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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年06月21日

「問い」=「切り口」+「ミッション」

6月18日早朝のラジオ深夜便。
睡眠のことを研究している
生物学者の柳沢先生のコメントが
タイムリーだった。

ラストの2つのメッセージ。

よい問いを見つけることはよい解き方を見つけることより難しい。

真実は仮説より奇なり。

生物(自然界)の法則と
実際社会で起こっていることって
リンクしているよなあと思うのだけど、
この2つはまさにそうだなあ、と。

学校教育は、
解き方ばかりを教えてきたのではないか。

目指すゴールがあった。
その前提として「効率化」という絶対的価値があった。
「工業社会」とは、おそらくはそういう世界だったのだろうと。

もちろん、今でも「効率化」は価値でないことはないのだけど、
「効率化」だけでは価値を産めなくなっているというのが事実だ。

柳沢先生は、研究者にとって一番重要なのは、
自分が面白いと思う問いを立てるということ。

そういえば、内田樹さんが、
フランス文学の世界が面白くなくなったのは
「どのような研究をしたら評価されて、大学教員・研究者への道が開けるか?」
という視点で、研究領域を選んでいるからだと言っていた。

「問い」っていうのは、「切り口」(テーマ)と「ミッション(使命)」を合わせたもの、
ではないか。

没頭できる問いに出会うこと。そんな問いを生み出すこと。

僕の場合は、
2002年の中学3年生シンタロウとの出会いだった。

「15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、自分と社会の未来創造へ向けて歩き出している地域社会を実現します。」

これは今でもツイッターのプロフィールに書いている言葉だけど、
こういう解き方のわからない問いを立ててみるってことですよね。

「どうやって?」

って聞かれちゃうやつ。
いいんです。
だからそれを「探求」するんですよ。

思えば、2002年にその問いに出会って、
「シンタロウはなぜ心を開いたのか?」っていうサブの問いが出てきて、
それを追いかけて本屋になったのかもしれない。

サルトル風に言えば、
「実存は本質に先立つ」って感じなのだけど。

「問い」を立て、未来に向かって自らを「投企」し、
それを振り返って検証し、次の仮説をつくる。

「問い」というのは「切り口(テーマ)」と「使命(ミッション)・目的」
の合わせ技である。

だからこそ、「探求」のモチベーションが維持される。

切り口(テーマ)に必要なのは、
ワクワクというか、「面白さ」そのもの。
「好奇心」。

ミッション(使命)に必要なのは、
強烈な体験、違和感・共感、そこから来る衝動、勘違い。

それらはひとりひとり異なる。
過去の記憶が突然蘇ってくることもある。
僕だったら、高校生のときに通ってた、たこ焼き屋のおばちゃんの物語のように。

たぶんその問いを持って、生きていくということ。

そして、柳沢先生の言うように、
「真実は、仮説より奇なり」と
仮説(問い)に依存しすぎずに、
フラットに世の中の現象を見て、仮説を再構築していくこと。

その繰り返し。
そこには終わりがない。

たぶんそれが「探究する」ってことなんだと思う。

そういう意味では、
「高校魅力化プロジェクト」っていう題材は、
ものすごく多くの切り口(テーマ)で切ることができる。

「教育」「地域」「観光」「マーケティング」「まちづくり」
「小商い」「キャリア」「動画つくりたい」「リノベ・DIYしたい」

などなど。
さまざまな切り口で切ることができる。
その切り口(テーマ)に、仮説を立てる。
それを実証、検証していくのだ。

「インターン」ってそういうことなのかもしれない。

そして、さまざまな切り口で切った人たちが
同じ場所、同じ時間を共有することで、
ブレイクスルーというか「創造」が生まれるのではないか。

イナカレッジで、
観光学部の学生が言っていた
「地域の宝さがし」

っていう「宝」は、もしかしたら
その仮説の先にあるのかもしれない。

「教育」の魔法。

それはあらゆるものを「(教育)資源」に
変えてしまうという魔法。

すべての地域資源は、地域課題を含めて、教育資源になり得る。

それは子どもたちだけじゃなくて、大人たちにとっても同じだ。
学びのための題材でしかない。

「高校魅力化プロジェクト」をさまざまな切り口(テーマ)で切っていく。
フィールドワークを通じて「共感・違和感・衝動」を経て、問いが生まれる。
それを探求し続けることで「創造」が生まれる。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである」と
ジェームス・W・ヤングは言ったが、

「創造」っていうのは、
そうやって起こるのではないか。

ひとつの題材をいろんな角度から切り、光を照射し、
関係性を構築しながら対話し、「共感・違和感・衝動」を
エネルギーに問いを立て、検証していく。

それが同時に起こる「場」。
そこに「創造」があるのではないか、っていう仮説。

現代美術家(リレーショナル・アート)
としての次の作品がだんだんと見えてきました。

「問い」=「切り口」+「ミッション」

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Posted by ニシダタクジ at 08:08│Comments(0)学び
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