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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年05月31日

「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
ツルハシブックスに来た若者の二大悩みだ。

2008年に「ヒーローズファーム」を起業してから
僕はこの2つを自分なりに「研究」してきた。
研究といっても、本を読んで、仮説を立てて、
その若者と対話をする、の繰り返し。

あとは企業での長期実践型インターンや
大学の短期合宿型プログラムを作ったりもしていた。

現時点での僕の仮説
国分功一郎さん敵に言えば
「俺はこういうことを考えているんだ。君はどう思う?
と手渡せるものができたという意味である。」
っていう感じのことをまとめてみる。

http://hero.niiblo.jp/e487284.html
(他者評価の檻に入る前に 18.4.11)
↑めちゃ長文です。

「やりたいことがわからない」と
「自分に自信がない」は
本当に解決すべき課題なのか?

っていうところから。

「やりたいことがわからない」は課題ではなく、
「やりたいことがわからなくてつらい」っていうのが課題なのではないか。
解決策は「やりたいことがわかる」ではなく、
「やりたいことがわからなくてもつらくない」ではないのか。

「自分に自信がない」は課題ではなく、
「自分に自信がないから、何かを始められない」っていうのが課題なのではないか。
解決策は「自分に自信を持つ」ではなく、
「自分に自信がなくても始められる。」ってことではないか。

僕はこの悩みのベースに、
「承認」があると思っている。

上の2つの悩みを持っている大学生には、
山竹伸二さんの「認められたいの正体」(講談社現代新書)
「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」
を読んでほしいのだけど。

この2つの
「やりたいことがわからなくてつらい」っていうのと
「自分に自信がなくて始められない」っていうのは、

根っこのところに「承認欲求」が満たされないことが
挙げられると思うんだよね。

それが、学校教育によって、さらに強化されている。

http://hero.niiblo.jp/e459844.html
「自信がない」は後天的に獲得した資質である。

やればできる(かもしれない)
っていうのが人間のデフォルト。
単一の指標(学習の、しかも情報処理能力)で測って、
評価されつづけると、いつの間にか「自信がない」を獲得してしまう。

「やりたいことがわからない」も同じようなカタチだ

http://hero.niiblo.jp/e482630.html
(「13歳のハローワーク」の呪い 16.11.1)

「13歳のハローワーク」は、村上龍氏の
「職業こそが人間に生きがいと存在証明と自由を与える最重要な要素だ」
という思想が散りばめられている。

「やりたいことがわからない」に対する回答は、こうだ。

~~~ここから

そもそも職業は、
その職に就きたい誰かのために考案されたものでもなければ、
その職に向いた資質を備えた若者にふさわしい職場を
与えるべく用意されたものでもない。

職業は、ごくシンプルに、
人間社会の役割分担の結果として、
社会の必要を満たすためにそこにあるものだ。

ゴミを拾うのが大好きな人間がいるからゴミが生まれているのではない。
ゴミ愛好家のために廃品回収業という職業が考案されたわけでもない。

職業は、職業であって、それ以外でもない。
職業で、自己表現をする方法もある、だけで、
それが唯一の方法ではない。

~~~ここまで

「キャリア教育」の根本を揺るがす、前提の否定だなあと。
僕が持っていた「13歳のハローワーク」への違和感を
文章にしている。

それなのに、学校は「やりたいことは何か?」
「夢・目標は何か?」とひたすら聞いてくる。
まるで、「夢がなければ、人にあらず」というくらい聞いてくる。

わかるはずない。
しかもそれを職業名で答えることに
どれほどの意味があるのだろうか。

その子が成人するまでに
その職業は存在しているのか?
もしくは成長産業としてそこにあるのか?さえ信じられないのに、
10歳くらいで「2分の1なんとか」をやらされて、
夢を宣言することのおかしさ。
その根本には、「承認欲求」があると僕は思う。

