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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年11月08日

「ギャップ萌え人材」の育成

11月4-5日
「黎明学舎」&阿賀町の面白い人に会うツアーでした。

スケジュールはこんな感じ。

4日
9:00~10:30 くるみ洗い
「ギャップ萌え人材」の育成

「ギャップ萌え人材」の育成

10:30~13:00 フリートーク&きのこ園ランチ
「ギャップ萌え人材」の育成

14:00~15:00 ぎんなん拾い
「ギャップ萌え人材」の育成

15:00~17:30 「黎明学舎」公開ミーティング
「ギャップ萌え人材」の育成

17:30~19:30 買い出し、津川温泉
20:00~22:00 交流会

5日
9:00~10:00 昨日の振り返り
10:00~12:00 目黒農園見学
「ギャップ萌え人材」の育成

参加いただいたみなさん、たいへんありがとうございました。
公開ミーティングでは、たくさんの気づきがありました。

11月3日に長岡の正徳館高校フェスティバルにお邪魔して、
杉崎さんプロデュースのかき氷をいただいて、
「ギャップ萌え人材」の育成

「ギャップ萌え人材」の育成

「ギャップ萌え人材」の育成

ふたば未来学園高校のコーディネーター長谷川さんの講演
これもタイミングがよかった。小林先生ありがとうございます。

~~~以下講演メモ

なぜ高校と地域は協働しないといけないのか?
「地域」:担い手をつくるため
「教育」:子どもの自立のため
子どもが未来(自分と地域)のつくり手となるために必要な資質・能力という目標を共有する。

「ヒューマンライブラリー」という対話の場。

「背負う」ことが原動力になっているとは思うけど、そこまで背負わなくてもいいのではないか、ってちょっと思った。「地域のためにあるあなた」というアイデンティティ構築はだんだんつらくなる。「役に立たないといけない」みたいになるから。

かかわり過ぎず、放置しすぎない。

1 机上に留まらない生徒の資質・能力の向上
2 地域に愛着を持ち、社会への参画意識が高まる。

総合的探究の時間。
「高等学校では、生徒自身が自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し、解決していくことが期待されている。」(文部科学省)
自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見する。
これ、すごい言葉だなと。地域課題じゃなくて、生徒が中心なんだよね。

管理栄養士になりたい
→スーパーでおばあちゃんが惣菜をたくさん買ってた
→高齢者向け料理教室をやったらどうか
→もっと言えば野菜作りを一緒にやるのはどうか
→畑をつくってそこに人を呼んだらどうか
→チラシをつくって告知
→参加者ゼロだった

うまくいかない!!
みたいな出発点。
机上では想像できない提案と実践の壁。

プロジェクト学習にとって最も必要なのは真正性、つまりリアル。
「地域」はまさに「リアル」そのもの。
生徒の学びを中心に探究を設計する。
地域課題解決、地域活性化は目的ではなく結果。

「コンソーシアムをつくる」っていうのが目的になるのではなくて、機能を限定して、「価値」を共有していくことを重ねていくことが大切だと思う。
まずは「探究」サポーター的な横断的集まりから始めていったらいいと思う。

「探究」:深く考えて物事の真相・在り方などを明らかにすること
まわりの大人こそがやらないといけない。

生徒が変わる体験をつくり、それを見せる。
地域の人の「出番」をつくること。
ここで力を借りたいと設定すること。

徹底して生徒にフォーカスすることで、結果地域のためになると思う。

~~~ここまで講演メモ

そして、11月5日の公開ミーティング。
10月25日の「学校3.0」でもらったカタリバの説明資料が
非常にわかりやすかったので、それを参考に
黎明学舎のミッションについて考えるワークをした。

