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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年12月10日

最初にあるのは、「我」ではなく「混沌」である

12月13日の茨城大学iopラボ「場づくりラボ~付箋を使って、発想を生む!KJ法の使い方」
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/11/271145.html

に向けて、
川喜田先生の著作を読みます。

最初にあるのは、「我」ではなく「混沌」である
「野性の復興」(祥伝社)

最初にあるのは、「我」ではなく「混沌」である
「創造と伝統」(祥伝社)

最初にあるのは、「我」ではなく「混沌」である
「発想法~創造性開発のために」(中公新書)

阿賀黎明高校魅力化プロジェクトのコンセプトは
「ふるさと創りびと」を育てる。
なのだけど。

その「ふるさと」の定義は、川喜田先生のものを採用している。

「ふるさと」とは、子どもから大人になる途中で、子どもながらに全力傾注で創造的行為を行い、それをいくつか達成した、そういう達成体験が累積した場所だから「ふるさと」になったということ。「ふるさと」は過ぎ去った時を懐かしく思っての「→過去」という矢印ではなく、創造的行為によって「→未来」が累積した場所のこと。

こんなことを復習していたら、
デカルト的パラダイムと、川喜田先生の考え方が大きく異なることが書いてあった。

そこでこの一言。

最初にあるのは「我」ではなくて「混沌」である。(「創造と伝統」川喜田二郎)

「われ思う、ゆえにわれ有り」に代表される物心二元論。
デカルトは「初めに我ありき」といい、川喜田先生は「初めに混沌ありき」という。

「混沌」→「出会い」→「矛盾葛藤」→「本然」
「混沌のなかから自己という主体の認識を持つ」
それはデカルトとはまったく異なる。

デカルトの考え方では「我」、自我意識の自己というものが支配的な主体の位置を占めているのに対して、私の考えている創造的行為にあっては、何を創造するかという対象となる客体との相互関係で「我」が存在する。

デカルト的パラダイム(範例、図式)は、近代科学の基礎になった。そこには「分析と推論」という方法しか用意されていない。しかし、環境問題や世界平和といった現実社会において今もっとも必要としているのは、問題解決のための「総合」であり、それには欠けているのである。

そして、今日イチの衝撃はこの図(「創造と伝統」P59より)

最初にあるのは、「我」ではなく「混沌」である

デカルト的パラダイムと川喜田的パラダイムの比較説明図。

デカルトは神が理性を与え、その人が「物体」を創造する。
しかし、川喜田先生は、混沌の中で主体と客体が相互に関係する場があり、
主体は客体を創造するかもしれないが、それにより、主体も脱皮・変容が起こる、と。
そしてそれは「伝統体」による影響を受けていること。

川喜田先生は、このように説く。

創造的行為は、まずその対象となるもの、つまり「客体」を創造するが、同時に、その創造を行うことによって自らをも脱皮変容させる。つまり「主体」も創造されるのであって、一方的に対象を作り出すだけというのは、本当の創造的行為ではないのである。そして、創造的であればあるほど、その主体である人間の脱皮変容には目を瞠るものがある。主体と客体が創造されるだけではなく、その創造が行われた「場」も、また新たな価値を付加されて生み出されるのである。

場をつくる。

っていうのは、きっとそういうことなのだろうと。
そしてそれはそのまま「学びの場」、あるいは「学びあいの場」づくりに
直結しているのだろうと。

場の価値。
それは創造が起こること。それにより自己が変容すること。

そして人は、場から学ぶ。
「混沌」を出発点にして、「場」から学ぶ。

いつのまにか、僕たちは、「我」を出発点にしてきた。
それは西洋のシステムをモデルにした学校制度の宿命だったのかもしれない。

あなたのやりたいことは何か?
そもそもあなたは何者なのか?

そんな問いが本当に重要なのだろうか?
「混沌」の中に身を委ね、場をつくり、客体と一体化して何かに没頭する。
そこに「創造」が生まれる、かもしれない。
その「創造」の縁に、「学び」が詰まっていると僕は思う。

そんな「場」をともにつくる。


Posted by ニシダタクジ at 08:10│Comments(0)
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