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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2022年05月11日

つくることによる学びの時代

つくることによる学びの時代
「ジェネレーター まなびと活動の生成」(市川力+井庭崇 学事出版)

読書の醍醐味は、これまでのキーワードがつながってくる感じだと思うし、自分が失敗した理由が分かる、とかそういうことなのだろう。

「つながった!」みたいな感覚になれる本に出合った。

ジェネレーター。
日本語訳すると「生成する人」となる。

いきなり冒頭から熱い。

これからの時代は、どんな人も創造的に暮らす時代だと言えるでしょう。「創造的な暮らし」というと、これまでとは異なる新しいことのように聴こえるかもしれませんが、工業化・産業化が進む前はごく当たり前のことでした。なぜなら、私たちは日常で必要なものを自分たちでつくって生活していたからです。ものだけではなく、生活の知恵・仕組みもこうして日々の暮らしの中で、仲間とともに自分なりに工夫して生み出していました。むしろ、人間が創造的に暮らすというのは、自然なことだったのです。

そうだよ、そうだよ!って。これだけで熱くなっちゃいますね。これまで「場のチカラ」とか「発見と変容」とか「伴奏者」とかって言ってたのは、整理すると、ジェネレートするってことなんだなあと。

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ジェネレーターは気になった「雑」をひとまず集め、集まったカオスで混沌と見えるものから面白いアイデア、意外な発想、これまでにない工夫が「生成」することを体感していて、無関係なことを重ね合わせる流れに身を任せ、「雑」から「生成」が起こる醍醐味を知っている人のこと。

何かを自分なりにつくりだして生きる創造的な暮らしでは、素人であり、初めて何かに挑戦する人たちどうしが小さな仲間となってプロジェクトに取り組んでいかなければなりません。この点においては大人も子どもも同じ立場。教師と生徒という固定的関係性もありません。
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そうそう、そうなのよ!みたいな共感だらけ。
僕の文脈で言えば、それこそがアイデンティティ問題に対抗する切り札だと思っている。

第1章からはP34以降の井庭さんと市川さんの出会いによる「ジェネレーター概念の誕生」からメモを取ります。

パターン・ランゲージの国際学術会議で発表した「ペタゴジカル・パターン・フォー・クリエイティブ・ラーニング」(創造的な学びのための教授法パターン)より3つのエッセンス

1 ディスカバリー・ドリブン・エクスパンディング(発見の広がり)
どうしたら一人ひとりの子どもたちがコラボレーションに本当に参加できるようになるかの工夫

マイ・ディスカバリー(自分の発見)を味わう⇒
ユア・ディスカバリー(相手の発見)を認め合う⇒
アワー・ディスカバリー(私たちの発見)へと向かう

いろいろ話していくなかで、みんなで気づくことが出てくる。これはもはや誰かの1人の発見ではなく、自分たちで発見したものになる。こういう段階を経ずにいきないコラボレーションをやろうとするとうまくいかないのだ。
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わー。いきなりね。これ、僕がやっているところで言えばミーティング前の「チューニング」とか、フォトスゴロクのような自己開示ツール(ワークショップ)を使いながら、やっていることなのかもしれません。

2 チャレンジング・ミッション(挑戦的なミッション)

みんなで取り組むのは、魅力的だけれども、一見どうやってよいのかわからないくらいチャレンジングなものを設定するというものだ。一般的に探究プロジェクトは、一人ひとりの内発的なものでなければ意味がないと思われやすいが、自分で思いつけることのちょっと先のチャレンジングなレベルのほうがいいのだ。魅力的で、ちょっと冒険的なミッションになるように設定するのだ。
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これも!!ですね。内発的動機づけを重要視するあまりに課題やミッションが凡庸になってしまっていること。

3 ジェネレイティブ・パーティシパント(生成的な参加者)

ティーチャーでもファシリテーターでもなく、「ジェネレ―ティブ・パーティシパント」(生成的参加者)として、学び手の活動に一緒に参加する存在なのだ。市川さんの取り組みは心から子どもたちの発見を面白がり、一緒にチャレンジングなミッションに取り組む、そんな姿を目の当たりにした。
~~~
これが「発見と変容」をともに楽しむ「伴奏者」っていうことなのだろうな、と。

そして、そのあと、P41から始まっている「ティーチャー、ファシリテーター、そしてジェネレーターへ」で興奮は最高潮に。

ここ100年とこれからの社会の変化と豊かさ指標

1 Consumption(コンサンプション:消費)を中心とした消費社会⇒どれだけ商品やサービスを享受しているか
2 Communication(コミュニケーション:)を中心とした情報社会⇒どれだけよい関係やコミュニケーションをしているか
3 Creation(クリエイション:創造)を中心とした創造社会⇒どれだけ生み出しているか、どれだけ創造的でいるか

まなび方の変化
ラーニング1.0:Individual(thinking)⇒Subject study⇒teacher
ラーニング2.0:Social(communication)⇒Workshop⇒Faclitator
ラーニング3.0:Creative(discovery)⇒Creative project⇒Generative Paticipant

これもすごいよね。
ひれ伏すしかない。

ワークショップ3.0を思い出した
http://hero.niiblo.jp/e477213.html
我々は宇宙飛行士ではないし、ここは宇宙ではない(16.2.22)

消費社会⇒情報社会⇒創造社会と移り変わる中で、
ティーチャーからファシリテーターへ、そしてジェネレーターへと
必要がかわっていく。

ここでの最大のポイントだと思うのが

つくることによる学びの時代においては、学びの支援者は、ともにつくることに取り組む。もはや他人事ではなく自分事として、本気で参加する。その参加の中に、つくることへの貢献があり、交流があり、学び合いが生じるのだ。

ジェネレーターは、コミュニケーションをつなぐだけでなく、そこに新たな意味を付加して場に返す。そうすると、もとの発言の意図からはズレてしまう。ズレてしまうというとネガティブに聞こえるが、そのズレこそが創造的であるということだ。
~~~

こんな感じで、話は続いていくのだけど、今日はこのへんで。

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Posted by ニシダタクジ at 09:49│Comments(0)日記学び
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