2020年09月20日
二元論ではなく内包する
ティール組織(フレデリック・ラルー 英治出版)
2018年春、僕が茨城を出る時に、話題を席巻していたこの本。
ようやく読むタイミングが来たのかもしれません。
次は「インテグラル理論」かな。
まだ途中なのですが、
就活についてもやもやしている大学生に向けて、
部分的に抜粋してお伝えします。
本について、ざっと読みたい人はこちらのブログがよいかなあ。
https://nol-blog.com/what_is_teal_organization/
組織運営および経営は
「衝動型」(レッド):オオカミの群れ
「順応型」(アンバー):軍隊
「達成型」(オレンジ):機械
「多元型」(グリーン):家族
と進化してきたのだと。
その先に
「進化型」(ティール):生命体
があると。
そこでは、3つのブレイクスルーとして
・自主経営
・全体性
・存在目的(進化する目的)
が大切になるのだと。
まあ、まとめはそういう感じで、
今日は第1部第3章の「進化型(ティール)」の紹介から
~~~以下本文より抜粋&メモ
21世紀のもっとも輝かしい躍進は、テクノロジーではなく、人間とは何か、というコンセプトを拡大することによって成し遂げられるだろう。
私たちがエゴに埋没していると、外的な要因(ほかの人々は何を考えているのか、どのような結果が達成できるのか)によって判断が左右されがちになる。
衝動型(レッド)の観点では、自分の欲しい物を獲得できる判断こそが正しい。順応型(アンバー)では、判断を社会規範への順応度に照らして考える。家族、宗教、あるいは社会階層が正しいとみなす範囲を超える判断は、罪や恥になる。達成型(オレンジ)では、効果と成功が判断の基準だ。多元型(グリーン)の場合は(組織への)帰属意識と調和を基準に判断される。
進化型(ティール)では、意思決定の基準が外的なものから内的なものへと移行する。自分の内面に照らして正しいかどうか。「私は自分に正直になっているか」「自分がなりたいと思っている理想の人物は同じように考えるだろうか?」「私はこの世界の役に立っているのだろうか?」を重視する。エゴを失う恐れが少ないので、一見危険に見える意思決定ができる。どんな結果になるのかをすべて考慮しなくても、内面の奥底にある確信に沿っているからだ。
周囲からの反対に直面したり、成功しそうにないと思われたりしても、「誠実さ」や「自分らしさ」という感覚を出発点に、本当は正しいと思えない状況、自分が声を上げ、行動をおこさなければならない状況に対する感覚を養う。
進化型(ティール)では、他人から認められること、成功、富、帰属意識は快楽的な体験であり、エゴを充足させる甘酸っぱい「わな」だととらえられる。そのため、それ以前の段階(ステージ)とは対照的に、優先順位が入れ替わる。良い人生を送るためには他人からの評価や成功、富、帰属意識を求めず、充実した人生を送るよう努める。他人から認められることや成功、富、愛は結果に過ぎない。
これ以前の段階(ステージ)では、愛や名声や成功を追い求めていくと、ゆっくりと、しかし確実に、私たちが「他人の顔を身にまとう」ようになってしまう。進化型(ティール)パラダイムでは、内面の正しさを求める旅を続けると、自分が何者で、人生の目的は何か、という内省に駆り立てられる。
進化型(ティール)パラダイムでは、人生とは自分たちの本当の姿を明らかにしていく個人的・集団的行程と見られている。
「進化型(ティール)で行く」ことになると、人生の目標を設定して、どの方向に向かうべきかを決めるのではなく、人生を解放し、一体どのような人生を送りたいのかという内からの声に耳を傾けることを学ぶ。
パーカー・パーマーは著書「人生に語りかけてもらいなさい」で次のように言う。
「職業とは何かを突き詰めていくと、「エゴ」の本音を覗くことになる。それは、だれもが日々意識している「自分」ではなく、器としての「自分」を通して人生を送ろうとしている、という事実である。つまり私が「自分の人生」と呼ぶ、表面的な、職業の型(器)にはまった経験の下には、実はもっと深い、もっと真実の、本来なりたい自分が送るべき人生がある。この違いを感じ取るには、時間と過酷な経験が必要だ。」
