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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年01月25日

モチベーションの源泉

2020年10月

やっとあと3か月地点まで来た。
10月中旬に「まなび体験会」に7名が来て、ようやく行けそうな感じになった月ですね。

まずは尾原和啓さんの「モチベーション革命」
http://hero.niiblo.jp/e491106.html
読み直すとすごいこと書いてあるな、と。

~~~
モチベーションの5つの要素
「達成(アチーブメント)」
「快楽(ポジティブエモーション」
「意味合い(ミーニング)」
「良好な人間関係(リレーションシップ)」
「没頭(エンゲージメント)」

おじさん世代は上の2つにモチベーションを駆動されるけど、今の世代は、下の3つ、「自分が頑張る意味が持てるもの」に「自分の好きな人たち」と「とことんハマる」ことを重要視する。金銭や物理的報酬とは関係なく、自分の好きを追求する。

団塊の世代が幸福だったのは、何かを達成することが同時に社会貢献につながっていたからです。「乾けない世代」は、何かを「達成」することにそれほど心を動かされません。なぜなら、「何もなかった時代」を知らないからです。

「世界一」や「21世紀を代表する」という「達成する大きさ」ではなく、「何を」「何のために」やるのか?を語らないと心が動かされない。
上の世代では、別にやりたいことなんてなくても、与えられたことをこなして、人よりよい結果を出せれば、それで十分成功できました。大きな目標は誰かが掲げてくれたので、必死に「達成」を追い求めれば幸せでした。

いやあ、これはすごいな。
ジェネレーションギャップというのはこのことだ。

~~~

次、10月7日。

やっぱり振り返らないとダメですね。
すごく大切なことが書いてあった。

~~~ここから

フリッチョフ・カプラ「ターニングポイント」
reductionistic(還元主義的)=scientific(科学的)=rational(合理的)=analytic(分析的)=linear(線形)
還元主義の定義。「何かを知るということは、その物質的構成を知るということだ」

「抽象」と「捨象」は表裏一体です。事実、英語ではともにabstractionと言います。
「例外のない法則はない」と言うように、抽象するためには捨象しなければならず、捨象しなければ、抽象することはできません。

デカルトは、「科学」を抽象するために、仏教が「縁」と呼ぶ不可思議な現象、予測不能な事態を捨象したのです。これこそが、近代科学の出発点です。そして以後、そうした「非決定性」や「不確実性」は、「非科学」として括られていくことになります。

カプラによれば、西洋近代社会は、一貫して陽的(男性的、積極的、競合的、合理的、科学的、断片的)側面を好み、強調してきた。そして、陰的(女性的、反応的、協力的、直観的、神秘的、全体的)側面を排除し、軽視してきたことが、さまざまな危機を招いていると。

~~~

なるほどなあ。
これもすごいな。


そして飯田さんの「カフェから時代は創られる」

「何者でもない誰か」を言い換えれば、名も無き「ベクトル」だけがそこにある状態としての人だろうか。スピノザ的に言えば「コナトゥス」(自分らしくあろうとする力)だろうか。実は、カフェ(的空間)の居心地の良さというのは、「ベクトル多様性」を感じられるから、許されるから、なのかもしれない。

カフェとは、ベクトルとして存在を許される「場」。

~~~

最上の勉強会で浦崎先生の講演。

探究って、地域を舞台にしたシミュにレーション・ゲームなのだ、と。もちろん、生の人間たちがやっているから、痛みも伴うし、感情も動くのだけど。

でも、それこそが学びなんじゃないの?って。

そして、地域の人達は、そのゲームのサポーターじゃなくて、そのゲームのプレイヤー(登場人物)なんだよね。たぶん、そういう感覚。

20年後30年後の地域の未来と新潟や日本の未来を考えて、いま、このチームで何ができるか。そんな探究テーマを見つけること。大人や先生こそが探究をはじめること。

それを楽しむこと。ワクワクすること。仮説検証を繰り返すこと。分母を増やしていくこと。
その先に。高校生と地域の未来を創る1つのプロジェクトが生まれていく。

