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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2022年05月18日

「自分」から「場」へ

「自分」から「場」へ
「ジェネレーター まなびと活動の生成」(市川力+井庭崇 学事出版)

僕としてのクライマックス

「自分」から「場」へ

「自分」から「場」へ

「場の力」「中動態」・・・
いや、ホント、ここまでやってきてよかったな、と。

僕が「場のチカラ」という言葉を初めて使ったのは、
ブログによれば2009年だったようだ。

その後、茨城の取材インターンひきだしや田舎インターンのにいがたイナカレッジによって磨かれた。

「好き」と「刺激」のあいだ(18.9.5)
http://hero.niiblo.jp/e488038.html

今も、大学生にも高校生にも「成果を生み出すのは個人の力ではなく、場のチカラなんです」って言い続けているし、それを「体感」するところから始めたいということで、偏愛マップ⇒インタビューワークをしたり、カヤック風ブレストをしたり、フォトスゴロクをつくったりしてきた。

この本にもエピソード7(P196)で「なりきる」っていうのが紹介されていて、これは「探究ネーム」の設定によって目指していたものと近いものだった。「なりきりワークショップ」もコンテンツに加えたい。

この本で紹介されているのが「電柱好き」になりきってインタビューを受けるというもの。これもひとりじゃなくて2対2くらいでワークすると面白いかもしれない。「本日のゲストは、電柱をこよなく愛する電柱ブラザーズのみなさんです~パチパチパチ」などと言いながら、テレビ番組さながらインタビューを行う。これも大人とこどもミックスでやったら楽しいだろうね。

この「なりきる」というのは「リフレーム」の練習だと市川さんは言う。

http://hero.niiblo.jp/e492190.html
目的地を決めないこと、地図とコンパスを持たないこと(21.11.25)

このときにえぽっくにとってコーディネートとは?で定義されたのが
・無理でしょ、と思えることをできるようにつなぐ
・面白がる(リフレーミング)
・リソースを拡張する
ことだと。たしかに、コーディネートの価値は、ここにある。

・不可能(だと感じること)を可能にするために「場をつくること(立ち位置を知ることとイメージの共有)」
・新しいアイデア、発想、具体先を出すために「面白がる(⇒リフレーミング)すること」
・それらの実行によって、自分の手持ちだでなく「資源(リソース)を拡張すること」
・仮説を実行した後にふりかえることによって「検証すること」
これはそのままジェネレーターシップにつながっていく。

そのリフレームの練習が市川さんの言う「なりきる」なのだと。

広島の杉本さんが「読書会で好奇心は育むことができる」と言った
http://hero.niiblo.jp/e491170.html
そのキーワードも面白がる、だった。

本書のエピソード6「場の力」から引用する

~~~
自分が属する組織や社会を変えようとすることはとても大事だが、ジェネレーターシップの本質は自分がどう変わるかというところにある。自分が率先して面白い状況をつくりだし、そこに自分がまず没入し、中動態的な生き方をしてゆく。そのために、親子、友達というような思いを共有する小さな仲間とともにジェネレーターシップを発揮する場をつくることからスタートするのがよい。

面白がる場は、決して人と何かをする場だけに限らない。植物や野菜を育てるような自然と関わる場を持つのもいい。植物を育てようというとき、僕らができるのは水と肥料をやるというぐらいで、ほとんどコントロールできない。「こんな花が咲いた」「こんなに実ができた」「今年のミニトマトは調子が悪いな」というように相手が育ってゆくのに寄り添ってゆくしかない。相手が人間だと、相手側の都合や作為が自分に絡んでくるし、相手を変えてやろう、コントロールしようという気持ちが出てきてしまう。しかし、植物相手にはそういう気持ちが働かないので、場に任せ、感じるためのよいトレーニングになる。

(中略)

野菜づくりに没入してもよし、みんなで料理をつくってみるのを楽しむ会からスタートしてもよい。そうすると、個の境目が消えてみんながつくるプロセスに没入する瞬間が訪れる。つくりながら気づいたちょっとしたことをみんなでワイワイ語りあっていくうちに、自らフタをしてきた「面白がる」感覚が目覚めるはずだ。
~~~

「個の境目が消えてみんながつくるプロセスに没入する瞬間が訪れる」
いやあ、それです。「境目をあいまいにすること」「場に溶けだすこと」
それを体感してもらいたいんです。

