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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年08月28日

在野の〇〇

「在野研究(者)」という言葉がある。
(専門的な研究機関である)大学外で研究し、本や論文などを書いて発表する(人)のことだ。

って調べてみたら、2019年「いまブーム」って言われていたみたい。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67039

昨日は取材型インターン「ひきだし」の事後研修でした。
印象に残ったキーワードは「違和感」

オンラインでの取材型インターンの最大のポイントは
「思ったことを言う」ことで、それが難しかったのだという。

その難しさは「違和感」の表明にあるのだと。
これまでの学校生活、社会生活では、違和感を表明する機会がなかった。
どちらかと言えば「共感」の表明を求められた。
しかも「違和感」の表明(言語化)は難しい。
なんとなくのもやもやした感じ、だから。

一方でこの「違和感」トークに違和感を感じていた参加者もいた。
彼女が育ってきたり、いまいる多様な人たちから成る大学では、違和感の表明は当たり前のことだからだ。
このトーク、本質をついているなあと。

創造性は違和感から生まれる、って思った。
多くのソーシャルビジネスと呼ばれる取り組みが「違和感」から始まっている。
「課題発見」のはるか前に「違和感」がある。
「違和感」を言語化することで、それを「問い」に変換する。

それをひとりでやるのはかなり大変なので、みんなでそれをやってみること。
それが取材型インターン「ひきだし」だけではなく、ワークショップの意味なのではないか。

違和感の表明、それ以前のたくさんの違和感を感じられる多様な人。
そう、実は「違和感」こそが個性だ。そしてその「違和感の表明」を可能にする心理的安全性。
たぶんそれが、創造的な組織(一時的な「チーム」を含む)には必要なんだ。

~~~~~
と、こういう感じで。

僕の在野研究テーマは、フラットな関係をつくるコミュニケーションのデザインと「存在の承認」なので、今回の「ひきだし」も「違和感」というキーワードを得たことで発見があった。

そんなところで本日の1冊はこちら
在野の〇〇
「文化人類学の思考法」(松村圭一郎 中川理 石井美保)

第5章 モノと芸術より
~~~
トロブリアンド諸島のクラ交換に用いられるカヌーは、卓越した彫りや彩色で知られ、どんな美術館に並べても引けをとらないような視覚的特徴をもつ。そしてこの視覚的特徴こそがクラ交換の相手に返礼をさせる力の一端を担うともいわれる。だが、それが現に美術館のガラスケースに入れられたのなら、おそらく発揮される力はずいぶん異なるたぐいのものになるだろう。それは青い海とのコントラストの中に浮き上がった白と赤として、ぐんぐん島へ迫ってくるから人びとをぎょっとさせるのであり、巧みな技術を見て人びとは「こんなものを作り出すなんて、彼らはいったいどんな凄い呪術力をもっているのだろう」と畏れる。カヌーはこのようなさまざまな事象と一体になってこそ大きな力を発揮するのだ。

美的判断が独立せずに、その他の実践の中に埋め込まれているという視点の土台には、マルセル・モースの贈与論がある。モースは贈与交換を、あらゆる種類の諸制度が一挙に現れる現象すなわち「全体的社会的事実」として論じた。モースが引きあいに出す諸制度とは、宗教、法、道徳、経済、芸術だ。贈与交換においてはこれらの領域がすべて渾然一体となって駆動しているので、そこで用いられるモノを説明するにあたっては、たとえばその芸術的(美的)価値のみを取り出すわけにはいかないのだ。

また、モースのこのような議論に先立って、マックス・ウェーバーは、芸術はとりわけ宗教と不可分な領域を構成していたにもかかわらず、啓蒙思想をつうじて芸術と宗教が分かたれたと論じた。そして芸術誕生の歴史を、芸術の脱呪術化(合理化)の過程として説明した。
~~~

いやあ。そうなんですよ。
芸術と生活は切り離すことができない。

たぶんそれは、「仕事」や「はたらく」においてもそうだ。

就職活動の本質的な違和感の原因は、「個」として「システム」に対峙するところにあると僕は思う。
あなたは「個」としてどんな「機能」を有し、会社にどんな「価値(利益)」をもたらすのか?
という問いは、果たして答えるべき問いなのだろうか?

成果を生み出すのは、個人ではなく、会社という「場」なのではないか?

同じように、私という存在も、会社という一組織の構成員としてだけではなく、友人やスポーツや出身高校や、たくさんのレイヤーの中のひとつとして会社があるだけだ。

アイデンティティを仕事そのものに依存しないことだと思う。
僕は「在野の〇〇」として生きていくことを提案したい。

僕自身は「現代美術家」を名乗ってはいるけど、完全に自称だ。
作品と言えば、2015年松本市の栞日で行った「天空ハックツ」くらいだ。
しかし、「文化人類学の思考法」にあるように、芸術が生活に埋め込まれているとしたら、僕は在野のアーティストとして、ここに立っていることになる。

「仕事とは、組織でつくっていく芸術的要素を含んだ何か」なのではないか、と思うし、そんな「仕事」をつくっていきたいと思う。

「在野の〇〇」にあなたは何を入れますか?

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Posted by ニシダタクジ at 07:06│Comments(0)日記学び
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