~~~

浦崎先生からの福島・ふたば未来学園高校のコーディネーター長谷川さん。
これもシビれましたね。
http://hero.niiblo.jp/e491132.html

マイプロジェクトの考え方:
高校生自らが「やりたい」と思えるテーマを設定し、リアルな社会と接する実践を繰り返すことで、高校生が意欲と創造性を育む学びを得る。
「主体的な問い」×「実社会での実践」×「意欲と創造性を育む学び」

マイプロジェクトでの学び:
参画度の高いテーマで「主体性」を育み、実践の中で「協働性」を発揮し、それらを繰り返す中での問いの更新を通して「探究性」を養うことを重視する。

主体性(参画のはしご)・・・ロジャー・ハート:
参画の段階のより上段を目指すために、主体性を持てるテーマを発見する。課題と自分の繋がりが強ければ強いほど、取り組みは真剣になり、学びが深くなる。

協働性:
調べて終わりにせず、課題解決に向けた実践を行うことで、実社会における他者との協働を経験する。

探究性:
主体的な問い⇔実践。
実践を繰り返す中で、問いを更新する。途中で問いが変わることを厭わない。

マイプロジェクトの進め方
1 プランニング・・・プロジェクトをつくる
自分を知る(興味関心・価値観を知る)、課題の設定、情報の収集、整理・分析
2 アクション・・・プロジェクトを実行する
行動(実践を試みる)
3 リフレクション・・・プロジェクトを振り返る
まとめ、考えの更新(振り返り)
「自分の関心をベースにプロジェクトを作る」⇒「実践と振り返りを繰り返し、学びを深める」

【年間の授業の流れモデル】
1 自分を見つめよう
2 北極星を見つけよう
3 問いを出そう⇒調査してみよう⇒結果を整理・分析しよう(夏休み)
4 調査結果を発表してみよう
5 北極星に向けたアクションを決めよう⇒アクションしてみよう⇒振り返ろう(8~2月)
6 学びを発表してみよう

プロジェクト事例
テーマ設定の理由
課題の発見(夏季アクション)
具体的な課題と解決方法(仮説提示)
解決アクション
活動からの学び

高校3年間を通した総合的な探究の時間
地域をフィールドに、地域の課題を題材に、その解決の過程を通して、汎用的なスキルを身につけたり、自分自身の生き方あり方に繋げていく、地域課題解決型プロジェクト学習

探究のプロセスに対応した「生徒の学びの姿勢」
テーマの設定⇒調査のための実践⇒振り返り⇒解決のための実践⇒発表⇒振り返り
「学びの準備」
⇒「守」:受容的な姿勢(問題状況の把握と課題設定、現状や事実を正確に知る)
⇒「破」:生成的な姿勢(現状を他の事例や考え方と繋げる、課題解決の仮説を立て、プロジェクトを実践する)
⇒「離」:持続的にプロジェクトに取り組む姿勢(プロジェクトの実践を振り返りフィードバックをかける、実践の課題から次なる独自の実践を創造する、実践の連鎖)

生徒の学びの姿勢と教員の関わり方
「学びの準備」⇔「モチベーター(探究心に火を灯す)
探究に対する学びの意欲を高める⇒意欲に火を灯すコミュニケーション、外部イベントへの参加
「守:受容的な姿勢」⇔インストラクター(現状を正しく捉えさせる)
正確に物事を知り探究の基礎を作る⇒知識のレクチャー、調査研究(書籍、WEB、インタビューなど)
「破:生成的な姿勢」⇔「ファシリテーター(問いを立てて引き出す)」
柔軟に他の問題と繋げたり想像力を働かせる⇒問いを通してテーマを深化させる、生徒自身が本当に取り組みたい実践を引き出す
「離:持続的に取り組む姿勢」⇔メンター(応援・勇気づけをする)
リスクを恐れずチャレンジし、実践を連鎖させる⇒実践への勇気づけ、実践後の振り返り(リフレクション)