進化型(ティール)パラダイムに従って活動している人は、「大志を抱いているが、野心的ではない」だ。自分の本質に迫り、自分の使命に向かって努力するというのが彼らの原動力で、同じ見方をできない他の人々にとってみると、進化型(ティール)パラダイムで行動する人は、自分の個人的な成長を邪魔する人を許せず、人生の目的と合わない状況を受け入れたくない人のように映るかもしれない。
人生を「自分の本当の姿を明らかにする行程」だととらえれば、自分の限界を現実のものとして冷静に見つめ、目に入るものを心穏やかにとらえることができる。人生とは、自分にもともと素養がないものに無理をしてなろうとすることではない。
私たちはまた、周囲の人々や状況には何が足りないか、あるいは何が間違っているか、といったことではなく、そこに存在するもの、美しいもの、可能性に注意を向けるようになる。決めつけよりも思いやりと感謝を優先する。
心理学者たちは、「欠点を見る」のではなく「長所を生かす」というパラダイム変化が起こっていると指摘する。これは経営から教育、心理学からヘルスケアなど、さまざまな分野でゆっくりと深く進行している。
その出発点は、自分は人として、他人や周囲から解決してもらうことを待っている「問題」なのではなく、本質が明らかになることを待っている「可能性」なのだ、という前提である。
人生を発見の行程だと考えれば、人生で出遭う挫折や失敗、さまざまな障害に潔く対処できる。「この世の中に失敗などは存在しない。ただ自分自身や世界の奥底にある本当の姿に近づくための経験にすぎない」という精神的な悟りへの入り口をつかむことができる。
進化型パラダイムでは、人生における障害物とは、自分自身とは何か、世界とは何かを学べるよい機会なのだ。
「AまたはB」から「AもBも」へ。
矛盾ではなく、互いに必要とする2つの要素ととらえる。
全体性(ホールネス)に対するあこがれと、職場の「分離」が対立する。
ほかの人々との関係性における全体性。
判断をしない世界では、他者との関係性は新たな形をとる。他者の話に耳を傾けるとき、それはもはやうまく説得し、状況を修正し、否定するための情報収集に限られるものではない。判断から解放された共有スペースを作り、相手の話にとことん耳を傾けることによって、ほかの人々が自分の声や真実を見つけられる手助けをする。もちろん、それはお互い様である。
達成型(オレンジ)パラダイムで、人々は順応型組織の抑圧された、規範に従うコミュニティーから解放された。今や、お互いに耳を傾けて自分らしさと全体性を得られるような、新しい下地の上にコミュニティを作りなおす機会を得たのだ。
人々は自己に誠実に向き合うほど、自分がもっと大きな何か、人生と意識がお互いに結びついた一つの織物ののようなものの一部、その一表現にすぎないことがわかってくる。
~~~ここまで本文より引用、メモ
これはすごい。
面白法人カヤックのブレストが「数を出す」と「乗っかる」しかない話とか、
ミーティングにおけるチューニングの重要性とか、
荻ノ島集落で感じた「地域の個性の構成員になる」というアイデンティティの形成方法とか。
全部進化型(ティール)で説明できるじゃないかと。
考えている人いるんだなあって。
そして今僕が直面している、
「まなびとは何か?」
という問いに対しても、
受験に向けての「5教科の学び」か、地域活動等による「探究的な学び」か?
という議論がされがちだけども、
そういう二元論の議論をしていてはいけないのだと。
学力試験か推薦・AO(総合型選抜)か、
っていうAかBか?の議論ではなくて、
AもBも必要で、
両方を内包する新たな学びを提示しないといけないのだと。
そしてそれには地域の人々の協力というより、
共に学ぶ同志としての地域の大人が必要不可欠なのだと。
地域の大人は外から支えるのではなく、
地域の大人を内包した学びの場をつくっていくこと。
たぶんそれだな、と。
経営学とか組織論って、人生に直結しているよなあって思う。
自らをティール組織のように経営していくこと。
むずかしいけど、おもしろそうだな、と。
Posted by ニシダタクジ at 12:45│Comments(0)
│本
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。