2020年09月29日
学びのスタートラインに立つ
阿賀黎明高校の学校運営協議会(コミュニティスクール)第2回でした。
地域団体「阿賀黎明探究パートナーズ」もオブザーブ参加して
「拡大熟議」をご一緒しました。
今回のお題は令和4年度からの教育課程(新カリキュラム)について。
校長先生の「求める生徒像」の話から。
1 地域を知ることを通じて、学ぶ姿勢を身につけ、自ら進路を切り開く生徒
2 教養を高め、人間性を磨くことを心がけ、人のために尽くす志をもつ生徒
3 学ぶことに意義を感じ、未知のものに勇気をもって向き合おうとする生徒
この特に2を強調して説明されていました。
・真摯に学ぶことに意義を見出すこと
・学ぶことは魅力的であると感じること
・学ぶ過程において教養を身に付ける
・人間性を磨くこと
・相手に対する配慮、いたわるやさしさ
・ノブレスオブリージュ(高貴なるものの義務)
・もっているものが贈与する
拡大熟議。
ここを工夫しました。
通常ですと、「育てたい生徒像」みたいな問いになってしまのだけど。
その問い方が違うなあと。
「育てたい生徒像」って問いかけた時に
・あいさつができる、服装がちゃんとしてる
みたいな具体的な話と
・好奇心を持って自ら学んでいく生徒
みたいな抽象的な話が混在しちゃって議論がかみ合わなくなるっていう。
だから、もうそれをお題にして議論するのはやめようと。
そもそも校長先生が提示した「求める生徒像」があるわけだから
それをどう達成していくかっていうのを考えた方が建設的だろうと。
というわけで考えたグループワーク。
求めたい生徒像を真ん中において
前半:そもそも学びとは何か?なんのために学ぶのか?
みたいにさらに抽象度を上げる質問。
後半:求めたい生徒像を実現するために、何をしたらいいのか?
という具体的な行動の話。
結果としては、前半がいわゆる「チューニング」みたいになっていた。
その時の冒頭の問いかけが、
「あなたの学びのスイッチが入った瞬間はいつですか?」
だった。
数学のM先生は、中学生の頃、数学で、「いろんな解き方があるんだ!」
と知ってから数学に目覚めていくプロセスを語ってくれた。
そうそう、そういうやつ。
「機会」があって、「好奇心」を刺激され、学びのスイッチが入る。
たぶんそういうことなのだろうなと。
まあでも、このワークいいなあと。
アイスブレイク不要になる。
ルーツと価値観の開示。
これができる問いが心を開くよね。
そのあと、ワークで、僕の入ったテーブルは、
進路指導部の先生だったので、進路の話になりました。
先生からは、
・「進路選択」というのは避けられない。
地域の方からは
・そもそも「就職・専門学校」と「大学進学」っていう分け方でいいのか?
「一生を通して学び続ける人」を輩出したいとするならば。
「学び」を再定義しないといけないな、と。
与えられて、教えられて、覚えて、テストを受ける「勉強」から
機会を得て、好奇心をくすぐられて、やってみて、発見する「学び」へとシフトしないといけない。
それを高校でやらないといけないのではないか。
言ってみれば「学びのスタートラインに立つ」ための準備期間。
就職も、専門学校進学も、大学進学も、
「学びのスタートラインに立つ」という意味ではまったく同じだ。
だって、人生は巨大な学び場なのだから。
「あなたは何を学びたいのか?」
という問いに答える高校3年間であってほしいし、
そのための機会として地域の人達と地域資源があるのだと思う。
あなた固有のその「学び」は就職によって深められるのか、
その舞台は、専門学校なのか、もしくは大学なのか?
そんな問いを地域と一緒に受けとめ、ともに育んでいくこと。
それは、実は地域の大人に向けられた問いでもある。
巨大な学び場としての人生を、地域社会をいかに生きるのか?
何を学びたいのか?探究したいのか?
