2024年04月08日
アンサング・ヒーローの物語を紡ぐ

『チ。-地球の運動についてー』(魚豊 小学館)
話題のマンガ、一気読みしました。
題材は天動説⇒地動説へと変わるまでのフィクション。
なんというか、「アンサング・ヒーロー(歌われざる英雄)」の物語ですね。
「学ぶ」とは何か?
「生きる」とは?
そして、人はなぜ、本を読むのか?
いろいろ考えさせられます。
名言だらけなのでメモしておきます。
(ネタバレなので、マンガを読む人は読まないでください)
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不正解は無意味を意味しない。
あなた方が相手にしているのは僕じゃない。異端者でもない。
ある種の想像力であり、好奇心であり逸脱で他者で外部で
畢竟、それは知性だ。
今夜君達はこれから少しの間だけ、恐らく人生で初めて、
自らの運命を変える挑戦権を得ている。
一生快適な自己否定に留まるか、
全てを捨てて自己肯定に賭けて出るか、どちらを選ぶも自由だ
思慮深くてはダメなんですよ、修道院長。
そんなヤワな姿勢じゃ時代に埋もれて終わる。
利口ではいざという時掴み取れない。
掴む?何を?
私がずっと待っている、
私を特別にする瞬間、私を偉大にする瞬間、私が歴史を動かす瞬間ですよ。
その一人とは、私ではなく君かもしれんからだ。
もし、過去の積み重ねの先に答えがないなら、真理にとって我々は無駄だったかもしれん。
しかしたとえ過ちでも何かを書き留めたことは、歴史にとって無意味ではない。と願ってる。
私達の人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。
だけど、文字を読むときだけはかつていた偉人達が私に向かって口を開いてくれる。
その一瞬この時代から抜け出せる。
文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。
『自らが間違ってる可能性』を肯定する姿勢が、学術とか研究には大切なんじゃないかってことです。
第三者による反論が許されないならそれは信仰だ。
自分以外に託すって姿勢に希望を見出してた。
そしてあろうことかその姿勢を天国にいくより重視した。
そういう他者が引き起こす捩れが、現状を前に向かわせる希望なのかもしれない。
それは地動説の意味を知った時、多分、感動したからです。
君の文章は論文としての価値はない。-がそれ故、伝わる可能性は高いだろう。
伝わる? 何が? 感動だ。
それさえ残せば、後は自然と立ち上がる。
一見、無関係な情報と情報の間に関わりを見つけ出せ。
ただの情報を使える知識に変えるんだ。その過程に、知性が宿る。
それがあれば留まる勇気と踏み出す度胸が得られる。
タウマゼイン?
それは古代の哲学者曰く、知的探求の原始にある驚異。
簡単に言い換えるとこの世の美しさに痺れる肉体のこと。
そして、それに近づきたいと思う精神のこと
つまり、「?」と感じること
身体と魂、理性と信仰、哲学と神学、疑うことと信じること
これらの矛盾は両立します。何故か?
それが人間だからです。
人間は神でも獣でもない。人間はその中間に存在する。
でもだからこそ中間を、曖昧を、混乱を、受け入れられる。
むしろ矛盾で理性の息継ぎをする。
貴方は今、神を失っている。
この世界が存在するという奇跡を感じられないでいる。
奇跡とは、必然に満ちた領域で生まれる偶然のことです。
と同時に、偶然に満ちた領域で必然が生まれることです。
昔の貴方はそれを感じていた。この世のすべてが奇跡的だと知っていた。
しかし経験や記憶、過去や故郷、そして痛みと引き替えに、奇跡まで失ってしまった。
奇跡は、貴方が生きる場所だったのに・・・です。
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このマンガには、ひたすらに、ただひたすらに
歌われざる英雄(アンサング・ヒーロー)が描かれています。
真実を求め、託して、死んでいくものたち。
そしてその好奇心は止められないのだ、と。
美しい人生ってなんだろう?
って考えさせられます。
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