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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年09月27日

2軸を行き来し、「余白」をつくる

2軸を行き来し、「余白」をつくる

「DOUBLE LOCAL ダブルローカル~複数の視点・なりわい・場をもつこと」
(gift_ 後藤寿和/池田史子 木楽舎)

の発刊記念イベントにお邪魔しに
新潟駅のニュースポット「MOYORe:」へ。

2軸を行き来し、「余白」をつくる

2軸を行き来し、「余白」をつくる

2軸を行き来し、「余白」をつくる

ステキな空間でステキな話を聞いたなあと。
一言一言に「美しさとは何か?」問い直される時間となりました。

いつものように、メモを。

~~~ここからメモ

90年代~00年代
東東京での様々なアート的プロジェクト
都市の空間を展示空間にする流れ
作家と作家を応援する人たちが東東京に集まってきた。

クリエイターたちがまちのレイヤーをつくっていった。
もともとあった町に新しい(複数の)レイヤーがかけられていった。
コトを起こすこと、ヨソモノ・ワカモンの目で再発見・再編集する。

そうやってできた新しいレイヤーと
もともとあったものが共鳴していく。

2011.3.11東日本大震災
「消費していくだけの大都会で住んでいるだけでいいのか?」
何かしないといけないんじゃないか?
2011.6「山ノ家」を借りる。

積極的なYesじゃなかった。
流されてプロジェクトの主語になっていった感。

十日町・松代・山ノ家:気兼ねなく泊まれてちょっとランチできる
1F:カフェ 2F:ドミトリー
なんとなく直感で都市とローカルを行き来する人が増えていく予感
⇒その活動拠点となるような場をつくる
★移住したいから場をつくったわけではないし、プランがあったわけでもない
何かできそうな物件があったから。

「消費するだけでいいのか?」という問いの中にいたときに
きっかけとしての山ノ家があった。
⇒2つの場を持つことを選択した「ダブルローカル」の誕生

ダブルローカル⇔二拠点居住

2つのジモトを持つこと。半分半分で暮らす。
どちらも「ただいま」「おかえり」と言える空間。
どちらにもなりわいがあって、住みかもある。近所の人もいる。

本業だと思っていたデザイン業としての自分と宿・カフェの店主としての自分。
2つの自分を行き来している⇒もうひとりの自分を手に入れる。
★もうひとりのわたし「アナザーセルフ」
都市圏にいるときの視点と、山ノ家にいるときの視点を得る。

~~~本ができるまで。

長野:瀧内さん(ダブルローカルの出版ディレクションをした)と一緒に、
2015「地域カフェのつくり方」を開催(山ノ家で開催)⇒対話を重ねていった。
地域にカフェをつくるというのはどういうことか?をみんなで考えた
gift_のふたりと何かやってみたいと持っていたのでとりあえずYesと言った。

いい話しているなあと。
使えるかもしれないから録画しておいた。
gift_のふたりとの関係性の中で普段と違う話が引き出されていた。

「対話」/明確にゴールがあるわけじゃなく。
もっと面白いことが見つかるかも。
結論を出すものではない。瞬間瞬間に思ったことを話していく。

2015年⇒2018年になって、今どうですか?
っていうのを清澄白河(gift_lab)でやった。
文字起こしした原稿を「公開赤入れ」した。
「対話」を本にした。
2019年プロローグとエピローグを録った。

内容があって、タイトル(ダブルローカル)があって、編集方針が決まった。

~~~ここまで出版の流れ

恵比寿の設計事務所を開かれたヒミツキチにしたかった。
山ノ家のカフェ⇒不特定の人が来るし、地元の人も気軽に来てくれる。

東京でヨコ文字の仕事をやっている人と
新潟の普通のおじちゃんおばちゃんが来るような開かれたカフェ
⇒東京ではできない

自分たちの活動拠点を人に使ってもらい、結節点とする。
場を開く。

もうひとりのわたしを持つこと。
今の私を、もうひとりのわたしが見ている。
現代の分身の術。

カフェだけの対話じゃないもうひとつのコミュニケーションスタイルとしての「小屋バー」

カフェと違い、必然的に放置される
⇒その時隣り合った人と自然と対話が始まる。
★無理に対話を生まなくてもいい。
なんとなくその場にいてもいい空気

「計画通りに成し遂げる」のではなく、
ハプニング・対話からきっかけを得て考えること。
結論を出さずに、「つづく」にすること。

場のつくり方:懐の深さとライブ感⇒余白・余地のデザイン。
「セッション」:即興の音楽をつくるように場をつくる
三味線とバイオリンでも角度を変えて聞くと音楽になる。

余白・余地の中に自分が存在する心地よさ
(可能性)
また話したいね、そうだね。⇒つづく

「ダブルローカル」もそういう本
読むときの状況によって残ることが違う。

⇒「現在地」をしゃべっているから。

ダブルローカル:2つじゃなくていいのか?
Having more than one perspective,life and home

身近なものの再発見・再構成・再編集。
(当たり前)

この本は「冒険の報告」です。

~~~ここまでメモ

「ダブルローカル」的な視点っていま、高校生・大学生にこそ必要なのではないかと強く思った。

僕の中で残ったキーワードは、
「対話」「余白(余地)」「現在地」かなあ。

「自分との対話」っていうけども、
その時に、「ダブルローカル」みたいに
ベースの違う「もうひとりの自分」と話せることって
とても大切かもしれないなあと。
なんか余裕とういうか「余白」が生まれるよね。

他者との対話だと、さらにワクワクする余白につながっている。
瀧内さんが言っていたけど、「懐の深さ」と「ライブ感」のあるような「場」で、対話することで、
発見があって、それがきっかけになって何か始まるのかもしれないと。
そんな「余白の中にいる」感覚っていうのがカフェの心地よさなのかもしれない。

「ダブルローカル」という
2つの視点を持つということ。

あ、視点っていうのは支点っていうことなのかもしれない。
考えるための軸足。
「自由」っていうのは、それをいくつも持つことなのかもしれないなあと。

最後に「現在地」。
こんなにも結論がない本もないかもしれない、と。
おじさんが読んだら「結局、何が言いたいの?」
ってレビューしちゃうかもしれない。

でもその「結局」とかっていう思想じゃない世界観で
書かれているんだなあと。

複数の視点であり、なりわいであり、場を行き来すること。
行き来し続けること。

そのある部分を切り取って言語化する。
それが今回の「ダブルローカル」。
話したとき、書かれたときの「現在地」に過ぎない。

そんな「現在地」を重ねていくような生き方。
たまたまそこに居合わせた人と「現在地」を共有していくような場。

うん、それ、やりたいです。

最高のタイミングでいい本に出会い、いい話を聞くことができました。
後藤さん、池田さん、MOYORe:のみなさん、ステキな企画をありがとうございました!

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