2018年04月17日
「評価」と「承認」のあいだ
昨日、
他者評価の檻から自分を脱出させる方法
の第1回だった。
大学生2人のリアルを聞かせてもらった。
人はなぜ、
「他者評価の檻」に閉じ込められて、
あるいは自らを閉じ込めてしまうのだろうか。
キーワードは、
やっぱり「承認欲求」
いまの経済社会は人の「承認欲求」を、
巧みに「他者評価欲求」への
すり替えていくことで成り立ってきたのではないか。
それを可能にしたのが学校教育なんじゃないのか。
そんな問い。
http://hero.niiblo.jp/e485990.html
「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと(17.10.11)
承認欲求は、根源的欲求であると思う。
つまり、それがないと生きられない、ということ。
それについては
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
を読んでほしいのだけど。
http://hero.niiblo.jp/e480102.html
「自由」と「承認」(16.6.14)
「承認」と「評価」は違うものだと思う。
どちらかといえば、
「承認」は(心理的に)フラットな関係性で起こるのに対し、
「評価」は上下関係によって起こる。
http://hero.niiblo.jp/e467071.html
「ほめるな」(伊藤進 講談社現代新書)
っていう本があるけど、
ほめることは、
その二者が固い信頼関係で結ばれていない限り
「立場を固定する効果」しかない。
つまり、親しくない他者からの「評価」というのは、
立場を固定する効果を高める。
つまり、資本家、あるいは経営者と
労働者の上下関係を強化することにつながる。
それって、
やっぱり、かつて必要だったのだろうなと。
そうしないと、みんなが働いてくれなかったのだろうな、と。
「評価」と「承認」その違いを把握すること。
だんだんと、
他者評価の檻の外形が見えてくる。
他者評価の檻から自分を脱出させる方法
の第1回だった。
大学生2人のリアルを聞かせてもらった。
人はなぜ、
「他者評価の檻」に閉じ込められて、
あるいは自らを閉じ込めてしまうのだろうか。
キーワードは、
やっぱり「承認欲求」
いまの経済社会は人の「承認欲求」を、
巧みに「他者評価欲求」への
すり替えていくことで成り立ってきたのではないか。
それを可能にしたのが学校教育なんじゃないのか。
そんな問い。
http://hero.niiblo.jp/e485990.html
「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと(17.10.11)
承認欲求は、根源的欲求であると思う。
つまり、それがないと生きられない、ということ。
それについては
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
を読んでほしいのだけど。
http://hero.niiblo.jp/e480102.html
「自由」と「承認」(16.6.14)
「承認」と「評価」は違うものだと思う。
どちらかといえば、
「承認」は(心理的に)フラットな関係性で起こるのに対し、
「評価」は上下関係によって起こる。
http://hero.niiblo.jp/e467071.html
「ほめるな」(伊藤進 講談社現代新書)
っていう本があるけど、
ほめることは、
その二者が固い信頼関係で結ばれていない限り
「立場を固定する効果」しかない。
つまり、親しくない他者からの「評価」というのは、
立場を固定する効果を高める。
つまり、資本家、あるいは経営者と
労働者の上下関係を強化することにつながる。
それって、
やっぱり、かつて必要だったのだろうなと。
そうしないと、みんなが働いてくれなかったのだろうな、と。
「評価」と「承認」その違いを把握すること。
だんだんと、
他者評価の檻の外形が見えてくる。
Posted by ニシダタクジ at 07:52│Comments(0)
│日記
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