうえで私たちがしているありとあらゆることについて、
なにか「良いもの」と「良くないもの」が決められ、区別されている。

ここから、考え方がいくつかに分かれる。
おそらく、そのなかでもっとも正しいのは、
極端に言えば「良い」と思うことをやめてしまうこと、
あるいは、そこまでいかなくても、それが「一般的に良いものである」
という語り方をやめてしまうことだろう。

ある人が良いと思っていることが、
また別のある人びとにとっては
暴力として働いてしまうのはなぜかというと、
それが語られるとき、徹底的に個人的な
「<私は>これがよいと思う」という語り方ではなく、
「それは良いものだ。なぜならば、<一般的に>良いとされているからだ」
という語り方になっているからだ。

完全に個人的な、私だけの「良いもの」は
誰も傷つけることもない。

そこにはもとから私以外の存在が
一切含まれていないので、誰も排除することもない。
しかし、「一般的に良いとされているもの」は、
そこに含まれる人びとと、そこに含まれない人びととの
区別を自動的につくり出してしまう。

「私は、この色の石が好きだ」という語りは、
そこに誰も含まれていないから、誰のことも排除しない。
しかし、「この色の石を持っているひとは、幸せだ。」
という語りは、その石を持っているひとと、
持っていないひととの区別を生み出す。
つまりそこには幸せなひとと、不幸せなひとが現れてしまう。

したがって、まず私たちがすべきことは、
良いものについてのすべての語りを、
「私は」という主語から始めるということになる。
あるいは、なにかの色の石を持っているかどうか、
ということと、幸せかどうか、ということを切り離して考えること

~~~ここまで引用

うわ~。
なるほどな。
めちゃその通り過ぎて震えた。

そもそも、
「マイノリティー(少数派)」とか
「マジョリティー(多数派)」とか
って言葉はあんまり意味がないんじゃないかと思った。

いや、意味がないんじゃなくて、
良いと悪いがないってことか。

多数派だから良いわけじゃない。

特に「イノベーション」の視点からは、そうかもしれないよね。
イノベーションは最初はだれも賛同しないって言うし。
多様性や異質から生み出されるって言うし。

「多数派」=「良い」っていうふうになったのは、
いつからだろうか。

っていう問いが浮かんだ。

いま、
長岡藩の河井継之助が描かれた
司馬遼太郎の「峠」を読んでるのだけど、

幕末も、関ヶ原の戦いのときも、
大切なことは「時勢を読むこと」、つまり「勝ち馬に乗る」ことだった。
だから、情報収集し、あるいは裏切りを画策し、
自らが多数派であろうとした。

KJ法というワークショップ手法がある。

これはラベル(付箋)にひとりひとりの意見を書き込んで、
「ラベルに語らせる」という手法だ。

そこにいる多様な人たちの意見をいったん紙に落とすことで
意見を出した個人の肩書や実績ではなく、
純粋にそのラベルを見て、アイデアを生んでいくということ。

そうそう。
あくまで、大切なのは「個」なのだ、と。

「個」が「個」として、場にコミットすること。
それが大切なのだと思う。

だからこそ、
「アイスブレイク」じゃなくて、「チューニング」が大切なんだ。

場にフォーカスするんじゃなくて、
個人にフォーカスして、
「今日、この人はどんな音を出す人なのだろう?」
を認識して、

ひとつの音楽・曲のような「場」を
生み出していくこと。

イノベーションは、マイノリティーが生み出す、
のではなくて、

「マイノリティー」や「マジョリティー」という言葉が無くなり、
「個」にフォーカスする「場」から生まれる。

そんな仮説ができました。

井上洋菜さん、ありがとうございます。

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Posted by ニシダタクジ at 08:27│Comments(0)
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