プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

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土曜 7:00~21:00
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2018年02月13日

サードプレイスは本当に必要なのか?

問いが近い人と話をするのは楽しいなと。

昨日の大テーマは、
「サードプレイスは本当に必要なのか?」

暗やみ本屋ハックツ
http://www.hakkutsu.info/
で出会った人たちの何人かは、

「自分が中学生の時にこんな場所があったら。」
っていう。

でもさ、それって、
中学生の時は自覚していないんじゃないか、って思う。
「サードプレイス」っていう概念がないからね。

学校と家庭しか「世界」がない。
っていうのは本当にそうなんだろうけど。

そして、
ツルハシブックス閉店で僕が学んだこと。
それは、「居場所のジレンマ」とでも
いうべきものだった。

居心地のいい場所は、たくさんの人の「居場所」になり、
その場にいる人の一定数以上がそこを「居場所」化すると、
それは一見さんやほかの人にとって
居心地の悪い場所になるというものだ。

ここから脱することができず、
ツルハシブックスは閉店した。

そこで思ったことは、
「集まる場」は同時に「始まる場」で
なければならないのではないか、というのと、

言語コミュニケーションだけではなく
非言語コミュニケーションの要素が必要なのではないか、と

本を置いているのならば、
その本を随時入れ替え、「空気」を一新する
ことを定期的にやらなければならないのではないか、ということ。

まあ、それを前提として、
昨日の話へ。

「サードプレイス」は、
米国の社会学者レイ・オルデンバーグが提唱し、
スターバックスコーヒーがキーコンセプトとして
世界に広まっていったのだけど。

第1の場所(自宅)、第2の場所(職場・学校)でもない
個人としてくつろぐことのできる「第3の場所」という意味。
これを、社会教育系の人たち(つまり学校教育ではないNPOとか)は、
非常に重要視しているように思う。

しかし、
「サードプレイスは本当に(中高生に)必要なのか?」

という問いを立ててみると、
サードプレイスというプレイス(場所)が
必要なのではないのではないか?と思う。

たとえば、
体育会系の部活動や生徒会や、高校の文化祭
みたいなやつは、サードプレイスではないのか?

そう言われると、
「サードプレイス」というのは、特に高校生にとっては、
特段に重要な概念ではないのではないか?
というふうに思えてくる。

ここで、このブログに何度も登場している
川喜田二郎氏(KJ法生みの親)の言葉を。
http://hero.niiblo.jp/e468419.html
(帰る場所、ふるさとをつくる 15.5.14)

「ふるさととは、子どもながらに全力傾注して
創造的行為を行った場所のこと。」
(「創造性とは何か」川喜田二郎 洋伝社新書より)

そっか。
体育会系部活も、生徒会も、文化祭も
それが「全力傾注した創造的行為」ならば、
そこは「ふるさと」になりうる。

そしてそれこそが、
高校生にとっての「サードプレイス」の実態なのではないか。

つまり、大切なのは、
「プレイス」ではなく、「プロジェクト」なのではないか。
というのが昨日の仮説だ。

「サードプレイス」から「サードプロジェクト」へ。
そんなことが重要なのではないか。

だからこそ、「屋台のある図書館」に価値があるのではないか。
http://hero.niiblo.jp/e474463.html
(誰のための図書館? 15.11.14)

僕はそれが、
「本のある空間」を起点に起こっていくと思っている。


2月10日、古本詩人「ゆよん堂」EXPO@ウチノ食堂「藤蔵」で
山田正史が言っていた。

「1つ1つの本がドアだ。どのドアを開けるか。それが本屋なんだ」
って言っていた。

そうそう。
それだよね。

本を売っているんじゃなくて、
ドアを売っているんだよね。

そんな空間で、その日に出会って人に誘われて、
うっかりプロジェクトに関わってしまうような、
そんな空間をつくること。

昨日のハイライトは、
「数学の前では子どもも大人もない」

もちろん、この「数学」には、
「本」とか「プロジェクト」とかも入るのだけど、

つまり、「学び」の前では、大人も子どももない。
それこそ、吉田松陰先生が野山獄で実践したことではないか。
学びの前では、罪人も聖人もないのだ。

そんな空間、そんなプロジェクト。
そんなのが無数に生まれていくような、「場」。

たぶんそれが僕が
「本のある空間」で実現したいことなのだろうと思った。

「サードプレイス」から「サードプロジェクト」の生まれる「場」へ
その「場」は制的な場所ではなく、動的な「場」であるような気がしている。

なんだか、楽しくなってきました。
いい対話をありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 08:40│Comments(0)日記
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