最後に「北極星」について。

「北極星」とは、終わらない問いの方向性なのではないか?その北極星に出会うことだ、と。その北極星は、ミッションであり、ビジョンであり、好奇心の源であり、そういう方向・方角のこと。

実践の中にある「違和感⇔問い」の積み重ねの中で、北極星は生まれてくる。「北極星」に出会えたら、あとは問いが無限に出てくる。終わらない問いの連鎖が起こる。そうやって、問いの更新と自己変容、つまり自己の更新のサイクルが回る。
~~~

なぜ、地域で探究なのか?

これに対して答えているのが、10月22日のこちらの日記
1つ目が、地域という舞台が仮説検証の実践の場になるからだ。リアルな生活、暮らしがそこにあるので、そこで課題に気づくことができるかもしれないからだ。

2つ目が、地域の大人が学校の先生でも同級生でもない「ナナメの関係」になれるからだ。
先生と生徒というタテの関係においては「評価」が、同級生同士においては「同調圧力」という行動阻害要因がある。それらを取り除いてやることだ。

自ら学びの主導権を握り、地域を題材に、地域を舞台に、地域の大人や異年齢の人といった「ナナメの関係」とのコラボレーションによって、仮説検証プロセスを回していく先に、「自分を知ること」と並行して、「自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会える。

地域の役割は環境を用意するとともに、時に一緒にプレイヤーとなり行動し、時にそれを見守ること。

先端教育6月号にあったように、
「新しい学びの場における教師の役割は、いわば雑木林の成長を見守る里山の住人です。今までの教育は、一律に整えられた綺麗な杉林を作ることでしたが、これからの学びの集団は雑木林であるべきです。雑木林といっても、荒れた林ではありません。一つひとつの木の状態を見て手入れをするように、全体を見守りながらも一人ひとりの個性を伸ばしていくのです。個性は他者とぶつかり合うことで磨かれていきます。子どもたち同士の関わり合い、そして教師との関わり合いという豊かな関係性を構築していくことが大切です。」

推薦・AO(総合型選抜)の「志望理由書の書き方~7つの観点」はテクニック論ではなく、学びの本質的な要素をついていると思う。

【7つの観点】
1 経験(活動実績)
2 気づき・価値観
3 実現したい野望・問題意識・テーマ
4 3の社会的意義
5 3に向けて取り組むべき課題・実現方法(解決策)
6 志望大学が最適である理由
7 将来の夢・志

6のところを、会社や専門学校に替えても同じだ。

「進学する・しない」「学力選抜か推薦・AO(総合型選抜」かに関わらず、
自らの人生を「経営」するために、「地域で探究」が必要なのだと思う。

仮説・検証を繰り返し、ふりかえりを丁寧にやることで自分を知り、
「自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会える。

本当の「まなびのはじまり」は、それからだ。

~~~
そして、オンライン劇場ツルハシブックスで飯田美樹さんのゲスト。
ここでのキーワードは「インフォーマル・パブリックライフ」

インフォーマル・パブリック・ライフを一言で表すと、気軽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない場所で、リラックスした雰囲気が特徴的です。 (中略) インフォーマル・パブリック・ライフには、ここではこうすべき、こう振る舞うべき、という社会的コードがなく、身分に縛られた自分ではなく、自分らしく振舞うことが許されます。日本でも人が集まるイベントや場づくりなどに、カフェや広場といった名称が使用されているように、カフェと広場には共通点が存在するのです。その共通点とは場に1つの明確な目的が設定されていないことです。八百屋は野菜を買うため、ワインショップはワインを買うために行く場所ですが、カフェは飲み物代さえ払えば友人と話をする、本を読む、手紙を書く、ゲームで遊ぶなど、何をしても許されます。広場も同様であり、広場という大きな空間自体にはその場の明確な目的が設定されていないからこそ、人々は他の場で要求されるコードから自由になれるのです。

たぶん、これ。
「ツルハシブックス」で目指していたものだし、これから阿賀町でつくっていきたいもの。

学びの動機を「達成」から「発見」へ
学びの主体を「個人」から「場」へ
学びの成果を「評価」から「承認」へとシフトさせたい。
でも、それは一気には起こらない。徐々にシフトしていくんだ。

