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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

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日祝10:00~19:00
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2018年05月23日

「予測不可能」という価値

僕が「予測不可能性」というキーワードを
意識し始めたのは、昨年5月の
法政大学長岡ゼミの「カフェゼミ」だった。
「つながるカレー」の会@日本橋。

加藤さんの、
あまったカレーの話に、シビれた。
エンターテイメントとは、予測不可能性であると思った。

http://hero.niiblo.jp/e484808.html
「予測できない」というモチベーション・デザイン
(17.5.19)

そして、7月の「アルプスブックキャンプ」で
藤本さんに出会う。
http://hero.niiblo.jp/e485488.html
「出会うたんです」(17.8.1)

彼は、予測不可能なことに出会った自分自身という
現象を記事にしていくことで、魅力的なものになると言った。
それが「魔法をかける」ということなのだと。

そして、それはコミュニケーションデザインとしても
使えるな、と思っている。

エンターテイメントの本質が
「予測不可能性」であると仮定する。

すると、
工業社会における「仕事」には、「予測不可能性」はほとんどない。
それが、「疎外」のひとつの要因だったのではないか。

人は、やっていることを楽しむために、
「予測不可能性」を必要としている。

クラフト(手作り)の楽しさは、
ていねいさ、クオリティの高さだけではなく、
「何ができるか分からない」という予測不可能性にもあるのではないか。

大量生産の工業製品(100円ショップに並んでいるようなもの)や
チェーン店の均質化された料理にワクワクしないのは、
(別にワクワクを求めているわけじゃないのかもしれないけど)
そこに予測不可能性が存在しないからではないのか。

「注文をまちがえる料理店」や
何が出てくるか分からないサービスエリアの定食は、
それを見事にエンターテイメントビジネスへと変更したのではないか。

工業社会にとって、
「予測可能」であることは絶対の価値があった。
そしてそれを可能にしたのは、「増え続ける人口」だった。

多くの人々は、
「生き延びる」という価値のために、
「予測可能」な生き方を選択した。

会社員となり、厚生年金に入り、
30年以上のローンを組み、マイホームを建て、
老後は悠々自適に過ごす。
そんなストーリーを「生き延びる」ために選択した。
(させられた、のかもしれない)

「目標を達成する。」こと。
それは予測の実現と同義である。
学校はそこにこそ「価値」があるんだと教え続けた。
その仮説は、おそらく正しかった。

そうやって我が国は世界に類を見ない
経済成長を遂げることができた。

ところが。
もう、その前提が変わってしまった。

人口は減り続け、
工業社会から作り出されるモノを
それ相応の対価を払って手に入れようと思う人は、
世界中にほとんど残っていない。

そもそも。
「予測可能」というもの自体が、
エンターテイメントと逆の感情、つまり、つまらないという感情を生むのだ。
もちろんこれは、僕の場合、なのかもしれない。

「達成動機」という話を聞いたことがある。

世の中には「達成動機」が強い、
つまり目標を達成することに対して、
特に喜びを感じる種類の人たちがいるのだという。
その人は、ビジネスで成功する確率が非常に高いのだと。
「夢に日付を」と言って、達成できる人のことだ。

しかし、自己啓発書を読む多くの人は
「自分に甘いから目標を達成できない」
と思っている。

しかし、本当はそうじゃなくて、
「達成動機が強いから達成できる」、そういう人がいるのだ。
ということなのかもしれない。
(僕が自分に甘いからこういうことを言っているのかもしれない。)

僕がツルハシブックスをやっているとき。
特に地下古本コーナーHAKKUTSUの取材を受けて、
もっとも困った質問が、

「本を発掘した若者に、どうなってほしいですか?」
だった。
つまり、このプロジェクトの目的・目標は何か?
と聞かれたのだ。

その時の僕の気持ちは、
エリカ様バリの「べつに・・・」だった。

別にどうもなってほしくない。
僕はただ、本を届けたかった。それだけだ。
僕にとってその「機会提供」が価値だ。

今なら、その先を説明できる。

僕がなぜ、それをやっていたのか?
暗闇で懐中電灯を片手に、
本の表紙に貼ってあるメッセージを頼りに、
直感を働かせて本を手に取る。
それを買う。

それの行為は、発掘した本人だけではなく、
特に「僕にとって」予測不可能性の高い行為だ。
だから僕はそれをエンターテイメントだと思ったのだ。
だからこそ、そんな活動をやっているのだ。

そして、大学の中に身を置いてみて、
その他でもいろいろ非営利活動に取り組んでみて、
僕が分かったこと。

ミーティングと振り返りを楽しむこと。
場のチカラで何かを創造すること。

そのために個人として、
「評価」ではなく「承認」が重要なのだ知ること。
「承認」が得られる「場」「チーム」を手に入れること。

たぶんそれ。
そこにも、「予測不可能性」というキーワードが入ってくる。

「最近会ったよかったこと」という「チューニング」から始まるミーティング。
「今日のミーティングの感想は」という「チューニング」で終わるミーティング。

「予測できなかった悪かったこと」(反省点)だけでなく「予測できなかったよかったこと」
という予測不可能性を楽しむための振り返りの手法。

メンバーそれぞれの過去を掘り下げるという、
「顧客」を探すビジョンセッション的ワークショップ。

そんなのを積み重ねて、
「承認」が得られる場をつくる。
そして、「学び」のある場をつくる。

「学び」という予測不可能性を感じられる場をつくる。
それが活動のモチベーションのドライブにとって、最も大切なことだと思う。

たぶんこれが、これから僕がやっていくこと。

ともに学ぼう。
その先にある、予測不可能な何かを見てみたいから。

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Posted by ニシダタクジ at 10:20│Comments(0)言葉
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