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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年09月18日

学校を変えるのではなく、演じるためのもうひとつの場をつくる

デンマークのフォルケホイスコーレ留学帰りの
大学生2名が阿賀町にやってきてました。
昨日はそのふりかえり。

公営塾スタッフやまちの人に
インタビューしてもらったので、
それがこれから記事になります。

なので、
取材型インターンひきだしの
フォーマットを使って振り返りました。

キーワードは
・場のチカラ
・魔法をかける編集
・予測不可能性
・解像度を上げる

などなど。

~~~以下ふりかえりメモ 
(フォルケホイスコーレ(ipc)留学経験の視点を入れつつ振り返りしました)

瞳の色が印象的。たどりついていない感じ。
まだ何かあるんじゃないか、と思わせる。

ipcも色で覚えている
コモンルームのオレンジ色の光と2つのソファー。
オンラインの画面では色が見えない。
リアルだと色が立体的に感じられる。

・関係性を鮮やかにしていくこと
ベクトル=問いの共有

その人が拡張されていく感じ。
面が増えていく。
人と一緒に旅をすることの醍醐味。

一緒に旅をする=自分を見つける/相手を見つける。
プロジェクト=小さな船旅

多様性を組み込んでいくコミュニティ。
年齢は数字でしかない。
その人のできないところ、ニガテなところもさらけ出して共有することでフラットになれる。
フラットに感じられる。
学びの場においてフラットであることが大切。

一緒に体を動かす。
「楽しさ」=身体性の共有

ipc:先生は「自分が分からないこと」も共有してくれるんだ!
一緒に考えてくれるんだ。

問いの共有

新型コロナウイルスの時の激動の2週間の後、
自分たちの気持ちを話し、また気持ちを聞いていく。
新型コロナウイルス=課題であると同時に機会でもある。

「感情」を出せる場が大切。
空間のデザインも重要。
共感・違和感をともにすることを大切にする。
リアルな不安も話せる場づくり。
「先生」でもあり、ひとりの市民でもある。

日本の「学校」=演じる場
ipc=さらけ出せる場。
学校をフィクションだと認識する。
先生の発言は仮説にすぎない。

他者と話す。紙に書くこと。
「体から切り離して」出してみる。
相手の言葉によって、自分を理解する。

~~~ここまでメモ

ああ、フォルケホイスコーレって
とっても素敵な「場」ができているんだな、と。
新型コロナウイルスでさえ、「機会として学ぶ」
に組み込まれているんだなと。

たぶん、高校における「探究」っていうのも、
大きな流れで言えば、そういうことなのだと思うのだけど。

僕の感想としては、
やっぱり「場」が大切なんだなと。

そして一気には変わらないし、
そもそもそういうエネルギーの使い方は
「創造的破壊」アプローチで、僕に向いてないなと。

フォルケホイスコーレ的な学びの場を日本にも作ろうって
動きが盛んだけれども、そしてそれはまたそれで理想的なのかもしれないけど、

僕のアプローチは、
「並行」「並列」「ハイブリッド」なのかもしれない。

と、打っていたら。
「へいこう」の変換が「平衡」になり。

!!!ってなった。

それだ!
「二元論」から「動的平衡」へ。
いま、僕の中でのキーワードなのだけど。

その「動的平衡」のためには、
2つの世界が必要で、

坂口恭平さん風に言えば(「独立国家のつくり方」より)、
「学校社会」と「放課後社会」なのだけど、
それを行き来すること、できることが大切なのだなと。

それはいわゆる「サードプレイス」とは少しニュアンスが違っていて、
「並列」なんだよね。

そしてそれはもしかすると、
高校生のための寮を併設しているからこそ、可能になるのかもしれないと思った。

生活とか暮らしの中で、経験し対話し、感性が磨かれて、
そして「感情」を「場」に出していくことで、相手を知り、また自分を知る。
学校にいる時間は学校にいる時間で、「学校にいる自分」を生きていく。

フォルケホイスコーレの先生たちは、ひとりの人間として、
感じたことを大切にして、時にそれをさらけ出して、学生たちと接していた。
それはそれで素晴らしいと思うのだけど。

僕は「並列する」っていう方法もあるのではないかと。
そしてその方法こそが、地域の力がより発揮できるのではないかと

「場」としてとらえるというか、
「学校」という場と並列する「場」をつくっていくこと。

もうひとつの「場」は学校とは違うシステムで動いていて、
関係性がフラットで、目標や評価が無く、機会から学んでいる。

両方を演じられたほうがいい。

いや、両方を動的平衡で行き来するのだ。

そういう世界をこれから実践・実現していくかと思うと、まあ、めちゃめちゃ楽しいですね。

学校を変えるのではなく、演じるためのもうひとつの場をつくる
写真は、大学生撮影のオラに力を分けてくれ、の図。

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Posted by ニシダタクジ at 06:41│Comments(0)日記学び
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