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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年07月28日

「学び」の逆シフト

移住情報サービス「SMOUT」の「SMOUT移住研究所」で阿賀黎明高校魅力化プロジェクトが紹介されています。
https://lab.smout.jp/primapinguino

この記事のメイキング映像がこちら。(6月ロケ)

「学び」の逆シフト

「学び」の逆シフト

取材は終始和やかな雰囲気。
清川高原も映してもらいたかったので、連れまわした結果、
ジェラート「Referi」と「桝や酒店」にしかいけず。
素敵な記事に仕上がってよかったです。

1か月ほど前の取材なので、もっと言いたいことが出てきましたので、
こちらで発信しようと思います。

これからの学びに大切なのは、「資源」と「課題」と「関係性」
ってコメントしているけど、その話には続きがあって、

そして、「場」が重要だっていうこと。
「学び」は「場」がつくる、「場」によって生み出されるっていうこと。

それは、付箋を使ったワークショップであり、
支えてくれる地域の自然や社会資源、人たちだったりするのだけど。

「学び」はいつから苦役になってしまったのだろう?

「追いつけ、追い越せ」など、目指す目標や夢を失ったときからか?
いま、学ぶことが「将来」を保証しなくなったときからか?

ここで。
明治時代に起こった「学び」の変化について考えてみたい。
藩校、寺子屋、私塾、かつて様々な学びの形があった。

それが明治以降に「学校」へと統一され、150年が過ぎた。
「学校」へのシフトとはなんだったのか?を学ぶ側からの視点で考えてみる。

1 「発見」から「達成」へのシフト
学びの喜びを「発見」から「達成」へとシフトさせた。

2 「承認」から「評価」へのシフト
承認欲求を他者からの評価欲求へとズラした。

3 「場」から「個人」「自分」へのシフト
学びが「科学」となり、量的に測られるようになった。

これら3つのシフトは、
「近代工業社会」の要請によって、「科学的」であり、「量的に計測可能」であることが大切だった。
その、前提が何十年も前に崩れているのだ。

「地方創生」が叫ばれ、都市から地方へ人の逆流が起こっている。
計画された「工業社会」ではなく、日進月歩する技術の中で、
「イノベーション」を起こせる人材が求められている。

いや。
そうじゃない。
「人材」という価値観が違うのかもしれないのだ。

イノベーションを起こすのは個人のチカラではなく、
場のチカラであり、それを支える想いのチカラだ。

そして、その原動力は、「好奇心」。
この先に何があるのだろう?というスピリットだ。

エンターテイメントの本質は、「予測不可能性」にあるという仮説を
僕は3年前に「つながるカレー」の加藤文俊さんのトークをヒントに得た。
http://hero.niiblo.jp/e484808.html
(「予測できない」というモチベーション・デザイン 17.5.19)
もちろんそれは、「安定性」「安心感」とトレードオフなのだけど。

上田信行さんが、キャロル・ドゥエック博士の研究を説明し、
小中学校に通っていると、
「成長的知能観」(やればできるかもしれない)から
「固定的知能観」(自分の才能は生まれつき決まっている)へのシフトが起こるのだと説いた。
http://hero.niiblo.jp/e459844.html
(「自信がない」は後天的に獲得した資質である 14.12.29)

学校に通っているといつのまにか、学びは苦役となる。
学べば学ぶほど、「自分はアタマ悪いんじゃないか?」って思うようになる。

なんだそれって。
学びが人を幸せにしないシステムってなんなんだって。

「学び」の逆シフトを起こさなければならない。
いや、もう起こっているはずだ。

「個人」から「場」へ。
「評価」から「承認」へ。
「達成」から「発見」へ。

それを始めるのが「場」の構築であると思う。
「場」で学ぶとは、「学び合い」を「見つけ合い」にするということ。

心に浮かぶ言語化以前の不完全なキーワード、
もしくは、「印象に残ったこと」というあいまいなものを
「場」に出し合うこと。

それを「その人はなぜ、そんなことを思ったのだろう?」
と「場」で考えること。

そして、見つけること、発見すること。
そこに喜びを見出すこと。

思ったことをいうこと。言える場があること。
「個人」を「場」に溶かしていくこと。

それが「対話の場」だったり、「ワークショップ」だったり、「プロジェクト」だったり、町を舞台にした「探究学習」だったりする。
この町にはそれを起こせる「場」がある。「場」の構成物、構成者たちがいる。

人口1万人の小さくて広い阿賀町には、流行りの言葉で言えば、「手触り感のある」「高解像度」な「資源」と「課題」と「関係性」が詰まっている。

それらを「場」が希望に変えていく。そんな学びの未来を見てみたい。

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Posted by ニシダタクジ at 08:34│Comments(0)日記学び
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