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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年04月01日

学校外の「居場所」ではなく、「おでん」を持つこと

学校外の「居場所」ではなく、「おでん」を持つこと
「日本再興戦略」(落合陽一 幻冬舎)

今日も読書日記。
この本から「わかりやすさ」と東洋思想について。

~~~ここから引用

幸せという概念は、明治時代以降の産物です。

西洋的な幸福観は押し付けられたものなのに、
今の日本人はメディアの基準に照らし合わせて、
「とにかく幸せでないといけない」と信じ込むように
なってしまいました。

何かを求めているけれども、
それが足りないという状態は、実は依存症です。

別に、自然でいればいいのに、
メディアが定義した幸せを探す日々の中で、
日本人はいつのまにか「幸せ依存症」になってしまったのです。

「愛」も明治以降に日本に入ってきた概念です。
日本人には、きずなは昔からありましたが、愛はありませんでした。
愛ときずなの違いとは、愛が熱情的な感情を指す言葉であるのに対して、
きずなはステート(状態)であるということです。
きずなは状態ですので、それが永遠に続くこともあります。
しかし、愛はあくまでも感情ですから熱したり冷めたりで総量が変わっていきます。

たとえば、日本人の伝統的な老夫婦は、「愛している」とは口で言わずに、
静かにたたずむイメージがあると思いますが、
あれはすごく日本的でジャパニーズです。
西洋の夫婦関係は、年老いてからも愛を語る美しさがありますが、
きずなそれ自体もまた美しい関係性です。

こうした幸せや愛という概念に限らず、明治時代に生まれた翻訳言葉が、
我々の変な価値観を規定しています。
福沢諭吉や西周をはじめとする知識人たちは明治期に、
西洋社会から輸入した概念の訳語をほとんどつくりました。

それはものすごい仕事であり、評価できることなのですが、
如何せん突貫工事でもあるので、時代に合わせて修正する必要がありました。
つまり、先人に学び、先人と対話し、我々の思考基盤のアップデートが
必要になるのは先人も想定した上で取り組んでいたのでしょう。

しかしながら、それを修正する前に、日本は第二次世界大戦の
敗戦国となり再びグランドデザインされてしまいました。
日本になじむ西洋との折衷概念が生まれる前に、
多くの言葉がふたたびリセットされたしまったのです。

言葉を考え直さないと、われわれは日本再興戦略を組むことができません。
このままでは言葉尻だけを追い続けてしまう。
「欧米」と言っているうちは、コミュニケーションは
できず何も見つけることはできないのです。

~~~ここまで引用

いやあ、テレビCMとか、トレンディードラマとか、ゼクシーとか、
広告屋さんが作った「幸せ」像にみんな向かっていった。
そうやって日本は消費を拡大し、経済成長していったのだなあと

それと同じことが、
たぶん、キャリアでも起こっている。

メディアとか、リクルートがいう、「幸せな就職」とか「ロールモデル」とか
「キャリアターゲット」とか「天職」とか。

そういう言葉に流されてはいないか?

その「言葉」に対する姿勢でも、
西洋と東洋は思想的にまったく違うのだと落合さんは指摘します。

~~~ここから引用

西洋的な思想は、言葉の定義が明確であり、わかりやすいという魅力がありますが、
わかりやすさばかりを求めてはいけません。
定義によるわかりやすさの対極にあるのが、
仏教や儒教などの東洋思想です。
身体知や訓練により行間を読む文化です。

東洋文化を理解する必要があります。
理解できないのは自分のせいだから、
修業しようという精神が求められるのです。

わかりにくいものを頑張って勉強することで理解していく
―それが東洋的な価値観なのです。
言外の意味を修業によって獲得する。

それは言外の意味が参照可能な西洋的文法に対して、
内在させようとする仏教的、東洋的文法だと思います。

一方、西洋の精神は、個人主義で
みなが理解する必要があると考えます。

もし内容が理解できなければ、
「わかりやすくインストラクションしないお前が悪い」という精神なのです。

読み手が自分で修業しろ、というのはとんでもないことで、
ジャンプなく読み手のところまで降りていかないといけません。

こうした点にも、東洋思想と西洋思想は立場上、大きな違いがあるのです。

~~~

「わかりやすさ」に本当に価値があるのか?

そもそも「わかりやすさ」が価値を持つのは、
西洋的価値観、思想なんじゃないか?
そんな問い。

まあ、だからと言って、
わかりにくくてもいいってことではないのですけど。

最後に教育について言及しているこの箇所から。

~~~ここから引用

根本的には、教育から変えないと、今の流れは変えられません。
今の近代社会を成り立たせるすべての公教育とはほぼ洗脳に近いものですが、
我々は中途半端に個人、自由、平等、人権といった
西洋的な理念を押し付けられた結果、
個人のビジョンがぼやけてしまいました。

今の教育は「やりがいややりたいことがない」といった
自己否定意識を持った歪んだ人間を生み出してしまいます。

要は、欲しいものをちゃんと選ぶとか、自発的に何か
行動する、ということを練習しないし、
それをガマンするように指導するのに、
好きなものを見つけることが重要だと
言い続けるのは大きな自己矛盾を生み出しうる欠陥であり、
自己選択に意味がなく、不安が募る社会にしてしまっているのです。

教育を変えて日本人の意識を変え、
地方自治を強化して、ローカルな問題を
自分たちで解決できるようにすること。

つまり、帰属意識と参加意識、
自分の選択が意味を持っている実感を、
それぞれの人々が感じ、
相互に依存することから、
日本再興は始まっていくのです。

~~~ここまで引用

公教育が起こしているダブルバインド(矛盾)を
的確に指摘しているなあと。

重要なのはたぶん最後の一節なのだろうなと。
帰属意識と参加意識、自分の選択が意味を持っている実感を
それぞれの人々が感じ、相互に依存すること。

それを感じられるような、
小さなプロジェクト。
あるいは、「場」。

影山さんの言う、「おでん」のような場。
http://hero.niiblo.jp/e489014.html
(3月15日:「おでん」のような「場」をつくり、「植物」を育てるように「事業」をつくる)

そういうのを作っていくこと。
たぶん中学・高校の時から
学校以外の場所に「おでん」を持つこと

そうそう。
「居場所」じゃなくて、「おでん」のような「場」を持つこと。

学校外の「居場所」ではなく、「おでん」を持つこと

何か小さなプロジェクトが生まれる、
そこに小さな帰属意識と小さな参加意識が生まれるような、
そんな「場」を持つこと。

その「場」は、「場」から生み出されるプロジェクトは、
個人が特定されないような、
中途半端な「匿名性」を持っていること。

それは、「創造的脱力」(若新雄純 光文社新書)
で紹介されていた鯖江市「JK課」の取り組みのように、
「JK課が批判されても、私の学校の成績が下がるわけじゃない」
(参加高校生のコメント)

とか、福岡で出会った大学1年生の「インスタ講座」で
「インスタはもうひとつの人格を作り出す装置」

というような、

調べればだれがやっているのか分かるけど、
発言(表現)はプロジェクトとして、あるいはチームとして行う、
っていうのが、
日本人のメンタリティに向いているのかもしれない。

だからこそ、大学生たちは、「場」を持とうじゃないかと。
「おでん」のように相互に関係し合う「場」で
小さなプロジェクトを生んでいこうじゃないか。

「プロジェクト」は仮の自分だ。もうひとつの自分だ。
もちろん複数名でやっているから、自分そのものではないけれど。
その「中の人」として、何かを始めてみること。

これが、オルタナティブ就活への第1歩なのかもしれない。

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Posted by ニシダタクジ at 07:00│Comments(0)
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