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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年07月15日

多数派でないことは、「逃げ」なのか?

多数派でないことは、「逃げ」なのか?
「ふだんづかいの倫理学」(平尾昌宏 晶文社)

読み始めました。
「道徳」とか大嫌いだったんですけど、倫理学、ね。
みたいな。

「哲学」無しでは生きられない時代(社会)になったと思っていたのだけど
この前の「はみ出し者の系譜」のところで、
ステージが進むと、前のステージを内包しなければならない
っていうのも、たぶんそういうことで。

ソクラテスの時代から「よく生きる」とは何だろうか?
という問いは始まっていたのだけど、
都市化という「効率的な社会」をつくる方法が追求され続けた結果、
人は、「倫理」や「哲学」がなくても、掟とかルール(法律)に従って
生きていくことで、共同体のメンバーとなれた。

ところが。
国家や地域、会社と言った共同体や社会システムそのものが揺らいでいる今。
「情報の時代」へと突入している今。
自らの内側に「倫理」や「哲学」を内包する必要があるのではないかということで手に取った1冊。

この本の価値は、簡潔に示している(と僕が思っている)箇所から抜粋引用します。

~~~ここから引用(P58~)

倫理学の仕事パート・ワンは、倫理や道徳の整理でした。倫理や道徳は、必要なものもあるけど、中には個人が経験したことから導き出したもの(つまり人生論)や、単なる思い込み(偏見)、理由はわからないけど伝統的に受け継がれてきただけの因習(つまり、昔からの、よく分からない言い伝え)とかもあります。倫理学はまずそうしたものを整理します。つまり、「道徳とされているもの」が全部大事だとは限らないので、それらの中で本当に必要なものと、必要じゃないものに分けるのです。

必要だというのなら、なぜ必要なのか、その理由を説明する。それが倫理学の仕事パート・ツーなのです。

ほんとは必要じゃない、理由もよく分からないのに「道徳」っていう顔をしているものがあったら、これは押し付けにすぎません。倫理学の仕事は、こうした押し付けを取り除くことなのです。

倫理や道徳は「こうしなさい」とか「してはならない」という形をとります。つまり人を縛るようなものだから、出来れば少ない方がいいわけです。要するに、倫理学は道徳や倫理を整理して、必要なものに絞る。そうして倫理学は我々を自由にする。

そして、もし必要な倫理があるんだったら、倫理学は「そうしなければならないこと」「そうした方がよいこと」の理由を考えます。理由があって、必要なものなら、自分でも納得して従うことができる。そうなれば「従う」というより、自分の意志で「そうしよう!」と思えます。この意味でも倫理学は、我々を自由にする。

こうして倫理学は、二重の意味で我々を自由にするわけです。

~~~~ここまで引用

自由になるために、「倫理学」が必要って、その通りだなあと思った。
大学生や新社会人が就活や働くことへの違和感やもやもやを聞いていると、

まさにこの倫理・道徳の整理とその理由の説明が自分なりにできるのかどうか、がポイントになってくるのだと思う。
あとは社会やシステムを俯瞰して見れるかどうか。

昨日、取材型インターン「ひきだし」説明会で気づいたこと。

いわゆる「ジョブ・ローテーション」の話。いろんな仕事をやってみて(やらせてみて)、その人にあった仕事を見つける(適性)。(市役所などの場合は、癒着や汚職の防止っていう意味合いもあるのだろうけど。)

これって、一見win-winな関係に見える。適性ある仕事ができるなんて、双方にとって、ハッピーだよね、みたいな。

しかし、そこには「人間関係」は考慮されていない。(考慮されている会社もあるかもしれないけど。)

「適性」ってそもそも、会社側の論理なんだと。

「自己分析」して、「自分に向いている仕事」を判別して、御社にとって私は有用です、とアプローチする就活。

「創造を生むフラットなコミュニケーション」はそういう就活には存在しない。「使えるヤツ」「使えないヤツ」を企業側が判断するだけだ。

そこには環境(人間関係含む)によって、人のパフォーマンスは変わらない、という人間観があるような気がする。

そのコミュニケーションの時間ってもったいないな、と思ったのが取材型インターン「ひきだし」の出発点だった。

今回、完全オンラインでの開催となって、「フラットな対話空間」はより実現できそうだけど。

オンラインという「場」に会社側も学生側も何かを持ち寄って、その「場」に差し出す、みたいな場が作れないだろうか。その先にオンラインでしかたどり着けない「場」があるのではないか。それが今回見てみたいもの。

2006年から大学生と関わるようになり、「就活」というシステムそのものに違和感を抱き、立ち止まる大学生に何人も出会った。

そのシステムに適応できる人はすればいいと思うし、どちらが正しいか、という問題ではない。

ただ、現実に違和感を感じる自分がいるとしたら。その違和感を言葉にしていくこと。

周りの大学生や、大人たちが示す「常識」というかみんながやっていることにいまいち乗れないこと。そこから出発していくこと。そこには、もしかしたら倫理学的なアプローチが必要なのかもしれない。

多数派ではないことをしていると、それって「逃げ」じゃないのか?みたいな謎の恐怖が襲ってくる。その「逃げ」という言葉の大半を占めるのは「同調圧力」だと思う。

倫理や道徳、常識を整理し、その理由を考えること。「就活」とは、そんなアプローチをするいい機会や題材なのかもしれない。

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Posted by ニシダタクジ at 08:07│Comments(0)学び
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