プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 76人
オーナーへメッセージ

2021年05月25日

プレイスでもコミュニティでもなく

プレイスでもコミュニティでもなく
「イドコロをつくる」(伊藤洋志 東京書籍)

オンライン劇場ツルハシブックス1周年記念のゲストにも来ていただいた
伊藤さんの新刊。

いまこそ、読む本。
って感じです。

サブタイトルが「乱世で正気を失わないための暮らし方」なのですが、これ、まさに。
「思考の免疫系」という切り口で、現代社会の様々な罠・誘惑に対処していく必要性を語ります。

まずは「イドコロ」の定義から。

イドコロはコミュニティでもなく、あくまで人がいる「淀み」であることも重要な認識である。たまたま居合わせた人が適当な範囲で交流することが正気を保ち、元気でいることにつながる。そういう人が居合わせる淀みが、アクセスしやすいところに複数あるのが暮らしやすい世の中であると思う。

小さな広場たる「イドコロ」をつくること。自分の意識だけに頼らず正気を失いにくい環境について考え、それぞれを身の回りに整備することで全体として心の健康を保ちやすい条件を整えていく作戦だ。

井戸端会議は井戸という共有している家事インフラを起点にしたイドコロである。

ハードと、アプリと、研修。3つがそろって初めてイドコロになる。

正気を失わないために、必要なのは1つの「コミュニティ」ではなく複数の「イドコロ」。そしてそれはひとりでも創ることができる。

正気を失わせる精神的な病原菌が世の中に溢れていて、それに対処するには身体的な免疫と同じ構造が必要。それは複雑系であり意図して設計する必要がある。

自分が元気になる「場」を複数個持つこと。それは必ずしも他者とのコミュニケーションを必要としない。

~~~ここまで。

そうそう。
「イドコロ」は「コミュニティ」ではないのです。

コミュニティはひとりでは作れず、外部があり、メンバーシップがあり、もしかしたら目的・目標があり、その場合は役割と責任が発生する。「イドコロ」はひとりでも成立し、境界があいまいである。

オンラインツルハシで一番印象に残った一言は、「イドコロ」を通して思考の余白をつくる、でした。

あー、なるほど。
正気を失わないってそういうことかと。
生活の余白だけじゃなく、思考の余白が無くなっていくと、人は正気を失ってしまうんだ。
イドコロを意識して持って(作って)いくことがとても大切になっていくんだなと。

オンラインツルハシの第3部は新潟市の畑サークル「まきどき村」のトークだったのだけど。
※現在屋根葺き替えのクラウドファンディング中です。
https://camp-fire.jp/projects/view/410826

プレイスでもコミュニティでもなく
https://karasawa.thebase.in/
こちらの冊子TANEMAKI3にも紹介されているけど、
まきどき村ってみんなにとっての「イドコロ」なんだなあと。

この冊子の終わりに紹介されている「システム」と「生活世界」っていう対比も、まさにそれで。
いつのまにか「システム」が肥大化して、生活世界がそれに取り込まれて、僕たちは「イドコロ」を失った。

「社会人になる」とは、「システムに適応する」とほぼ同義語となっている。

しかし。多くの人たちが実感しているように、「システムに適応する」だけでは「生きられない」のだ。(「社会人」にはなれるけど)

「イドコロをつくる」には、「自然系イドコロ」(仕事や生活に関わる、継続性が高いもの)と「獲得系イドコロ」(強い趣味の集まりや、お店や公園など
の場を活用した比較的インスタントなもの)という分類というように表現されているけど、「まきどき村」という活動は、「獲得系イドコロ」でありながらも、その背景に農や地域といった時間的な長さ(まきどき村的に言えば「営み」)があるので、「イドコロ」として魅力的なのではないか、と思った。

また、まきどき村を取材した大学生に衝撃を与えた、「目的がない」ということも、イドコロにとってとても重要なのだと、伊藤さんも言っている。

~~~
何か明確な目的がある集団は、プレッシャーがある。目的がなければそもそも利害関係も生じない。そういう集まりは、生産性がないと無駄扱いされるが、正気を保つには欠かせないものだと思う。

会話と共同作業によって友情は維持される。

人と人が直接会話・対話するのではなくて、何かを介してコミュニケーションするということ。
~~~

僕たちは「イドコロ」を必要としている。そしてそれは、「システム」(仕事場、経済社会)にも、「生活世界」(暮らし、地域社会)にも複数個あることが必要である。

そんな意識を持つこと。
働く暮らす場所として魅力ある地域とは、そんな「イドコロ」をつくる場(可能性)がたくさんある地域のことなのだろうなと思った。

単なる場(プレイス)でも、役割を果たさなければならないコミュニティでもなく、無数の「イドコロ」をつくっていくこと。そしてそれを意識していくこと。

「イドコロ」というコンセプトは、この町をさらに魅力的にすると感じている。

同じカテゴリー()の記事画像
焚き火のような本屋
「自己」ではなく「自分」
「国語力」のために本屋と寮と公営塾ができること
都市も人もツリーではない
「センス」の違いを活かし、違和感として場に差し出す
「デバッグ」のマインドを持ち、「違和感」をキャッチし、主体をも「創造」する
同じカテゴリー()の記事
 焚き火のような本屋 (2022-09-19 09:21)
 「本が届く」場をつくりたい (2022-09-18 08:02)
 「自己」ではなく「自分」 (2022-09-16 07:54)
 「国語力」のために本屋と寮と公営塾ができること (2022-09-13 07:55)
 はじまり、という名の高校 (2022-08-12 06:12)
 自ら「自由」と「豊かさ」を定義する (2022-07-03 08:02)

Posted by ニシダタクジ at 08:35│Comments(0)言葉
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。