この部分の続きでは、
大人と子どもが一緒に企み、思いつきを解き放つ場をつくる例として、子どもたちと身のまわりを散策することを薦めている。

~~~以下メモ

子どもたちは、人ではなく人工物にも草にも虫にもフラットな関係性を気づく。子どもと一緒になって歩く「場」に参加し、子どもの感性に触れることで自ずと大人の鎧がとれてゆくだろう。

天真爛漫に見える子どもたちも実は、誰かの期待に応えようとしたり、「そんなのあるわけないよね」と言われることを恐れていたり、好奇心のフタが閉じかかっていることが多い。大人と同じくらい、場合によってはそれ以上に、ここは思いつきを披露する場だという認識を持たせることはとても重要である。

外をあてもなく歩くのがよいのは、会議室や教室のような閉じた空間を飛び出ると、頭と体と心が自ずとゆるむからである。

大人と子どもが一緒に学ぶシチュエーションをつくることはこれからの学びの場づくりにおいてとても大事になってくる。そのときに大人「が」子ども「を」教えるのではなく、大人「と」子どもが対等に同じことをしたり、つくったりすることが大きなカギを握る。
~~~

P173に、子どもが大人とタッグを組むことの効用がまとめられていて

  子ども⇔大人
目:解像度⇔周辺視
耳:問いかけ⇔受けとめ
口:思いつき⇔雑談
手:描写力⇔記憶力

と表現されている。なるほど。
このほかにも「強者と弱者が生まれないフラットな関係を生み出すメタメタマップ」など、「まなぶ」から「つくる」へのシフトを言っていた僕にとってはうなずくばかり。「つくる」にフォーカスすることで人はフラットになる。

今日の最後に、「場」についての記載を引用する。

~~~
「誰が」発見したかは生成・発見の連鎖においてなんら重要ではない。明らかにジェネレーターがよいアイデアを出したら採用される。大切なのは、よいアイデアかどうか本気になって追究する場であるという共通認識が参加者全体にあることだ。

それぞれの強みを発揮し、お互いの発見を面白がり、リスペクトしあう。これがスーパーフラットな関係性でつくり続けるということだ。社会関係が優先される場からともにつくる場へとシフトすることで、こうした関係性が生まれ、ジェネレーターは、出し惜しみしないで本気で相手と関わることができる。
~~~

師匠にあこがれ、師匠のようになろうと「周辺」の軽い仕事から参加し、次第に「中心」の重要な仕事を任されるという「正統的周辺参加」な形ではなく、好奇心がだんだんと目覚め、仕事のプロセス自体を面白がるようになり、ともに表現し、作品をつくりだすためにコラボレーションする「好奇心誘発参加」という形ができる。こうして、相互の関係が対等でありながら、創造に真剣に向き合う場がジェネレートする。(P161)
~~~
「作品をつくるために」っていうのがいいですね。

そしてラスト「場の力」に関しての言及
~~~
ジェネレーターは失敗を引き受け、場を盛り上げ、明るく、面白がれる人であることは間違いない。しかし、その力は個人の属人的な能力や性格を源泉としたものではなく、創造の「場」が生み出す力=Field Forceなのだ。

心は揺らぐものと覚悟し、心に依存せず、発見と創造のプロセスに身を任せる。自分の心の強さで乗り越えるのではなく、「場」に身を委ね、「場」を感じとり、柔軟に問題を解決しようとしている。

すぐに解決されることはなく、解決したと思ったらまた新たな課題が出てくるのが何かをつくるプロセスである。まさに「終わりが始まり」としか言いようがない。このプロセスが繰り広げられる「場」はジェネレーターにとっても、参加者にとっても一世一代の「舞台」に等しい。それぐらいやりがいがあるし、そこで生まれたものを世に披露したいという思いも強くなる。

ジェネレーターは、新たな意味づけを繰り返し、発見と創造の連鎖が生成する「舞台」の上で、「自分」が考えるととらえるのではなく、逆に「自分」の心を突き放して、創造のプロセスに一体化して中動態的に動き続けるのである。
~~~

いやあ、もう、ありがとうございます。
感謝しかありません。キーワード全部入ってます。

トンネル開通です。

アイデンティティ・クライシスのトンネルとクリエイティブ・ラーニングのトンネルは実は1本のトンネルだったんだなあと。その交点に「中動態」があり「場のチカラ」があり「ジェネレーターシップ」があった。

そしてそれは「舞台」であり「委ねる場」でもあった。

成果を生む出すのは、発見・創造を生むのは個人の力でもチームのチカラでもなく「好奇心」により駆動されフラットな関係で個人が溶け出している「場」のチカラだった。

なんだかうれしい気持ちでいっぱいです。
これから実践していきます。
ステキな本をありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 08:39│Comments(0)日記学び
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