山竹さんの言う、3段階の承認欲求
「親和的承認」(ありのままの自分を承認される。存在承認)
「集団的承認」(集団の中で役割を果たすことで承認される。役割承認)
「一般的承認」(一般的によいとされていることで承認される。一般承認)

これらが明確に区別されるわけではないが
この第1段階目の「親和的承認」を受ける機会が
圧倒的に減ったのだ。

これを与えてくれるのが、おじいちゃんおばあちゃんなどの「家族」であり、
地域や商店街などの「コミュニティ」である。

おじいちゃんおばあちゃんが孫に対して、
全力の愛と許容をしてくれる機会が減った。
地域を歩いているだけで声をかけられる地域、
買い物に行けば世間話をするようなお店は消滅した。

この「親和的承認」機会の減少が
根源的には、「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」若者を生んでいる、というのが僕の仮説だ。

意識高い系と言われる若者が
なんとなく不安定な危うさを感じるのは
そこに原因があるようにも思う。
親和的承認の不足を一般的承認(これは評価とも直結している)
で満たそうとしているのではないか、ということだ。

だから、
現時点で、大学生が
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と思っているとしたら、

「なんでもやってみなよ」とか
「小さなチャレンジからはじめてみなよ」
と声をかけるのではなく、
根本的な承認欲求、つまり親和的承認を満たすところから始めてみること。

「承認」、特に存在承認(自分がここにいてもいいのだという感覚)を
得ることが大切なのだと思う。

「リハビリ」がまず必要なのだよね。

僕がオススメするのは、
田舎インターンシップだ。

2012年。
新潟・佐渡の北に浮かぶ粟島での
3泊4日のプログラム。

人口300人、高齢化率が50%に迫ろうかという粟島で
「自らの課題と島の課題を同時に解決する旅行プラン作成」
だった。

「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」

3泊4日した後の学生の感想をひとつ紹介する。(大学1年生)

・粟島は、事前研修の時と全然印象が違って、まず最初にまちの人が本当にあたたかいなと思った。会うたびにあいさつを交わし、たわいもない世間話をする。そんなあたたかい島に来れて本当に幸せだと思った。でも私は粟島に来る前に粟島を何とかして変えたいと思ったけど
島の人はこの現状に満足していて何も変わらないでほしいと願っていたし、本当に島が大好きなんだなと思って、自分自身気づかされたし驚きだった。そして粟島の人たちは家族のように受け入れているので、私もいつかまた粟島に来ておじいちゃんおばあちゃんに会いたいなと思った。(原文まま)

粟島を変えたいと思っていたけど、
島の人たちは「変わらないでほしい」と願っていた
「価値」が揺るがされる経験。
そして何より、会うたびに挨拶を交わす関係性。

「自分は若いだけで価値があるのではないか」
と勘違いする。

いや、本当は、人は若いだけで価値があるのだ。
年を重ねないとわからないのだけどね。

そんな機会を得ること。

遅すぎるということはないけど、できれば、大学1,2年生の
「就活」の声が聞こえないうちにリハビリすること。

「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と感じている大学生に田舎インターンシップを届けたいなあと思う。

「にいがたイナカレッジ 2018夏のインターンシップ」
2018年8月中旬~9月中旬(約4週間)
フィールド:主に新潟県中越地方
説明会@東京:6月8日(金)@浅草、6月10日(日)@高田馬場

※説明会参加は必須ではありません。興味があったら、
お問い合わせください。
https://inacollege.jp/

その親和的承認の「リハビリ」の先に、
「チームで何かやってみる」フェーズがあって、
(もちろん、イナカレッジインターンでそのフェーズが同時に起こります)

そこにも、
「チューニング」「ミーティング」「ふりかえり」
の手法を導入しているから、「承認」を増やしながら、
「何かやってみる」ができるようになる。

「価値」とは何か?それをどうやってつくるか?
考えながら自らつくっていくということができるようになる。

そういう「場」をいろんな場所につくりたい。
それが現時点での僕の祈りかもしれません。

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Posted by ニシダタクジ at 08:32│Comments(0)日記
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