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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年02月27日

「負債感」と「当事者意識」


「21世紀の楕円幻想論」(平川克美 ミシマ社)

第4章まで来ました。
「有縁」社会と「無縁」社会。

第3章の途中から、
さらに面白くなってきました。

場、近代、縁などなど、
僕のキーワードにピッタリです。

いちばんハッとさせられたのは、
この章の冒頭にある「賭場の論理、世俗の論理」。

カジノ法案、是か非か、みたいな。

まあ、政治っていうのは決めることだからいいのだけど、
1つの価値観でもって、それをどちらか決めるのはどうなんだと。

平川さんが言うように、

~~~以下引用

酒やたばこ、あるいはギャンブルを楽しむという社会と、
酒やたばこは身体に良くない、
ギャンブルは依存症をつくりからダメだという社会と、
比較してどちらに同意するんだと迫るのは、
思考停止だといわざるを得ないのです。

こうした、思考停止による二者択一は、
文化的なふるまいから逸脱した、
生活の強制へと向かってしまいます。

そもそも、相反する二つの事項、
異なった原理を有する二つの事項について
考えるときに、どちらか一方だけに
収斂させれば問題は解決すると考えるのは、
成熟した大人がやるべきことではない。

~~~以上引用

なるほど。
僕もそう思います。

そして、賭場の原理を以下のように説明します。

~~~以下引用

賭場の原理というのは、
人情無縁の「無縁」の原理なんです。
一人ひとりが縁を結ばず、金だけが支配している社会です。
だからこそそこには中央権力が定める法律も及ばないし、
世俗のしきたりも希薄である。

そういう逃げ場がないと、
世俗の社会をはじきだされたものは、
死ぬしかなくなってしまいます。

共同体が存続していくために必要なことは、
脱落者を出さないことです。

(中略)

だから、「無縁」の原理を必要としているのは、
「有縁」の場なのであり、「有縁」の原理もまた
「無縁」の場が必要としているともいえるだろうと思います。

~~~以上引用

「駆け込み寺」っていうのは、
中央権力、幕府の権力が及ばないところでした。

そうやって、
「有縁」と「無縁」がうまくかみ合って、
世の中は存在していたのではないかと。

平川さんの言葉を借りれば、
宗教的な場は「許し」の場であり、
世俗の場は、「贖罪」と「許し」がせめぎあう場であり、
ビジネスは厳格な等価交換の場だということです。

なるほどね。
世の中が「ビジネスの場」で一元化されちゃうと
それはつらいですね。

「相互扶助では儲からない」
これはたしかにそうなんでしょう。

友達から本を借りて読むより、
古本屋で安く本買うより、
新刊書店で定価で買ってもらったほうが儲かるもんね。
そうやって、だんだんと「無縁社会」へとシフトしていった。

でも、そこに惹かれた若者たちって
なんだったのだろう。

「東京には夢がある」って思って、
田舎から出てきて、高いアパート家賃を払って、
家賃を払うためにアルバイトして、
J-POPを聞きながら、途方に暮れる、みたいな暮らし。
ホントにしたかったのかな、って。

挙句に、「自己責任」とか言われちゃって。
「無縁社会」を象徴するような言葉です。
「自己責任」。

平川さんが指摘しているように、
起こった結果に対して、当事者として、
自分の身に引き受けるという本来の意味ではなく、
自分には無関係であるということの言明にすぎないのです。
つまり、「俺には関係ないよ」ってことです。

~~~以下三たび引用

「責任」は、英語ではresponsibilityと言いますね。
これは、respond(応答する)と同じ語源を持つ言葉だと
いうことがわかります。

日本語なら、まさにこれは「縁」ですね。

(中略)

「縁」の世界で起きたことは、
どんなことも、どこかでつながっており、
呼びかけがあれば応答しなければならない。

すべての人間は、
程度の差はあっても当事者性から
逃れることができないということです。
まあ、面倒くさいといえば面倒ですね。

しかし、当事者性を意識するところから責任をとるという
モラルが出てくる

しかし、他者に対して「自己責任だ」と言うのは、
自分とはまったく関係がないという責任転嫁の
言明でしかありません。

~~~以上三たび引用

ここから、平川さんは、
「無縁」を否定しない「有縁」社会を提案します。

江戸時代の厳しい身分社会の中でも成立していた、
共同体の内側では、相互扶助的なものが
息づいているような社会。

たぶん。
いま、若者がシェアハウスをしたり、
メルカリでものをやり取りするのも、

あまりにも世の中が「無縁社会」なので、
なんとか生き延びていく方法論なのだろうなと思います。
なんか、いろいろ深いところで考えさせられるなと。

「縁」って「負債感」を負わせる。
「借りがある」と思わせる。
等価交換じゃない何か。

たぶんそういうのが大切なので、
当事者意識の源泉なのではないかなと思う。

中村くん星野くんと2008年に立ち上げた
「起業家留学」(byヒーローズファーム)の
キーコンセプトは「当事者意識」と「価値創造力」だった。

中小企業経営者のもとで、
「当事者意識」を育みながら、
価値について考え、価値を生み出していく
人材を育成していくこと。
なかなかいいコンセプトだったなと改めて思う。

「志」とは、
社会や先輩方に対しての「負債感」と
責任を勝手に引き受ける「当事者意識」
からも生まれてくるのだろうなと思った。

そしてもうひとつ。
僕がいつも「顧客はだれか?」「顧客は過去にいる」
と問いかけているのは、

過去に出会った具体的な人や
過去の自分自身を顧客とすることが
もっとも当事者意識を感じることができるからではないか。

なんか、いろいろ過去が解読される感じでよいですね。
ありがとうございます。

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