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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年03月20日

なんのために「評価」するのか?

同志、法政大学長岡先生の紹介。
https://www.hosei.ac.jp/pickup/article-20210304092713/

「私立文系」志望の高校生で
「学び」そのものを深めたい人は、法政大学経営学部をオススメします。

最近、僕の使うキーワードが
だいぶ長岡先生に寄って来たなあと思ってきてました。
「地域みらい留学」って「越境」そのものだよなあと。
そしてそれは、地元高校生にとっても、「越境」になる。

「越境」して「他者」に出会う。
「異質」な「他者」と協働する「場」をつくり、
「発見」「創造」する。

そんなことが価値なのではないか?
と考えていたところこの記事。

「越境」が過程で「アンラーニング」が結果。
なるほどなあと。

この一節を引用します。

~~~
近年、大学は社会から「人材育成」の場と見られている現実がありますが、大学教育と人材育成は明確に違うものです。それは、誰がお金を払っているかを考えてみればわかる通り、人材育成とは企業が利益を追求するための「手段としての学習」です。一方、学習者自身がお金を払う大学教育はもっと自由で多様な価値観に溢れた活動であり、4年間の経験を通じて、広い意味で人間としてより良くなっていくことが、大学の活動としての学びです。与えられた条件の中で目的を達成するトレーニングのような「手段化された学習」だけでは、予見困難で多様な価値観に溢れる未来を切り開こうとするマインドセットを醸成するのは難しいように思います。企業にとって人材育成の効率化は重要なテーマですが、学生一人ひとりが試行錯誤しながら、目指すべき社会の未来像を描いていくプロセスそのものが、大学における「学び」の重要な一部を構成していると私は考えています。
~~~

これ、激しく同意します。
そして、僕が高校というフィールドでやりたいのも、まさにこれだと。
「手段化された学習」は端的に言って「つまらない」のです。

それは高校生のプロジェクトの発表を聞いていても同じです。
「〇〇のために、〇〇という活動をしています」

いや、わかるけれども。
子育て支援とかLGBTとかゴミの削減の課題とか、
それに取り組む当事者性が欲しいんですよ。
いや、それは、始まる前ではなくて、事後的にあらわれるのかもしれない。

やってみて、振り返った時に、あらわれるのかもしれない。
発見されるのかもしれない。
だから、「ふりかえり」をするんです。

結果検証、成長を測定するためにふりかえるのではないのです。
学びの「過程」として「ふりかえり」があるのです。

「評価」のためにふりかえりがあるのではないのです。
教育には、目的があり、目標があり、その達成度を測るために評価があったはずです。
いつのまにか「評価」はシステムの「前提」となり、さらには「評価」が「目的」や「目標」となり、「学習」が手段化されてしまいました。

「シャドーカリキュラム(隠されたカリキュラム)」の恐ろしさは、その文化を身体化してしまうことです。

評価を前提とした学校システムの中で育った人たちは、社会的活動のすべてに対して評価を前提とするようになり、「趣味」と「仕事」の境界線を分けるし、「仕事」は(比較的つらい)評価を受ける苦痛の場となってしまいます。「評価」を前提としたシステムの中で、成績優秀者でなければ、「自分らしく」あることは著しく困難であると、言えるでしょう。

そこのいまこの瞬間の「学びの喜び」はありません。

プロジェクトもそう。
「なぜ、あなたが、いま、そのプロジェクトに取り組まなければならないのか?」

そんな問いに応えられるか?
そう答えられるか?ではなくて、応えられるか?なのです。
そこに他者が納得するロジックは必要ないのです。

「このような出来事があって、こう強く感じたから。」
そんなストーリーを聞きたいのです。

目の前の出来事にどう感じたか?
を大切にしていってほしいと思います。
そして、「感じる」ためには、「越境」が有効です。

「越境」して「他者」に出会う。
「異質」な「他者」と協働する「場」をつくり、
「発見」「創造」する。

価値や喜びは他者からの高評価にあるのではなくて(そう感じる人がいてもいいとは思うけど)、発見・創造の瞬間にある。
アイデンティティを発見・創造する場の構成員としての自分として位置づけていくこと。
もうひとつは、継承者であるという物語の構成員としての自分。
この2つの構築。

これが、僕の考える「アイデンティティ危機」に対抗する方法です。
そしてそれは、地方の(田舎の)高校だからこそ可能になる、と僕は思っています。

さて、今年は、長岡さんと何かやろうかな。

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Posted by ニシダタクジ at 05:48│Comments(0)日記学び
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