2018年02月14日
サードプレイスは、見つけ出す場所
昨日のブログ
「サードプレイスは本当に必要なのか?」
の反応にインスパイアされた。
中高生にとっての「サードプレイス」は、
与えられた場ではなく、探し出す場ではないのか?
という問い。
そこから考えた。
そもそも、「サードプレイス」は、
一般化された概念ではあるけれど、
ひとりひとりにとっての「サードプレイス」とは、
あくまで、その人にとってのパーソナルな「サードプレイス」であり、
みんなにとっての「サードプレイス」、
しかも場所として認知されうる「サードプレイス」
というのはあり得ないのではないか。
それは、「居場所」問題や
「アイデンティティ」問題とも関わってくるのだけど、
静的な「居場所」と動的な「場」
「プレイス」と「プロジェクト」
たぶん、その両方が必要なのではないかな。
いずれにしても、
みんなが「サードプレイス」だと思う
「サードプレイス」というのは存在しないので、
ひとりひとりが、自ら
「サードプレイス」も「サードプロジェクト」
も見つけ出していかなければならない。
「プロジェクト」にしても、
成果にフォーカスし過ぎるのではなく、
ひとりひとりにフォーカスしたミーティングを行っていくこと。
つまり、チューニングを行うこと。
ミーティングとは感性をチューニングすること(17.4.23)
http://hero.niiblo.jp/e484576.html
そうやって、プロジェクトが
その人にとって「サードプレイス」化してくるのかもね。
なるほどなるほど。
だんだんつながってきますね。
サードプレイスは、提供される場ではなく、
見つけ出す場、勝ち取る場、創り出す場
なのだと思います。
たぶん、
その見つけ方、勝ち取り方、創り出し方、
そんなのを一緒に考えていけたらいいなと思います。
「サードプレイスは本当に必要なのか?」
の反応にインスパイアされた。
中高生にとっての「サードプレイス」は、
与えられた場ではなく、探し出す場ではないのか?
という問い。
そこから考えた。
そもそも、「サードプレイス」は、
一般化された概念ではあるけれど、
ひとりひとりにとっての「サードプレイス」とは、
あくまで、その人にとってのパーソナルな「サードプレイス」であり、
みんなにとっての「サードプレイス」、
しかも場所として認知されうる「サードプレイス」
というのはあり得ないのではないか。
それは、「居場所」問題や
「アイデンティティ」問題とも関わってくるのだけど、
静的な「居場所」と動的な「場」
「プレイス」と「プロジェクト」
たぶん、その両方が必要なのではないかな。
いずれにしても、
みんなが「サードプレイス」だと思う
「サードプレイス」というのは存在しないので、
ひとりひとりが、自ら
「サードプレイス」も「サードプロジェクト」
も見つけ出していかなければならない。
「プロジェクト」にしても、
成果にフォーカスし過ぎるのではなく、
ひとりひとりにフォーカスしたミーティングを行っていくこと。
つまり、チューニングを行うこと。
ミーティングとは感性をチューニングすること(17.4.23)
http://hero.niiblo.jp/e484576.html
そうやって、プロジェクトが
その人にとって「サードプレイス」化してくるのかもね。
なるほどなるほど。
だんだんつながってきますね。
サードプレイスは、提供される場ではなく、
見つけ出す場、勝ち取る場、創り出す場
なのだと思います。
たぶん、
その見つけ方、勝ち取り方、創り出し方、
そんなのを一緒に考えていけたらいいなと思います。
Posted by ニシダタクジ at 08:15│Comments(0)
│日記
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