「目的・目標」をもって、「個人」が能力向上を目指して学び、「評価」される。それが現在のシステムである。「達成」のパラダイムだ。

しかし、飯田さんが「インフォーマル・パブリック・ライフ」の説明の中で言うように、

カフェと広場の共通点とは場に1つの明確な目的が設定されていないことです。八百屋は野菜を買うため、ワインショップはワインを買うために行く場所ですが、カフェは飲み物代さえ払えば友人と話をする、本を読む、手紙を書く、ゲームで遊ぶなど、何をしても許されます。広場も同様であり、広場という大きな空間自体にはその場の明確な目的が設定されていないからこそ、人々は他の場で要求されるコードから自由になれるのです。

それはきっと、人生において必須なものなのだ。家庭、職場(学校)、そしてここで言う「カフェや広場」のような第3の場があること。僕がつくりたい「場」とは、そういう場だ。

「場」にフォーカスして「場」が主体となって、プロジェクトをつくり、実行する。「発見」に価値を置き、見つけ合う「場」をつくる。自分はその「場」に溶けだして、いつのまにか一員となっている。その場の一員であることがその子のアイデンティティ、つまり「承認」を形成してくれる。

それらを、学校社会と動的平衡を保ちながら実現していくというのが、阿賀黎明高校魅力化プロジェクトなのではないか、と僕は現時点で解釈している。

学校(教科)は、「達成」「個人」「評価」のパラダイムで動き、
地域(探究)は、「発見」「場」「承認」のパラダイムで動く。

当然、「達成」のプロセスの中でも「発見」はあり(それを振り返っていないだけ)、「発見」のパラダイムの中でも「達成」(いわゆる「成長」)は結果的に見て取れる。必要なのは主体を「場」としてとらえる、ということと、その一員となること。それを繰り返すことによって「承認」(自分で自分を承認すること、存在承認)を感じられること。

それこそが、「探究」の意義や、地域の力を必要とする理由なのではないだろうか。

一気には変わらない。徐々にシフトさせてゆく。というより、動的平衡のほうが、「発見」は大きくなるのではないか?

素晴らしい教育システムを一気に導入するのもいいのだけど、
既存のシステムを活かしつつ、地域の資源を活かした探究的学びとの
共存・ともに進みながら変わっていっているような「場」(町)ができること。

それってすごくワクワクするよなあと思っています。

~~~

そして、島根出張へ
出発当日の朝に新潟日報に掲載。

「まなびのトビラ」っていうのは、学校での教科学習の中だけでなくて、日常の「暮らし」の中に眠っているのです。

そのトビラを発見し、開くのが、「体験」だし「対話」だし、発展させるのが「探究」なわけです。だからこそ、「対話の場」が重要になってきます。それを、学校外にたくさん作っていくこと。

そして対話のために実は大切なのは「心を開くこと」です。毎回のミーティングで自己紹介なるものをしているのは、心を開くためです。

心を開くためにできること。僕の経験上は、

物理的には、
一緒に(農)作業をする。(手を動かす)一緒にご飯を食べる。
(これは「まきどき村」の実践から)

お菓子を食べて座ってもらう。境界をあいまいにする。
(これは「ツルハシブックス」から)

予想していなかったことを考え、発言する。
「チューニング」し、場にフォーカスする。
(これは茨城大学の時から考えてるテーマ)

そんなふうにいろいろやってきたけど、実は、「お風呂に入る」っていうのは最強かもしれないな、と。スマホ時代にあって、情報の鎖から解放されるには、飛行機の離陸の時と、お風呂しかないんじゃないか。そんな心開く瞬間に、対話が起こると、「まなびのトビラ」を見つけることができるのではないか。

~~~
という感じ。お風呂のある寮はいいよね。
そして10月30日に念願の津和野高校へ。
ヤマタツさんとフジハラ事務長、最高だった。

ということで10月終わり。
2020年もあと2か月です。

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Posted by ニシダタクジ at 05:10│Comments(0)日記学び足跡
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