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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年12月19日

「学び」はこの直線上にない。

「学び」がこの直線上に、あるいは平面上に無い。
という仮定。

立体的な、3次元的な、あるいは4次元的な場に「学び」は創造される。
とする。

「先生」「教育」「成長」という言葉への違和感の正体が少しだけ見える。
川喜田二郎さんの発想法としての「KJ法」を学ぶと、
そこにこれからの「学び」の本質が見えてくるような気がする。

50年前の先見の明に驚く。

学びが「学校での学び」の直線上(延長上)に存在しないから、学べば学ぶほどゴールに近づいていく、という実感が得られない。
それが日々の虚しさにもつながっているのではないか。目標を設定し過ぎなのかも。
目標達成が喜びであるというのは、むしろレアケースなのではないか。
そういう人は成功すると思うのだけど、そこに「学ぶ喜び」はあるのだろうか。

エンターテイメントの本質が「予測不可能性」にあるとしたら、
「学び」とは、予定外、予想外のことを学んだときに喜びが生まれるのではないか。

大切なのは好奇心のスイッチをオンにすることなのだけど、
オンにさせることができるのは教師や講師ではなくて、環境というか、機会なのだと思う。
まあ、教師も講師も機会に過ぎないのだけど。

他者がそのスイッチをオンにさせることはできない。
あくまで自ら押さないと。

探究的な学びって、キャリアドリフト的に学ぶということ。
機会から学ぶ。つまり、学びが直線上にないってこと。
だから、「キャリアデザイン」とか「目標」とかと相性が悪い気がする。

川喜田さんは言う。

実験科学は仮説を検証するところに重要な性格があるのに対して、野外科学はむしろその仮説をどうして思いつけばよいのか、という、仮説を発想させる方法と結びついているのである。(「発想法」川喜田二郎)

仮説を生み出す。

昨今言われている「問題解決」能力というより、
「問題発見」能力っていうことなのかもしれない。

あるテーマに対して、「課題」と「仮説」を自ら設定することは、
川喜田さん的に言えば、「実験科学」から「野外科学」へのシフトなのだろうと。
そんなことを考えていたら、ある芸術家の発言にヒントをもらった。

そして思ったのが「道」という概念。

技術としての師匠と、姿勢としての師匠と。両方が必要なのだろうと。
その両方が重なるところに「道」ができるのだろう。

「道」には終わりがない。
「道」における師匠とは、到達点ではなく、ひたすら先に行ってしまう人のこと。

「学び」は「道」だけど、「教育」は「道」じゃないのかもしれないと思った。

「道」を生きる人っていうのは自分の人生よりはるか長いリレーのバトンを、駅伝のタスキを、今受け取って、次につなげないといけないと思って必死に走っている人のこと。

自分はいま中継者なのだという自覚。しかもその行き先は見えていないということ。それが「道」の強さ。

「校風」とか「文化」を大切にするっていうのは、自分が大いなる「営み」(プロセス)の一部であるっていう自覚を持つことができる。
「自我」や「意志」より、よっぽどそのほうが大切なのではないか。プロセスと切り離されてない自分に気づくこと。

師を通して「道」を学ぶ。
「道」っていうのは、目に見えては存在しないのだけど、たしかにそこにあるもの。

「学校」と「師弟関係」の違い。
学校を作るときにのコンセプトは「効率化」だと思う。

短期間で先進国に肩を並べる必要があった。
なにより「日本人」を作らなければならなかった。

学校での勉強は、明確なゴールを設定し、その達成度によって、生徒も、先生も評価された。

それは「学び」を根本的に変えてしまった。
「道」ではなくなってしまった。

師匠というのは、
この道をひとまず歩んでみようとすることのこと。
師匠の背中を追い求め、道を歩んでみること。
そこには本質的に到達点がない。
そして、「学び」は都度、創造される。

探究学習でテーマを決め、現場を観察し、
課題と仮説を生み出すこと。
その仮説を実践すること。
その繰り返し。

そこに予想できなかった「学び」が発生する。
それを喜びとして学びのエンジンを駆動させていくこと。
それがつくりたい「学び」の場なのだろう。

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Posted by ニシダタクジ at 08:10│Comments(0)学び
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