その問いは大人にとっても、先生にとってもフラットに刺さってくる。
きっとそれが地域と連携した学びのスタートであり、ゴールになっていくのだろうなと。
生徒の「学びのスタートライン」(進路)を一緒に考え、ともにつくっていくこと。
地域の大人自身も学びのスタートラインに立つということ。
「学びとなんだろうか?」と問いかけるプロジェクトのスタート地点に立とうとしているのではないかと思うと、ワクワクしました。
地域団体「阿賀黎明探究パートナーズ」もオブザーブ参加して
「拡大熟議」をご一緒しました。
今回のお題は令和4年度からの教育課程(新カリキュラム)について。
校長先生の「求める生徒像」の話から。
1 地域を知ることを通じて、学ぶ姿勢を身につけ、自ら進路を切り開く生徒
2 教養を高め、人間性を磨くことを心がけ、人のために尽くす志をもつ生徒
3 学ぶことに意義を感じ、未知のものに勇気をもって向き合おうとする生徒
この特に2を強調して説明されていました。
・真摯に学ぶことに意義を見出すこと
・学ぶことは魅力的であると感じること
・学ぶ過程において教養を身に付ける
・人間性を磨くこと
・相手に対する配慮、いたわるやさしさ
・ノブレスオブリージュ(高貴なるものの義務)
・もっているものが贈与する
拡大熟議。
ここを工夫しました。
通常ですと、「育てたい生徒像」みたいな問いになってしまのだけど。
その問い方が違うなあと。
「育てたい生徒像」って問いかけた時に
・あいさつができる、服装がちゃんとしてる
みたいな具体的な話と
・好奇心を持って自ら学んでいく生徒
みたいな抽象的な話が混在しちゃって議論がかみ合わなくなるっていう。
だから、もうそれをお題にして議論するのはやめようと。
そもそも校長先生が提示した「求める生徒像」があるわけだから
それをどう達成していくかっていうのを考えた方が建設的だろうと。
というわけで考えたグループワーク。
求めたい生徒像を真ん中において
前半:そもそも学びとは何か?なんのために学ぶのか?
みたいにさらに抽象度を上げる質問。
後半:求めたい生徒像を実現するために、何をしたらいいのか?
という具体的な行動の話。
結果としては、前半がいわゆる「チューニング」みたいになっていた。
その時の冒頭の問いかけが、
「あなたの学びのスイッチが入った瞬間はいつですか?」
だった。
数学のM先生は、中学生の頃、数学で、「いろんな解き方があるんだ!」
と知ってから数学に目覚めていくプロセスを語ってくれた。
そうそう、そういうやつ。
「機会」があって、「好奇心」を刺激され、学びのスイッチが入る。
たぶんそういうことなのだろうなと。
まあでも、このワークいいなあと。
アイスブレイク不要になる。
ルーツと価値観の開示。
これができる問いが心を開くよね。
そのあと、ワークで、僕の入ったテーブルは、
進路指導部の先生だったので、進路の話になりました。
先生からは、
・「進路選択」というのは避けられない。
地域の方からは
・そもそも「就職・専門学校」と「大学進学」っていう分け方でいいのか?
「一生を通して学び続ける人」を輩出したいとするならば。
「学び」を再定義しないといけないな、と。
与えられて、教えられて、覚えて、テストを受ける「勉強」から
機会を得て、好奇心をくすぐられて、やってみて、発見する「学び」へとシフトしないといけない。
それを高校でやらないといけないのではないか。
言ってみれば「学びのスタートラインに立つ」ための準備期間。
就職も、専門学校進学も、大学進学も、
「学びのスタートラインに立つ」という意味ではまったく同じだ。
だって、人生は巨大な学び場なのだから。
「あなたは何を学びたいのか?」
という問いに答える高校3年間であってほしいし、
そのための機会として地域の人達と地域資源があるのだと思う。
あなた固有のその「学び」は就職によって深められるのか、
その舞台は、専門学校なのか、もしくは大学なのか?
そんな問いを地域と一緒に受けとめ、ともに育んでいくこと。
それは、実は地域の大人に向けられた問いでもある。
巨大な学び場としての人生を、地域社会をいかに生きるのか?
何を学びたいのか?探究したいのか?
その問いは大人にとっても、先生にとってもフラットに刺さってくる。
きっとそれが地域と連携した学びのスタートであり、ゴールになっていくのだろうなと。
生徒の「学びのスタートライン」(進路)を一緒に考え、ともにつくっていくこと。
地域の大人自身も学びのスタートラインに立つということ。
「学びとなんだろうか?」と問いかけるプロジェクトのスタート地点に立とうとしているのではないかと思うと、ワクワクしました。
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