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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年02月08日

「存在」と「学び」の出発点としての被贈与

「存在」と「学び」の出発点としての被贈与

「存在」と「学び」の出発点としての被贈与

「存在」と「学び」の出発点としての被贈与

全国マイプロジェクトアワード関東summitでした。
昨年は現場に見に行ってました。

参考:自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題(20.2.11)
http://hero.niiblo.jp/e490297.html

今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、オンライン開催。
東京、行きたかったのですが、
全国summitへの出場選考を兼ねない発表会+ブラッシュアップ+交流
だったので、そういう意味では、雰囲気的にリラックスできていいのかもしれないと。

阿賀黎明高校2年のSくんのプロジェクト「釣りってなんだ!?」も
後半の2場目に8グループで発表しました。
途中で石油ファンヒーターの灯油切れサインがなるというアクシデント(笑)
にも負けずに、堂々と発表してました。

夏から半年、彼が動いていく中で、
たくさんの町の大人が応援・協力してくれたことをあらためて思い出しました。
動こうとした若者の背中を押し、応援する町なのだと感じました。

鮎釣りつながりで、夏のまなび体験会の際、午前中の釣り大会で釣った鮎を分けてくれたS課長。
糀漬した肉で燻製をつくりたいといったら、塩糀を分けてくれたY糀屋、
今度の夏、一緒に何かやろう、と誘ってくれ、温泉旅館「K会瀬」の女将、

summitの終了後、地元スーパーでほぼ毎週日曜日開催の豚肉特売(1g1円!!)を買い込んで、
先日SくんがもらってきたK会瀬の自家栽培の米を炊いて、焼肉パーティー打ち上げしました。
豊かな時間。

最後の交流会では、僕の興味関心で「なぜ学ぶのか?」っていう部屋へ。
「高校生コミュニティ相談室」の対話イベントが興味深くて、今度のぞいてみようかなと思いました。

あと、他の部屋の発表を見ていて印象に残った一言は,
「本で人を繋ぐ」プロジェクトのOさんが言っていた

「マイプロは等身大だよ」

かなあ。最後のコメントも「自分でもできるんだ」だったので
非常に印象に残りました。
そういうマイプロをつくっていきたいな、と。

人はなぜ学ぶのか?

僕はこのプロジェクトを通じて、
・すでに返せないほどの贈与を受けてしまった者だという自覚。
・この物語をつないでいかなければならないという使命感(勘違い)。
だと思った。

そしてそれが出発点となり、
贈り物を先に贈る(ペイ・フォワード)するために、
物語をつないでいくために、
人は学び続ける。

そしてその自覚や使命感は、
頭(脳内つまり言葉)だけでなく、心と身体を伴ったときに、
より強く感じられるのだろうと。

Sくんのマイプロは、「等身大」そのもの。
釣りを起点に、たくさんの人とつながり、プロジェクトが展開している。

昨日も、「なぜ学ぶのか?」部屋で、彼は鮎釣りの醍醐味を話していたのだけど、
「おとり鮎をいかに元気に泳がせるか」が大切で、
「アタリがあってから、手元に引き寄せ、確保するまで」の瞬間の魅力を熱く語っていた。

ああ、それって、「マインドフルネス」ってやつじゃん、って。
「いま、ここ」に集中して、言葉の世界から距離を置くこと。
自然という「営み」の中に入ること。自らを溶かすこと。
そこに「生きてる」感があるのかもしれないな。

釣りってなんだ!?っていう問いは僕にとっての問いでもあったんだな、と。

釣りは農と同じく、圧倒的な贈与でもある。
贈与を受けた者しか、贈与を送ることはできない。
だから、学びの出発点をSDGs的な「貢献」ではなくて、
被贈与におかないといけないのではないかと。

釣りも、糀も、蕎麦も、自然や微生物、植物からの圧倒的な贈与だ。
決して返すことができない。

川喜田二郎さんは、ふるさとを定義した。
「全力傾注して創造的行為を行った場を人はふるさとだと認識する」
その出発点に、僕は被贈与があるのではないか、と考えた。

あるのではないか、というより、あると強いな、と思った。

「すでに自分はもらいすぎている」
「だから自分はこの物語を繋いでいかなければならない」

そんな自覚と使命感。
そこに「存在」があるのではないか、と思った。
「存在する理由」と言ったらいいのか。

もらいすぎた贈与を先に贈らなければならない。
この物語をつないでいくのは自分しかいない。

その「体感」ができるかどうか。
頭ではなく心・身体で感じられるかどうか。

自然の少ない都市部においては、
その役割を「本屋」や「図書館」が担っているのではないか。
本好きであるということは、
本という次世代へのパスをもらいすぎている人であるということだ。

たぶん人は「等価交換」だけでは生きられない。生き続けられない。
「等価交換」ということは1回1回の取引で関係が終わる(清算される)ということを意味しているからだ。

それなら、交換する主体としての自分は、存在し続ける意味はあるのだろうか?
たぶんそんな、根源的な問いを、10代20代は抱えているのではないか。

だから、若者は、地方を目指す。
「ふるさと」と「存在」と「学び」を求めて。

自然豊かなこの町には、圧倒的な贈与がある。
「先に贈らなければならない」と支えてきた人たちがいる。

もらいすぎだな、と思うくらいの贈り物をもらう。
それを返すために全力を注いで創造的行為を行う。

「存在」は創造のエッジにあり、その創造のエネルギーは、
「被贈与」の自覚と物語の継ぎ手であるという使命感から生まれる。

これらは循環していくことで、ようやく自分は「存在」になり、そのまちは「ふるさと」になる。

「釣りってなんだ!?」

エキサイティングないい問いをありがとうございます。

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Posted by ニシダタクジ at 08:19│Comments(0)日記学びイベント
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