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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年07月09日

「課題」と「意志」

「課題」と「意志」
「生命科学的思考」 (高橋祥子 ニューズピックス)

読書日記つづき。
今日は第2章「生命原則に抗い、自由に生きる」より。

ここで言う「生命原則」とは、
すべての生命活動には「個体として生き残り、種が反映するために行動する」という共通の原則が関係しています。のことです。(本書より)
今日は「課題」について考えます。

探究学習、プロジェクト学習において、もっとも難しいのが「課題設定」だと言われていますし、その実感があります。
今日はそもそも「課題」ってなんだっけ?みたいなところから。

~~~以下本書より引用
前述した課題のほとんどは、客観的に設定された課題ではなく、それが解決された状態を私たちが主観的に望むことで初めて課題となるものです。つまり、自ら選んで「課題」を設定できるということ自体が極めて自由かつ主体的な性質を持つものです。

課題が存在するということは、現状よりもいい状態がすでに頭の中にある、ということです。

世界の現状に満足しておらず、もし今のままでは未来も同じ状況になってしまう、それではいけない、未来を理想の姿とすべく今から行動を起こさなければならない、と考える個人の「行動を起こすべき理由」こそが「課題」です。

課題を認識した時点で、自分が主観的に目指したい未来像はすでにその人の手中にあります。

未来の思い描く状況と現在の状況に差分があり、さらに現状維持のままでは思い描く未来に到達できないことがわかったとき、その未来差分を解消しようと行動が生まれます。そして、行動の初速が伴うことで情熱が生まれます。

課題というと、「解決しなければならないもの」とネガティブに捉えられがちですが、本質は「解決することでより良い未来に到達できるものであり、それを意識づけてくれるもの」です。

課題を見つめることで自身の主観的な意志をしっかり認識して行動に移していくからこそ、より良い未来に行くための原動力が得られます。
~~~

「課題」=「行動を起こすべき理由」であり、それは主観的な未来像に基づいている。

それなんですよね。
SDGsを出発点にしてもいいとは思うんですけど、それが「主観的な未来像」になっているかどうか、っていう。
国連が言っているから、ニュースで言っていたから、ということではなく。

理想の未来像と成り行きの未来像のギャップが課題であり、現状から理想の未来へ向かうベクトルが「自分」なのかなと思います。

もうひとつこの章で挙げておきたいのが「利他主義」と「生物的人間と科学的人間」について

~~~
利他主義はしばしば自己犠牲と同一視されがちですが、利他主義においては、自分と他者を対立関係として捉える意味合いは弱く、ほとんどのケースでは「自分を含めた集団が良くなること」を意味します。

利己主義の延長上にある利他主義として、他者のことも考えて行動することで集団としての生存につながり、結果として自分も生き延びることになります。

情報という客観的なものを理解した上で、感情という主観的なものをベースに行動を起こすことが大切です。

「人間は生物的人間と科学的人間の二つの側面を持っている」(「化学と私」福井謙一)
生物的人間:人間の持つ感覚や感情によって自分の認識で世界を捉えていく側面
科学的人間:自分の持つ科学リテラシーによって世界を捉えていく側面
~~~

「利他主義」は「利己主義」と対立するのではなく、空間的・時間的に広く見た時に利己主義の延長上にある、ということです。いや、そうなんだよね。

感情と情報、主観と客観。
そのどちらもが必要なのだけど。

この本にも書いてあるように、「科学」に偏重してきたこの世の中では、「自分(自分の感情・主観)を知る」ということがあまり大切にされてこなかったように思います。

~~~
情報をつかむことも大事ですが、より大事なのは変わりゆく世界の中でも自分にとって変わらない主観的な軸は何かを発見することです。軸を発見できれば、また別の予測不可能な変化が起こっても、それでも生きていくことができます。主観は、人によって大きく異なります。情報はその気になれば誰でも集めることができますが、そういった代替性の高いものを全部そぎ落としたとき、最後に残るものが主観です。この主観こそがAIに代替できないものです。AIは入力された情報のみをもとに判断を行うため、人が持つような主観はなく、だからこそ思い込みや勘違いなどを排除できる利点があります。一方の人間の本質は何かといえば、思い込みを含めた主観にこそあるのではないでしょうか。
~~~

思い込み、勘違い。
これがいろんな人の「原動力」となっているのは間違いないと思う。
そう人を駆動するのは情報や科学ではなくて「主観」なんだと。
その「主観」にフォーカスすることが大切なのではないか。

印象に残ったことは何か?
やってみて、どう感じたか?

そんな振り返りをしていくの中で、心が動き(あるいは心の動きを振り返り)課題が言語化されていく。
取り組みたい課題を知るということは、自分を知るということだ。

自分の心が動く「課題」を知ることで自らの「意志」を知る。行動し、それを確かめる。
きっとその繰り返しなのだろうなあ。

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Posted by ニシダタクジ at 08:23│Comments(0)日記
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