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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年02月23日

違和感から問いへ。問いから仮説へ。仮説と志のあいだ。

なんのためにうまれて
なにをしていきるのか。
こたえられないなんて
そんなのはいやだ

なにがきみのしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ

(アンパンマンのマーチより)

これって、ドラッカーでいうところの

「ミッションは何か?」
「顧客にとって価値は何か?」

っていう問いですよね。
問いがあるね、アンパンマン。
きっと、この問いには根源的なものがあって、
きっと思春期の若者は、問いかけているのだろうと思う。

いや、40のおっさんになっても、
同じように問いはあるのだけどね。

みんな、考えないようにしているのかな。
それとも、思考停止という価値に染められてしまったのだろうか。

みんな「ミッションは何か?」
つまり、「志」を求めて
あてもなく旅をしているように思う。

しかしながら、いきなりぼんやりと、
「自分のミッションとはなんだろう?」って
考えても、何から考えていいかわからないだろうし、
私たちは、宗教の開祖ではないから、
天命というものが空から降ってくるわけでもない。

一発で見つけようとせずに、
「志」はこれなんじゃないか?
という仮説を立てて、実行すること、
そして振り返ること、この繰り返しでしかないと思う。

僕は高校1年の時、クラス最下位を取るくらいに劣等生だったのだけど、
3年の時に市立図書館で「沙漠緑化に生命を賭けて」という本に出会い、
著者である遠山正英先生のいる、鳥取大学農学部が第一志望となって、
そこから受験勉強を開始した。
僕のミッションは砂漠の緑化だと、本気で思っていた。
まあ、結果は、新潟大学農学部に入ったのだけど。

2002年1月には、不登校の中学3年生に出会って、
最初はぜんぜんしゃべらなかった彼が、
だんだんと心を開いてきて、話をするようになった。

そのとき感じが強烈な違和感。
「なんでだ?」って思った。

当時、僕はプータローだった。
勤めていた地ビール屋さんを9か月で退職して、ブラブラしていた。
もっと立派な大人がたくさんいるだろう。
それなのになぜ?
「違和感」が「問い」に変わる。

「問い」から仮説を立てる。

僕がプータローであることに価値があった場合。
・学校と家庭以外の地域で多様な大人に出会うことが必要なのではないか?
と考え、山形を中心に行われていた「だがしや楽校」をモデルに、
遊びと学びの寺子屋「虹のひろば」を実施した。(2005~2010)

・本を通じて、中高生と地域の大人が出会う仕組みとして、
地域の大人から寄贈してもらった本を、若者が暗やみで発掘する
地下古本コーナー「HAKKUTSU」を開始した(2011~2015)

その動きが、現在、
東京都練馬区で行っている「暗やみ本屋ハックツ」(2015~)や、
大阪市旭区の千林で行われている「こめつぶ本屋」(2017~)や
川崎市中原区の武蔵新城駅前の「新城劇場」(2017)にも設置された。

しかし、この問いに対する仮説は、これだけではなかった。
それに気づいたのは、僕が「本の処方箋」をやるようになったからだ。

「本の処方箋」は、
問診票にお気に入りの書店、最近読んでいる本や、
悩んでいることを書いてもらいながら、それに基づいて対話をし、
3冊程度の本を提案するものなのだけど。
特に大学生や20代に好評である。

違和感から問いへ。問いから仮説へ。仮説と志のあいだ。
本の処方箋@nabo(長野県上田市)

それをやっていて気づいたこと。
友人に、「西田さんは本を通じて人と向き合いたいんですね。」
って言われたときに、「あれっ」て思った。

向き合いたくない。

僕は話や悩みを聞くのは好きだけど、
向き合いたくはないのだ。
だから、本棚のほうを向いて、話をしているのだ。

話を聞いているフリをして、(いや、聞いてるとは思うんですが)
意識の何%かは、どんな本がいいかなって、思っている。

あとは、僕自身が、
その悩みを解決しようとするわけではなくて、
「共に悩みたい」っていう願望があるんだなと。

だから、
「向き合って、悩みを解決する」のではなく、
「向き合わずに、共に悩む」という価値を提供しているのが
「本の処方箋」なのかもしれない。

それってさ、もしかしたら
2002年の時の違和感からの問いへのひとつの仮説になっているんだ。

彼が心を開いたのは、
僕がテキトーな大人で、彼に真剣に向き合わなかったことや、
「共に悩みたい」という欲求が僕の中にもあったからではないかと。

実は中高生にとって、必要なのは、
喫茶店のマスターのような、話を聞いているようで
真剣には向き合わず、意外性のある一言をくれる大人なのではないかと。
これが第2の仮説だ。

そしてもうひとつ。
今年1月に福島県白河のカフェ「EMANON」に行って思ったこと。

http://hero.niiblo.jp/e486769.html
(「ベクトル感」を感じる 18.1.15)

高校生が集まってくるこのカフェに、何があるのか?
僕がインタビューをして、思ったのは、「ベクトル感」だった。

「ベクトル感」とは、
この人は、この方向に向かっているんだな
と感じること。

エマノンとは、そういう「名もなき」若者が、
それぞれの方向へのベクトルを持ちながら、
実験的に何かをやってみる、という場所だった。

だから、高校生が集まったのだ。
つまり、高校生は「ベクトル感」を必要としているのではないか?
これが第3の仮説だ。

2002年1月、僕は無職だった。
でも、畑をやっていた。

どうやって食っていくか?
っていうビジョンは無かったけど、
僕にはきっと、27歳ならではの「ベクトル感」があった。

以上3つの仮説は、
2002年の時に感じた「違和感」から始まった「問い」に対するものだ。
この「仮説」を実行してみる。

それを繰り返すと、
人は「志」を手に入れられるのではないだろうか。

僕だったらこの3つを総合した場をつくるのだ。

・地域の多様な大人に出会える場
・悩みに対しては「共に悩む」という姿勢で臨む
・「ベクトル感」のある大人を呼んでイベントをする

などなど。
そういう場を中高生は必要としている。

たぶんね。

仮説だから、わからないけど。

仮説と志って、同じようなものではないかな。

志を持てば、人生は学問になる、ですよね、深谷さん?

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Posted by ニシダタクジ at 08:21│Comments(0)思い
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