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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年12月14日

営みと「天の恵み」という贈与と返礼


「TANEMAKI.01~まきどき村の米づくり」

購入はこちらから(こちらは米3合付き!)
https://karasawa.thebase.in/items/15213326

先週の金曜日、唐澤さんと長岡で
トークイベントをして1週間。

帰りの車で生まれたキーワードは、
「営み」だった。

http://hero.niiblo.jp/e488524.html
「自己肯定は営みの中に内蔵されている」(18.12.8)

ここでは、イナカレッジにも言及されているけど

※イナカレッジの来春からのプロジェクトはこちらから。
https://inacollege.jp/2019spring/

イナカレッジの参加者が地域の集落での暮らしで、
唐澤さんがまきどき村の米づくりに見たものは、感じたものはなんだったのか?
という問い。

そんな問いに応えてくれる本に出会った。


「農業を株式会社化するという無理」(内田樹他 家の光協会)

久しぶりの内田節にうなりました。

藤山浩さんの「郷の駅」構想は
まさに僕が本屋さんや米屋さんでやりたいことだったりした。

「人口じゃなくて、ひとりひとりの人生」っていうのはまさしくその通り。
大学生が直面しているアイデンティティ問題にも直結している。

宇根豊さんの「農本主義」にもシビれた。
いきもの指標による「環境支払い」とか、
農をふたたび取り戻す仕組みだよなあと。

ドイツの農村には、
「このリンゴジュースを買って飲まないと、
この村の美しい風景が荒れ果ててしまう。」
と言ってリンゴジュースを買っていく風景があるのだと。

「天地と自分は別々ではなかったのだ」と感じられること。

「農業は、労働ではなく天地との協働」
そんな思想にあふれていた。

ラストは、平川克美さんが締めた。

「AかBかの二項対立で考えないこと。
二項対立になった瞬間にそのあいだの選択肢をすべて失っている。」
「これからの生き方」みたいな答えはないから考え続けるしかない。

そうそう。
そうだなあと。

あらためて、第1章の内田樹さんのところからいくつか抜粋する

~~~ここから引用

農業が他の産業と一番違うのは、その成果の多くが自然からの贈与に拠っているということです。鉄の塊を地面の上に置いておいたら自動車ができあがっていたというようなことは絶対に起こりませんが、農業の場合は、種子を土の上に置いておいたら、土壌と雨水と太陽の熱で気がついたら可食物がそこに育っていたということが起こり得るというか。というか、そういう「奇跡」に感動したことが人間が農業を始めたきっかけであるはずです。

それは狩猟や漁労でもそうですけれど、自分たちが手にした成果が「天からの贈与」であるということを第一次産業の人たちは実感している。自分たちが贈与を受ける立場にあることを実感する。ですから当然それに対しては感謝の気持ちを抱く。「ありがたい」と思う。

自分たちが企業活動を通じて得た利益を「天からの贈与」だと思って、感謝するというマインドがデフォルトであるようなビジネスが他にあるでしょうか。製造業でも、サービス業でも、そんなことはありません。

実際に自分の体を使って、太陽を浴びて、雨に濡れて、風に吹かれて労働した後に、その成果として青々とした作物が実り、それを収穫して、食べて美味しかったということの感動は、他の仕事では得られないものだと言います。

そしてそれが「贈与」であると実感したら、人々は「反対給付」の義務を感じる。当然のことなんです。誰かに贈り物をしてもらったら、「お返し」をしないと気が済まないというのは人間として当然のことだからです。

農作物は部分的には天からの贈与です。贈与である以上、それを受け取った者は反対給付義務を感じる。この恵みについては誰かに対して「お返し」をする義務が自分にあると感じる。

それが自分の社会的な責務、人類学的な責務であるということを感じる。きちんと「お返し」をしないと悪いことが起きると感じる。それが価値を生成する現場に直接立ち会う人だけが味わう特殊な経験だと思います。

教育の過程もまさに「開花」とか「果実」という言葉を使うわけです。水をやり、肥料をやり、一生懸命手がけてあげて、雨雪から守ってあげてるうちに、地面から才能が湧き出てくる。

~~~ここまで引用

ふむふむ。
何度読んでも内田さんの「贈与」の話はうなるなあ。
そんな風に世の中はなっているのだなあと思う。

米づくりという「営み」の中には、「天の恵み」があって、
その贈与を受けた者として、何かお返しをしなければいけない。
その贈与の「連鎖」の中にいること。

たぶんそれが、
米づくりにはあるのだろうし、

20年前に僕がひたすら問いかけていた
「自然」とはなんだろうか?」という問いへの
一つの回答になっている。

そういう「贈与」の感覚を、
僕は、本屋や米屋や畑や田んぼによって
表現したいのかもしれないなあと今思っている。

唐澤くんが田んぼ1年目で感じたこと。
そして、イナカレッジの参加者が1か月の田舎の集落暮らしで感じること。
それらはきっと近いものがあるのかもしれないと思った。

営みの中にある圧倒的な贈与。
そこに、「生きる」ために必要な何かがあるのだろうな、と思う。

ああ、最近は読書運がいいなあ。

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Posted by ニシダタクジ at 08:32│Comments(0)
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