自己紹介→それぞれ「背景」について話す→キーワード出し
→ミッションについて話す。

みたいな感じだったかな。
アドリブだったけどうまく流れた。

~~~ここからミーティングメモ

小田切先生の言う「誇りの空洞化」と同時に、アイデンティティの空洞化が起こっていたのかもしれない。

アイデンティティを「仕事」というか職業に求めなければいけないつらさ。
それをキャリア教育は助長していないか?

「キャリアを自分で切り拓く」とは、価値の決定権を自らが持つこと、なのではないか。
「よいチーム」とは、価値をその都度みんなで設定・設計しているチームなのではないか?

石川くんの「充実感がある。くるみは嘘つかない」っていう発言もよかった。
くるみという圧倒的なリアル。

自ら価値を設定し、それを実感できる機会をつくり出すこと。
一言で言えば「この町で遊べること」
「ふるさと創りびと」とは、そういう人。

「高校生を応援するプロジェクト」と「まちの当事者(プレイヤー)を増やすプロジェクト」は同時に起こる。
同時に起こるというか、高校生という題材を追いかけることで、まちの当事者が増えていく。

「かかわりしろ」を増やす、とか、地域内でも、関係人口的なアプローチが有効なのかもしれない。
・労力を出す
・道具を出す
・お金を出す
・情報を出す(アイデア、人を紹介)
みたいなメニューの設定。

「手伝いたいのだけど?」
「はい、こんなメニューがあります」
みたいな。

気がついたら、当事者(まちのプレイヤー)になっている。
そんなデザインをつくろうよ。
まちづくり会議の目的は何か?って言われたら、まちの当事者(プレイヤー)を増やすこと、なのだけど、
まちの当事者を増やすのが目的だとしたら、まちづくり会議よりも、高校生の探究のサポートをしてもらったほうがいいのかもしれない。

アイデンティティ(自分らしさ)の危機と、ふるさとの危機(誇りの空洞化)は、同時に起こっていたんだ。
「まちを何とかしよう。」と並行して、ひとを育てること。
いや、ひとを育てることを繰り返して、結果、「まち」がつくられる。

高校生の生きづらさは、「部活」と「勉強」の価値軸しか与えられていないこと。
しかもそれは他者からの評価という量的な指標によって決まる。
価値軸の選択肢を増やし、そういう大人に出会い、リアルを体験・体感すること。

「ふるさと創りびと」の結果、自分の価値軸を自分で掴み取っていけること。
無数の「放課後社会」をつくるんだ。ね、坂口恭平さん。

どうワクワクをつくるのか?

田舎こそ、価値軸、つまり「放課後社会」がたくさんある。しかもそれが「リアル」なものとしてあるから体感できる。

「部活」と「勉強」という価値が一元化された「学校社会」の息苦しさを開放していくフィールドをまちにつくっていく。
変動する「価値」をその都度とらえながら歩いていく。

~~~ここまでミーティングメモ

「ふるさと創りびと」というコンセプトは8月に決まったものだけど、
そこに至る背景とその先にあるビジョンを考える時間。

「勉強」と「部活」という価値観。
数値化され、序列化される価値。
そこにはやはり、「効率化」という工業社会の要請があった。

そもそも学校は
「最小の労力で、(工場労働者として)一人前の人材を育てる」
という「効率化」というコンセプトで始まった。

おそらくは社会全体が「効率化」という価値観を信じた。

http://hero.niiblo.jp/e489486.html
なぜ、「教養」は死んだのか?(19.6.26)

このブログに引用した本に書いてあるように、
「効率化」の名のもとに「教養」は死んだ。

しかし。工業社会はもう終わってしまったのだ。
いや、終わってはいないのだけど、少なくとも国民のほとんどが製造業に就職して、マイホームを買えて、老後も安泰っていう時代は終わった。

僕たちは生まれた時から、そういう時代を生きてきたから、
信じられないかもしれないけども・・・

「効率化」とは、「価値の一元化」そしてそれによる「序列化」のこと。
数値化し、量的に見るということ。その前提が崩れ去っている。
価値は常に流動し、しかもそれは同じモノサシでは測れない。
そのほうがよっぽどリアルで、量的な指標しかない社会のほうがパロディに思えてくる。

誰かが設定した価値に対して、量的に反応して一喜一憂するのではなく、
自らが価値を設定し、それを分かち合える仲間とチームを組み、
その価値に共感してくれる人に商品やサービスを届ける。
それを作っていかなくてはいけない。

そこで「ふるさと創りびと」なのだけど、
自ら価値を生んでいくためにまちの資源を題材にして創造的行為に没頭すると、
そこがふるさとになっていくこと。
そんな学びができる学校を、地域をつくっていきたいと思った。

それは高校生だけじゃなく、そこに住んでいる人たちも同じく必要なことなのだ。
「誇りの空洞化」は「自分らしさの空洞化」でもあった。

そんな話を振り返っていて、
高知大学2年の檜山さんを送りながら
車の中で思いついたキーワード。

「ギャップ萌え人材」

ああ、ありかもと思った。
いま、テレビに出てる人たち。
〇〇芸人。

それって、〇〇を探究した「探究芸人」なのではないか。
それを「芸人」と掛け合わせることによって、「個性」を生んでいるのではないか。

そして芸人イメージとのギャップがあればあるほど人はそれを面白いと思う。
エンターテイメントの本質は予測不可能性だから。

少女漫画の定番みたいな、
普段は不良なのに、捨て犬に給食の残りをあげたりしていると、
そういう人を人は面白いと思うし、恋に落ちてしまう。

ギャップ萌え人材。

これ、高校生向けには使っていけそうです。
探究する人はギャップ萌えを手に入れやすい。
それって人生戦略的にはアリだよな、と。

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Posted by ニシダタクジ at 07:49│Comments(0)言葉
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