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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年12月13日

facebookの告知が「顧客」に届かない理由

昨年11月のツルハシブックス閉店から
学んだことはたくさんあるけども、

いまだに越えられないのが、
「居場所のジレンマ」だ。

http://hero.niiblo.jp/e482717.html
(2016.11.7 居場所のジレンマ)

この1年のあいだにも、
たくさんの「場」を運営している人たちに
話を聞いたけど、
共通する課題を持っているように思う。

それは、
居心地のよい「場」をつくり、継続して運営していくと、
そこを「居場所」として利用する人が増えてしまう。

「居場所」は内向きのエネルギーを持ち、
初めての参加者が入りにくい雰囲気を持ってしまう。

つまり、その「場」
初めての人にとっては居心地の悪い「場」になる。

そういう意味では、
「本」というのは、「諸刃の剣」であるのかもしれない。

「本」を通じて、人と人がつながるツールにもなるのだが、
一方で、そもそも「本」というのは内向きのツールであるから、
そういうキーワードで人を集めようとすると、
内向きの人が集まってしまうかもしれない。

「facebookを見てるのは、暇なおじさんだけだよ。」
って誰かが言っていた。

実際東京の本のイベントに来ている20代に
話を聞いてみると、友人経由ではない場合、
peatixの告知でっていう人が何人かいた。

一方で、
ツルハシブックスでも陥っていたのだけど、
facebookで公開イベントを告知すると、
若者向けのイベントなのだけど、
「暇なおじさん」が集まってしまう、
という現象が起こっていた。
いや、それが「面白いおじさん」であればいいのだけど。

イベントが「顧客」に届いていない。

それは、もしかしたら、
facebookという広報ツールがいけないのかもしれないなと思った。

https://hachi-style.com/take-a-chance/
チャンスを掴むのはチャンスを掴む準備をした人だけ
(8STYLEより)

facebookの告知が「顧客」に届かない理由

イノベーター理論で行くと、
すでにfacebookというメディアのユーザーが
アーリーマジョリティ領域を超え、
レイトマジョリティ領域まで進んで行ってしまったのではないか、
ということが言えるかもしれない。

アクティブユーザー数が2800万人ということは、
ネット人口1億人のうちの30%に満たないのだけど、
(ネット人口にはメール送受信のみという人を含む)
そんな感じする。

そもそも「マジョリティ」とは、
「みんながやっているからやる」というメンタリティを
持っているからこそ「マジョリティ」なのである。
(これは別にいい悪いではない)
必然的にそのエネルギーは内に向かう。

マジョリティであることが心地よいのだ。

ところが、
アーリーアダプターは違う。少数であることを苦にせず、
新しいもの、外にあるものを積極的に取り入れようとする。

僕の中で日本最高のアーリーアダプターは、
長野・上田の柚木真くんなのだけど、
彼の活動は見ているだけで、
僕にとってはエンターテイメントで、うらやましくなる。

柚木くんの脳みそに、
僕のカラダというか、時間を含めて、
委ねてみたくなって、
「ゆのたく」という活動を開始してみようと思う。
(ゆのきのアタマとタクジのカラダ)

さて、
タイトルの課題について戻ると、

facebookでの告知をがんばればがんばるほど、
それは、レイトマジョリティを拾ってしまうのではないか。

そして、SNS上のレイトマジョリティには、
「暇なおじさん」「ちょっと面倒なおじさん」
が割合的に多いのかもしれない。

なぜなら、
「面白いおじさん」は、アンテナが高いので、
いろんなネットワークがあって、
他のイベントに出ているから。
(そのおじさんはそもそもアーリーアダプターである)

そして、その人たちは、
そのイベントそのものや、
あるいはその「場」に対して、
「居場所」感を抱いてしまう。

人間はおそらく本能的に、
「居場所」を欲しているから、
そこに行かないといけないようになる。

こうして「場」が「居場所」感に
支配されることで、「場」の力は急速にダウンしていくし、
初参加の人にとっての魅力を失っていく。

さて。
この仮説が合っているとすれば、

facebookでの公開イベントを打つことは
諸刃の剣であると言えるだろう。

「より多くの人を集めたい」というのと
「レイトマジョリティなおじさんが来てしまう。」
というのがセットになってしまうからだ。

しかし、この仮説には、地域によって違いがある。

茨城の水戸や日立、このあいだお邪魔した岐阜なんかでは、
まだ、facebookコミュニティの中のアーリーアダプターの割合が高いので
公開イベントを打つことが楽しい空間をつくることになる。
(ちなみにこれは、クラウドファンディングの地元支援率とも連動している気がする)

新潟でも、ツルハシブックスが始まった当初はまだ
mixiからfacebookへの移行期だったので、
そこに集まってきた人は面白い人が多かった。

しかし、4年目、5年目になると、
「居場所」問題が顕在化した。

つまり、facebookの普及率というか、浸透率というか、
あるいはそのコミュニティの拡大率というか、
そういうものによるのかもしれない。

東京などは母数が多いこともあって、
そういうことが起こりやすくなってしまうかも。

じゃあ、これからどうすればいいのか。

これが課題だ。

考えるべきことは2つだ。
1 「顧客」に届ける告知ツールを考える。
2 「場」を「居場所」化しないデザインを考える。

まず1は、
facebookという告知ツールを使わないというか、
たぶん「公開イベント」という形をとることは、
リスクが伴うので、ほかの告知ツールを選ぶか、
直接メールするとか、チラシにふたたび戻るとか。

あるいは、「場」そのものを固定せずに、
流動的なものにするか、
(塩尻の山田くんがやってるみたいな
何月何日汐留、みたいなイベントをやるとか)

または、そういう「レイトマジョリティ」なおじさんも
受け入れることができるデザイン
(たとえば、畑に隣接するとかで作業場をつくる)

「畑のある本屋」
っていうのは、そのひとつのソリューションなのかもしれない。

僕としては、どうせやるなら、
化学反応やイノベーションの起こる場にしたいと思っているので、

そのためには、
・多様性の許容(それは違和感の許容でもある)
・フラットな関係性
・掛け算の発想

それができるような「場」とは、なんだろうか。
そんな問いを考え続けていきたい。

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Posted by ニシダタクジ at 08:17│Comments(0)日記
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