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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年10月07日

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「大学受験に強くなる教養講座」(横山雅彦 ちくまプリマー新書 2008年)

某大手古本屋さんで購入。
いい本あるなあ、ちくまプリマー新書。

ひとつ、謎が解けました。
いや、解けないけど。
謎にたどり着くドアのカギを手に入れた感じ。

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「地域で」学ぶのか、「地域を」学ぶのか?
そんな問いに、一筋の光を射してくれる1冊です。
紹介するのは、冒頭と最後のところにします。

~~~ここから引用

英語と小論文、現代文の垣根はどんどんなくなっている。

フリッチョフ・カプラ「ターニングポイント」
reductionistic(還元主義的)=scientific(科学的)=rational(合理的)=analytic(分析的)=linear(線形)
還元主義の定義。「何かを知るということは、その物質的構成を知るということだ」

「抽象」と「捨象」は表裏一体です。事実、英語ではともにabstractionと言います。
「例外のない法則はない」と言うように、抽象するためには捨象しなければならず、捨象しなければ、抽象することはできません。

デカルトは、「科学」を抽象するために、仏教が「縁」と呼ぶ不可思議な現象、予測不能な事態を捨象したのです。これこそが、近代科学の出発点です。そして以後、そうした「非決定性」や「不確実性」は、「非科学」として括られていくことになります。

カプラによれば、西洋近代社会は、一貫して陽的(男性的、積極的、競合的、合理的、科学的、断片的)側面を好み、強調してきた。そして、陰的(女性的、反応的、協力的、直観的、神秘的、全体的)側面を排除し、軽視してきたことが、さまざまな危機を招いていると。

「陽」が「因果」、「陰」が「縁」
「因」と「果」をつなぐものとしての「縁」

陰陽思想では、あらゆるものが、陰と陽の動的なバランスの上に成り立っています。
不可知にとどまること。

「縁」の世界は、近代文明が少なくとも300年以上のあいだ、置き去りにしてきた世界です。

~~~ここまで第1章から引用

いいですねえ。
近代とは、科学とは、問い直されます。

そして、
さっき読み終わった第6章から。

~~~ここから引用

「discipline 学問分野」とは何か?

ディシプリンの違いは、その立脚点の違いにあります。一人の人間存在(being)には、様々な様態(mode)があります。他の動物と共通する様態もあれば、人間だけにしかない様態もあります。

およそ人間だけに備わった特殊な様態を扱うのが文系(人文・社会科学)、他の動物や自然にも共通する様態を扱うのが理系(自然科学)と言っていいと思います。

もともと古代ギリシャには「フィロソフィア」しかありませんでした。「哲学」です。古代ギリシャの哲学者たちは、一人で人間に関わるすべてのことを考えたのです。

「言葉」について考え、「貨幣」について考えた。言語学であり、経済学です。「自由」について考え、「死」について考えた。政治学であり、宗教学です。あるいは、「火の性質」、「水の性質」について考えました。これは自然科学です。

とはいえ、哲学者の個人的性質は、めいめいに異なります。人間存在のどの様態に一番強い関心があるかは、哲学者によって違う。そこで徐々に哲学からディシプリンが自立していくわけです。しかし、立脚点の違いはあっても、みな「人間とは何か」という根源的な問いに貫かれていました。

どのディシプリンにも、常にディシプリンに先立つ哲学的な問いがありました。人間存在やこの世界全体に向けられた広い関心です。

educationという言葉には、二つの意味があります。ひとつは、technical education(専門的知識)です。ディシプリンのことです。そしてもう一つがliberal educationです。すべてのディシプリンの根底にある広く深い「知恵」であり、「教養」です。これこそが、「リベラルアーツ」にほかなりません。

「価値相対主義:すべての価値は等価である。価値観に優劣はなく、それぞれに尊重すべきものだ」
たしかに、価値相対主義があって初めて言論の自由や思想の自由が保障されることになるね。
それって、「対話」を無くしていくことになるけどね。
価値絶対主義がいいわけではもちろんないけども。

「学際」さえも1つの専門分野(ディシプリン)になってしまうのか。

自分の全存在をあげての学問、「これじゃなければ自分じゃない」という学問をすること。そうすれば、放っておいてもリベラルアーツに向かっていくはずです。

経済学者が、たとえばアメリカ経済を研究しているとして、その人が心の底からアメリカ経済を理解したいと思うなら、経済学という狭いディシプリンにとどまっていることはできなくなるはずです。アメリカという存在は、単に経済的な存在だけではないからです。肩肘張って、「学際研究」などと構えなくてもいいのです。

既存のディシプリンに身を置いていていい。「実存的な学問」をすることです。研究対象に自分の全存在をあげての関心を持つこと。そうすればひとりでに学際研究になっていくはずです。つまり、「ひとり学際」です。それこを、僕たちが目指すべきものだと思います。

~~~ここまで第6章より引用

いやあ、いい本。
「まなびの最前線」だわ、これは。
書かれたの2008年だけれども。

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「地域で」学ぶのか「地域を」学ぶのか?

それは、本来の意味で「学びたいから」なのではないか。
という仮説が生まれた。

「地域」っていうのは、

「歴史」であり、「社会(コミュニティ)」であり、
「農業」や「産業」であり、「教育」でもあり、
「コミュニケーション」であり、「政治」であり、、、

プロジェクトを遂行するためには、学際的(ジャンル横断的に)アプローチせざるを得ない。

高校生たちはそこにまなびの本質を見ているのではないか。
だから、学びのフィールドとして「地域」を目指すのではないか。
「ひとり学際」こそが「まなび」だと思っているんじゃないのか。

さらに言えば、その「ひとり学際」にそ、
アイデンティティ不安を乗り越えるカギがあるのではないか。

横山さんは言う。
「自分の全存在をあげての学問、「これじゃなければ自分じゃない」という学問をすること。そうすれば、放っておいてもリベラルアーツに向かっていくはずです。」

それって、文科省が「総合的探究の時間」の指導要領で言う、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」なのではないか。
それを探しに、ヒントを見つけに、「地域」に入り、仮説、実験、結果、検証を繰り返すのではないか。

いわゆる「キャリア教育」は、アイデンティティ(自分らしさ)は職業によって形成・実現されるという誤解を生み、
英語などのスキルを磨けば磨くほど、交換可能になるというダブルバインドの中に若者は生きている。

そんな状況の中、ますますアイデンティティ不安に陥っているように見える。

アイデンティティはどこにあるのか?
どうすれば安心できるのか?

もしかすると「地域」を目指す若者たちは、「自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題」
の中にこそ、アイデンティティがあるのだと直感しているのかもしれない。
そしてそれを見つけるには。「地域」の中で学際的に学ぶことだと。

僕はそれを、
最初から「自己」という単位で動くのではなく、
「自己」と「場」(同級生や地域の環境や大人含む)の動的平衡な主体によるプロジェクトによって、
いくつかの仮説を実験・検証を繰り返す中で、

たどりつく「問い」こそが、アイデンティティを形成してくれるのではないかという仮説に至る、今日の読書日記でした。

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Posted by ニシダタクジ at 07:41│Comments(0)日記学び
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